第五章 13 『白き少女の祈り』
窓から射し込む心地良い陽射しに起こされる。
洞窟内にも関わらず、窓の外は一日の変化を表している。
現実の景色ではないのだろうが、窓を開けると清々しい空気と優しい風を肌で感じる。
「おはよう……リア」
ルミナは眠そうに伸びをする。「……ん?」と何かに気づくと、こたらに歩み寄ってくる。
な、何もやましいことはない。
冷静を装うが、ルミナの慧眼と嗅覚は誤魔化せない。
冷や汗を滲ませるリアに接近すると、くんくんと小さく鼻を鳴らす。
「な、何よ」
「うーん、これはいつもとは違う発情のにお──グバッ!!」
リアの右ストレートが炸裂する。
許せない。許せるわけが無い。
しかも、"いつもとは違う"ってどう言う意味だ。
普段のあれやこれまで、ルミナには全て筒抜けという事だ。
「ん……っもー、うるさいな朝から」
アステリアは機嫌悪そうに起床する。なお、ハルモニアはまだ爆睡中のようだ。
「おい起きろって、いい加減にしろよそれ。このっ!!」
アステリアはぐるぐる巻に布団を巻き付けて寝ていたハルモニアをベッドから引きずり落とした。「──ッキィ!!」と変な呻き声と共にハルモニアは起床する。様子を見るに、いつものことらしい。
身支度と朝食を済ませたリア達はアウレオに指定されていた場所へ移動する。そこは、回収したレリックなどが多く置かれた場所。
「今回の件、アスタロテに知られるとめんどうじゃから、アストルムの管理人にはわしが直接報告しておいた」
リアは感謝する。
ネイトやリゼ達に心配をかけたくない。
「ただ一つ気になることがあってな……」
「どうしたんだ?」
言い淀むアウレオにレナは尋ねる。そして、なぜかルミナと会ってから執拗に視線を感じる気がするが、今は気にしないでおこう。
「アストルムの管理人に少し話を聞いたのじゃが、どうやら現在ガーディアンに対する依頼がいつもより大幅に減少しているらしい。無論、必要最低限の依頼は出ているようじゃが……」
「何か意図があるということか?」
「どうじゃろう……とりあえず、こちらの用は早く済ませるようにしよう。さあ、こっちへ」
レナ達はアウレオに誘導される。
そこには幾つもの魔石があしらわれた大きな鏡があった。
アウレオは前に立つと優しく鏡に触れる。鏡面は触れた指先から波紋が伝う。水銀のような流体にも見える鏡面だったものは、──シュルッ、と音を立てるとレナ達を覆うように取り込んだ。
呑み込まれた。目の前に広がるは真っ暗な世界。
もしここに隔離されたら、と考えるとゾッとする。
重い気持ちが──シュッ、という音とも共に軽くなったと思うと、目の前に広がるは見知らぬ洞窟内だった。
「よし、辿り着いた。ここはアルトセラスじゃ、ここから先は大精霊様に案内して頂くとしようかの」
レナは意識を集中させると『……アウラ』と呼びかける。が、反応はない。『……アウラ? どうしたんだ?』再び呼びかける。聞こえているはずだ。
すっと風が通り過ぎるといつもより控えめにアウラは登場する。なにやら体調が悪いのだろうか。美しい顔立ちは目を伏せると頬を染め、どこか元気がないようにも見える。
「精霊って体調崩したりするのか?」
「違うわ!! 体調崩すことは確かにあるが、そうではない。契約者の中にいると言うのも、難儀なものじゃな……」
レナは「……へ?」と反応するのに対し、リアの顔は何故か真っ赤になっていた。
そう、昨日のやり取りを全てアウラはレナの中から目撃していたのだ。仕方ないだろう、あのタイミングであんなことが起きるなど、いくら風の大精霊であっても予測不可能だ。
その様子をみたルミナはの表情は──繋がった、と言わんばかりに、にへらと笑っている。
「ま、とにかく案内しよう。こっちじゃ」
レナ達はアウラに導かれるようにアルトセラスを進んで行く。
◇◇◇◇◇◇◇
途中で何体かの魔獣と遭遇したが、このメンツであれば当然何の問題もなく進めた。アウレオが手を下すまでもない。
「精霊樹に近づくことになる。一応イリスには話を通しておこう」
レナは提案する。アウラは「そんなもの必要ない」と一点張りだったが、最終的に折れてくれた。
イリスも相変わらず会った時からある程度事情を察しており、すんなりと承諾した。
アウラは「面倒じゃから外で待つ」とイリスの前に姿は見せなかった。
精霊樹の場所はさほど遠くなく、イリスの住居がある後方にしばらく進んで行くと、大きな湖があった。
