第五章 14 『心の在処』
白き少女の想いに答えるように、少年は手を差し出す。
少女の白く細い指は、差し出された手を優しく掴む。
「君の望むままに」
長い言葉はいらない。
レナは少女の手を引き、立ち上がらせる。身を委ねた少女の身体は軽かった。
「……ありがとう」
少女が今日に至るまで感じてきた気持ちも、少女自身のことも、何一つ分からない。
空白の空間に気が遠くなるほどの年月囚われていた苦しみは想像もつかない。
だからこそ、今すぐに外の世界に連れ出したかった。
精霊樹は気持ちを汲んだように。
白い景色は光と共に、二人を優しく包み込む。
◇◇◇◇◇◇◇
──やがて白い景色は色を取り戻す。
永らく忘れていた。世界がこんなにも美しいなんて。
白い景色が焼き付いていた私の記憶は色づくように。
瞳から溢れる透明の雫は、色づく世界を逆さに閉じ込めた。
白き少女は「んぁ────」と、肺に溜まった空気の全てを吐き出すように。
限界まで伸びをして、ふっと力を抜くと喉は鳴る。
精霊樹の中空間は空気が悪いわけではない。けれど、今は呼吸することさえが幸せに感じた。
「……っと、そう言えば自己紹介してなかったね。私を救いに来てくれたのだから、もう知っているかもしれないけれど。私はエリュシオン・エルステラ。改めてありがとうレナ。そこの人達も多分協力してくれたんだよね。ありがとう」
エリュシオンは純白の髪を揺らし頭を下げる。
その姿を見たアウレオ・アルヴァイスは跪く。
「あぁ、神よ……どうか……どうか私の罪を許して欲しい……」
あの日、少女と出会ったことが全ての始まりだった。
だから、それを終わらせることが出来るのは少女であると心のどこかで救いを求めていた。
「君は……どこかで…………」
エリュシオンは少し不思議そうな表情を見せる。
目の前に跪く姿を前に、戸惑いながらも必死にかける言葉を探していた。
「私は神ではないし、あなたの罪を断罪することは出来ない。けれど、あなたの話を聞くことはできるよ」
色づく少女の優しい声色は、アウレオを慰めるように。
──アウレオは自分の罪についての全てを話した。
「……君も五百年もの間苦しみの檻にいたんだね。でも、支えてくれた人がいるんじゃないの? 私の中には二つの存在が宿っている。精霊樹に閉じ込められて以来、毎日のように会話の相手をしてくれた。私が寂しくないように、ずっと一緒にいてくれた。君にそういう人はいなかったの? 今君についてきてくれた人達は、本当に君の事を許してないの?」
「……しかし、私は……ただの好奇心で、完璧な存在のあなたを見て、完璧な存在を生み出そうと心を弄んだ。それに巻き込まれた子供達の心は、今も苦痛の檻に囚われ続けている……」
「本当にそうなのかな? 君は私の事を"完璧な存在"と言うけれど、それは違うよ。私はヒトとエルフの間に生まれたハーフエルフで、一人の精霊と契約して、ある日突然グィネヴィアの神意を受け継いだ。たったそれだけの存在」
「たったそれだけ…… 」
「そう。たったそれだけなんだ。君が創ってしまったと後悔する心も、私達の心も何も変わらないよ。だってほら、後ろを見てみなよ」
アウレオの後ろには、アステリア、ハルモニア、リア、ルミナ、自ら創ったはずの心から生まれた少女達がいた。
自然に佇む少女達の姿は斯くも美しく、こちらに優しく微笑む。
こんなにも素晴らしい存在を本当に自分が創ったと言えるのだろうか。否、それは思い上がりだ。
ヒトの身でヒトの心を作るなど、できるはずがないと知っていた。
──少女達の心を創ったのは少女達自身であると。
「そうか……わしは…………心など創ってはいなかったのか……心は宿っただけ……」
銀色の瞳は揺れ、光が宿っていた。
五百年もの間、停滞していたアウレオ・アルヴァイスは決意する。
「──わしは、"子供達"が幸せに暮らせる世界を創る。目の前にどんな障害が立ち塞がろうとも躊躇せん」
アウレオは出会った時からリア達のことを子供達と呼んでいた。
人間の間に生まれる子も、心が無ければただの器。その器に心が宿る原理は不明である。
アウレオ自身、己の創った器に心が宿った事を無意識下では理解していたのだろうか。
子供達に幸せそうに囲まれるアウレオは、賢者ではなく、ただ尊い自分の子供達を慈しむ親のようだった。
幸せな光景とは裏腹に、空模様はどこか不自然に歪んでいた。
雨が降りそうな曇り空というわけでもない。少し暗く、空間はどこか歪んでいるように。
そして、歪みは神樹の方へ行くほど酷くなっている。
「なんだ……これ……」
レナは見たことない空模様に言葉を失う。
エリュシオンなら何か知っているとかと期待し振り返るが、同じ様子だった。
「上空の歪み……定かではないが、アストルディアに何かあったのか……」
アウレオはアストルディアとフェルズガレアを隔てる境界に何かあったと推測しているようだ。
「とにかく、アストル厶へ帰ろう。リゼ達が心配だ。エリュシオンはどうする?」
「私も行くよ。分からないけれど、とても良くない感じがする」
「転移門は使えんぞ、どうやって戻る? 徒歩では半日以上かかるぞ」
「大丈夫、きっと呼ばずとも彼は来てくれる」
レナは胸に手を当て祈ると、それに答えるように青く美しきドラゴンは少女と共にレナの前に舞い降りた。




