第五章 16 『二人一緒に』
災害級の冷気が空を覆う。
四大精霊のみが行使可能と言われる災害級の力。
同一ではないが、それに届く力を唯一行使できる──神器モルデュール。
だが、魔力は無尽蔵ではない。
「これで終わらせる。──メル・イグニス」
モルデュールの剣尖は一瞬強烈な輝きを放つ。
刹那、──ピキッと音が聞こえた。
それは、太陽の如く。白く凍てつく遥か上空は灼熱の炎を纏う領域へと変化する。
吹雪いていた雪も、凍てついていた水面も、その全てが一瞬のうちに溶解する。
灼熱の炎が消える頃、中心部にいたメルゼシオンの数十体は塵のように崩れ落ち消滅した。
エリュシオンは「たったこれだけ……」と零すと、口からたらりと血を流し、今にも倒れそうにふらつく。
そして、メルゼシオンの大群はこちらへ迫りくる。
距離が近づくことは、レナにとって好都合である。
レナはの全身全霊で魔力を込めるように魔剣オルナを構える。
これだけの魔力総量、当然オルナにも負担をかけているだろう。
レナは魔力を解放するようにオルナを振るう。すると、水平線の如き巨大な斬撃が立ち向かう。前方には時空の切れ目が生まれると、そこに存在していた全てのメルゼシオンは両断される。
それでも、レナの斬撃が届く範囲は有限である。
十体程のメルゼシオンは未だに上空を漂っていた。
これが広い地上での戦闘であれば、まだ希望はあったかもしれない。メルゼシオンが上空にいる限りできることは限られてしまうのだ。
そして、九割近くの個体を失ったメルゼシオンの群れは、甲高い奇声を上げる。
まるで聞いたことの無い音。
理解できない存在の奇声はとにかく悲痛に満ちていた。
これだけの人々を殺しておいて、まるで自分が被害者であると泣き叫ぶように。
十体のメルゼシオンは七つの瞳を見開くと、巨大な光輪を生成する。
回転加速する光輪は無数の光柱を発生させる。その威力はリセレンテシアを崩壊させた光柱とは比較にならないほど強い輝きを放っていた。
レナはオルナによる斬撃でひたすらに光柱を切り伏せる。
──今度こそは、リア達もここにいる全てを守りきる。
防ぎ切れるはずのない猛攻を完璧に打ち消す。
だが、本当の絶望とは幾重にも影を濃くするものだ。
レナ達がここに到着してかなりの時が経過していた。
アウレオが何とか延命している"アストルムのガーディアン"は問題無いだろう。
そう、"アストルムのガーディアン"には。
死した人々がゼノン化するのは時間の問題だった。
「──ルミナッ!!」
「わかってるよ!!」
「──僕が前に出る」
レナの背後から聞こえる声。
今のレナに後ろを確認する余裕は持ち合わせていない。
「──ッく。アウラ、リア達は今どうなっている」
「無茶言うでない!! わしはレナの契約精霊じゃぞ。今の我らに他のことを考える余裕などないぞ」
目を瞑り集中するアウラは苦悶する。
エリュシオンは「……私が行くよ」と背後に向かうが、酷く消耗しているようだ。
連れ出したばかりであのような強大な力を行使したのだ。無理もない。
後方からは今までに聞いた事の無いほどの詠唱の数々が聞こえてくる。
それほどに戦乱の最中なのだろう。
依然とメルゼシオンの猛攻は止まない。
少しでも気が緩めばそこで全てを失うだろう。
レナの魔力も精神も限界まですり減っていた。
己の身体を動かしているのはひたすらに猛攻を打ち消すことで染みついた勘と反射神経のみ。
リア達の戦闘も未だ継続中のようだ。
あと数回メルゼシオンの攻撃が続けば、僕は折れるだろう。
そんな感情が頭を過る頃。
辺りに鳴り響いていた音はピタリと止まる。
メルゼシオンの猛攻は止まった。
緊張の糸が切れたようにレナは初めて後方を確認する。
「──レナ!!!!」
──バサッ、と僕は大切な少女にはねのけられるように。
刹那、音がした。鈍い音に飛沫を散らす不快な音。