その中央に、小島のように佇む土地にそびえ立つ大樹。樹皮は純白で、光子を漂わせていた。この距離からの大きさを察するに、神樹とは比較なならないほど小さいが、いわゆる"大木"とは比較にならないほど大きい。
今は見慣れた神樹は神聖さを感じる反面、近づき難い不思議な感覚が身を支配する。
だが、精霊樹は神聖でありながらも訪れる者を歓迎するような、柔らかな印象を受けた。
「とにかく精霊樹に近づかないとな………」
レナは方法を考える。
正直なところ、自分一人なら水面の上を駆けることも可能だ。
神聖な湖故、手荒な方法は取れない。あるとすれば……
そこで意外な人物が動く。
どこから取り出したか不明な年季の入った大杖を構えると、先端についた大きな魔石を水面へ向ける。
「わしも少しくらい働かなくてはな。──クエラ・グラキエス」
アウレオは詠唱すると、杖先を水面へちょんっと振れさせる。
刹那、──ピンッ、甲高い音と共に空気が止まったような感覚。周囲の温度が一気に10度程度下がったようにも感じる。
──刹那、水面全てが凍りついていた。
「ほれ、半日くらいは持つじゃろう。先に進もうか」
アウレオが戦闘を得意としているかは不明? 当然の事ながら杞憂だった。恐らくアウレオは戦闘においても規格外と呼べる存在だろう。本人が戦闘を好むかどうかは別の話だが。
しばらく歩くと目的の地に辿り着く。氷の上は滑るだろうと身構えていたが、表面はザクザクと粉末状の氷になっており、普通に歩くことが出来た。流石は賢者と言ったところか。
「これが……精霊樹……」
レナは小さく息を飲む。
純白の精霊樹は穢れひとつなく、そこに佇んでいた。
──こっちへおいで、と言われるようにレナの足は導かれる。
「触れても大丈夫なのか?」
「レナなら大丈夫じゃろう。精霊樹が拒まないと言うことはそういうことじゃ」
純白の樹皮に優しく指先を触れる。
──バチンッ!!
「──っつ!!」
レナは拒絶されるように不可視の力により弾かれる。
「これは……」
「拒まれている訳ではない。それは精霊樹の意思ではないのじゃ。それが、精霊樹の存在に紐づいた不可視の結界じゃ。」
「これが……不可視の結界……」
──ごめんね、傷つけたくないのに。
──こんなこと私は望んでいないのに。
悲痛の声が聞こえた気がした。
アウラもどこから悲しげな様子で精霊樹を眺めている。
レナは魔剣に指をかけると、
『オルナ……いけるか?』
言葉は無くとも意志は伝わってくる。けれど、今回は違った。
『──大丈夫だよ』
優しくも凛々しい女性の声が確かに聞こえたのだ。
それは、確かにオルナの意思だった。
レナはしっかりとオルナを構える、
『──行こう』
『──うん』
二人の意思が重なったその刹那。
訪れた音一つ存在しない完璧な静寂が空間を支配する。
オルナは以前とレナに握られたままの状態。
そして、レナの前方、空間そさのものに亀裂が入ると、
──パリンッ、と何かが砕ける音がした。
何かが砕ける音と共に、空間は音を取り戻した。
リア達が知覚で来たのは──パリンという音のみ。何が起きたのかを知るのはレナとオルナたった二人。
だが、アウラは不可視の結界が消滅したことに気づいたようだ。
そして、ゆっくりとレナの前に歩いてくると、片膝をついたのだ。
「主よ、心から感謝する。ありがとう」
精霊契約に上下関係はない。それでも風の大精霊アウラはレナのことを"主"と称した。それ程に、精霊樹との関係が深いのだろう。
「やめてくれ、僕だってアウラには本当に感謝している。恩返しの一つくらいしたところで罰も当たらないだろう」
「そうじゃな……ありがとう、レナよ」
精霊樹を背にこちらに微笑むアウラは、美しき純粋な一人の少女のように。
束の間、いつもの表情に戻ったアウラは、
「まだ役目は終わっておらんぞ、エリュシオンを連れ出して来ると良い」
「ああ、必ず連れ出してくる」
レナはと覚悟を決めると再び精霊樹に触れる。
刹那、柔らかな白い光に包まれる。
レナはゆっくりと目を開くと、一面白一色の幻想的な空間にいた。
──そして、一人の少女がこちらを見ていた。
純白の髪は美しい曲線を描き、その肌は白くもその内に確かに血液を宿すようにほんのりと色味がかっていた。
そして、薄紫色の濁りなき希少宝石のような双眸はこちらを向いていた。
少女の薄くも血の色を感じさせる唇はゆっりと開かれる。
「……グィネヴィア、賭けは私の負けだね。本当に来てくれた」
純白に包まれた白き少女は女神のように微笑むと、
「──レナ、私をここから連れ出して」
両手をこちらに広げる少女は、何百年の時を待ちわびたかのように求めたのだった。