後方へ突き飛ばされた僕は不安を払拭する様に、ゆっくりと顔を上げる。
だが、観測することにより不安は事実として確定する。
──必ず守ると決めた少女は腹部を貫かれていた。
少女の口は小さく「ありがとう」を形取る。
刹那、──パリンッ、ヒトが心臓を穿かれた時の音ではなかった。
悟った。
それが少女の完全な死を意味しているという事実を。
巨大なゼノンは消耗したルミナ達を突き飛ばし、レナへ向かってきていたのだ。負傷したリアは一人決死の思いでレナを救いに飛び出したのだろう。
上空を見上げると、酷く歪んだ空模様が揺れている。
そこには大量のメルゼシオンが漂っていた。
一体、二体と、メルゼシオンは出現する。
その各々が巨大な光輪を生成していた。
「もう、いいや…………」
僕は、僕が存在する理由の全てを失った。
まもなくリセレンテシアの全ては滅ぶだろう。
それでも最後に少女を安らかに寝かせて上げたかった。
僕は目の前のゼノンを切り伏せた。
少女を抱き、静かに地面へ寝かせる。
頬を伝う涙を拭うように。
完全に機能を停止したクラリアスの身体から僅かに温もりを感じた。
その温もりが、諦めたはずの心を締め付けた。
──もし、愛おしくも大切なこの少女を救うことができるなら。
できるはずがないと。
そう思えてしまえば楽なのに。
それが出来てしまう、そんな確信があった。
少女から優しく離れると、胸に手を当て集中する。
周囲の魔素全てがレナに収束するように。
魔素を吸い尽くされた自然は朽ちるように崩壊する。
『──レナ!! それはダメじゃっ……!! 冷静になれ!!』
心に呼びかけられる声。
契約を交わした心から信頼しているはずのアウラの声さえ今は鬱陶しい。
冷静になって何が変わる?
大切な人達が帰ってくるのか?
僕達の生きる滅びゆくこの世界が元に戻るとでも言うのか?
悪いのは世界だ。
もし、神なんてものがいるのであればそれは悪だ。
神がこの世界、この運命を作ったというのならば、
「──僕は」
「──オレは」
「──この世界を否定する」
世界から音が消えた。
世界から色が消えた。
──レナ・アステルの深紅に染まった瞳は輝きと共に、世界を停止させた。
レナが目を閉じると、停止した世界は動き出す。
音と色を取り戻した世界は一変していた。
胸を穿かれニュークリアスを破壊されたはずのリアは息を吹き返していた。
「……私…………なんで……」
意識が途切れる中自然と零れた"ありがとう"の言葉。そこからの記憶が存在しない。
胸を穿かれた……はずだった。
視線を上げると、そこには二度と会えないはずの想い人の姿。
レナだ。間違えるはずがない。
少年は普段の様子と全く異なっていた。
外見の話ではない。
レナをレナたらしめる要素の全てが色濃くなったように。
「レナ……?」
「リア……ごめん」
「どうして謝るの……?」
「君を守れなかった」
今も尚、メルゼシオンの大群は上空を飛び交い、光輪の生成を開始していた。
「オレの力では何一つ届かなかった。まもなくリセレンテシアは滅ぶだろう。だから、ちゃんと言葉にしていなかったことをせめて伝えようと思って」
レナは少女を抱きしめる。
クラリアスの柔らかい肌は確かに熱を帯びていた。
「リアを愛している」
「オレを救ってくれてありがとう」
「生きる意味を与えてくれてありがとう」
「君を守れなくて──」
言いかけたその言葉は少女の唇によって遮られる。
今も上空で──ジリジリと不協和音が交錯していた。
少女は静かに唇を離すと、
「私もレナのことを愛しています」
二人は再び強く抱きしめ合う。
お互いの指先には強く肌を圧迫するように。
気持ちを確かめるように唇は重なる。
絶対に離したくない。
絶対に離れなくない。
二人一緒にこのまま世界と共に消えるのなら。
──オレは。
──私は。
『『──この世界で一番の幸せ者だ』』




