第四章 15 『貫く者』
灰色一色の土地を前にレナ達は立っていた。
五百体もの魔獣を前に絶望していたアルテミシア達を守ることができた。
ただ、大切な仲間を救えた安堵よりも、目前の景色を生み出してしまった自分に対する恐怖が込み上げる。
無論、自分の力が周りと比べ規格外である自覚はあった。
それでも、レナが一度に倒してきた敵はせいぜい数体である。
だが、今回は五百体もの魔獣を一撃で殺してしまった事実は揺るがない。
もし、この力の矛先が大切なものに向いてしまったとしたら。
過去の記憶も持たず、自分と言う確たる存在を確立出来ていないレナにとって、その可能性を心のどこかで否定できない自分がいた。
それがレナにとっての恐怖であった。
そんなレナを隣に立つアウラは切なそうに見ていた。
手をとり「大丈夫じゃ、私がついておる」と微笑んだ。
他人の言葉であれば、それはただの気休めに聞こえるだろう。
しかし、アウラは別である。心の内を知った上での言葉は大きな支えになった。
「助かった……のか……?」
後方で一番最初に声を上げたのはアルテミシアだった。
リゼは地面に座り込み、リアとルミナはただ立ち尽くしていた。
アステリアもぼーっとした様子でレナ達の先を見ていたが、我に返ったように、
「まだ気を休めるのは早い。これだけの魔物の大群が偶然集まるわけがないだろう。絶対に何かある」
アステリアは珍しくも、焦り、何かに恐怖しているように見えた。
「そんな……まさか……あの魔物達は何かから逃げてきたと言うのか……だが、向こうは主要拠点だぞ……?」
「僕も今回の探索で魔物の動きに違和感を覚えてはいた。けれど、それは思い過ごしの範疇に留まっていた。そして確信したよ。魔物が本能で逃げる存在なんて、僕の知っている限りフェルズガレアにはいない」
「ちょっと待ってくれ、それってどう言う……」
アルテミシアは言いかけるが、アステリアの視点はアルテミシアにも、主要拠点にも向いていなかった。
アステリアは主要拠点の遥か上空を眺めていたのだ。
そして、アルテミシアも不穏な空気を感じ取っていた。
空は次第に灰色に染まっていき、心臓を握りつぶされそうな重圧を感じた。
そう、魔物達は逃げていたのだ。
そして、
──灰色の曇り空を破るようにその存在は現れた。
辺り一帯に大きな影を作るほど巨大な体。
姿は龍のように、その腹部は大きく膨れ、口の無い頭部には七つの瞳が並んでいる。
人間と猛禽類を混合したような数多の手足が生え、何よりも特徴的なのは、その歪な外見にはそぐわない神々しい七枚の羽を持っていること。
その姿を見た瞬間、本能で気づいてしまった。
──もし、神が存在するならば、アレはそっち側の存在であると。
「……メルゼシオン……」
アステリアは今にも途切れそうなか細い声で言った。
アルテミシア達はその言葉を確かに聞いていた。
知らぬ光景、知らぬ言葉。
だが、疑問は何一つ浮かばなかった。
何も言えない程に身体は硬直し、恐怖に支配されていたのだ。
レナの隣に立つアウラは怪訝な顔をする。
「メルゼシオン……あれの対処はアストルディアが行う制約になっているはず。何かあったのか……」
「アウラ、あれが何かわかるのか?」
「否、存在は解明されておらぬ。じゃが、一つ確実なことがある。あれを外側に行かせてはならぬと言うこと」
「外側に行かせてはならないだと? 僕達はフェルズガレア、そしてリセレンテシアの街を守るガーディアンだ。そんなおかしな話があるのか?」
「一言では語れぬ理由があるのじゃよ。そして、あれはわしらのことを絶対に許さない 」
アウラは黙り込んでいるアルテミシア達の方を向き、
「お前ら、死にたくなければ足掻け!! 生き残りたいなら命を賭せ!!」
大精霊の声は響き渡る。
不思議にもその声は凛々しい風と共に背中を押してくれたような気がした。
メルゼシオンは迫っていた。
口の存在しないはずのそれは、おぞましい絶叫を伝播させる。
憎悪に満ちた音は、レナ達の心を汚染するように。
上空には純白の巨大な光輪が生成されていた。
そして、七つの瞳はレナ達を捉えると瞳が大きく見開かれる。
アウラは「来るぞ!!」と警告する。
「『──ディア・アムレート!』」
アルテミシアは咄嗟に結界を展開する。
刹那、繊細な光の一閃がレナ達目掛けて放射された。
その一閃が結界に接した時、その結界は──パリンッ、と薄氷のように破られる。
レナとアステリアはカバーするように、武器で受け止める。
結界で威力が弱まってなお、その一撃は想像を絶する威力だった。
追撃は止まない。
メルゼシオンの神々しい七枚の羽から引き起こされる漆黒の暴風がレナ達を包み込む。
アウラは漆黒の暴風を打ち消すべく強力な風を引き起こす。
だが、このような暴風吹き荒れる惨状でまともにたっていられるはずもない。
レナとアウラを残し、周囲に吹き飛ばされて散り散りになってしまったのだ。
──そして、反撃の余地もなく第三撃は襲いかかる。
上空には再び光輪が生成されていた。
またあの攻撃が来る。
その攻撃を防ぐことはレナとアステリアにしか不可能であろう。
だが、レナの近くにいるのはアルテミシアとルミナのみ。
アステリアの立ち位置は、リアとリゼのちょうど中間だった。
「私は良いから!! お願いリゼを助けて!!!!」
悲痛の叫びが聞こえた。
が、無慈悲にも攻撃は放たれる。
レナは瞬時にルミナとアルテミシアを守るように、数多の一閃を受け止める。
悲痛の叫びを背に、攻撃を受け止める。
タングステン鋼の剣は徐々に欠けていく。
守られた少女は、一人の少女が光の一閃に穿かれる様を見ていた。
左腿、右足、両肩に大きな穴を穿たれ、右手は空を舞っていた。
リアの方を向いた少女の唇は「……ごめんね」と言ったのだ。
リアの叫びは、自我を捨てるように。
──カラン、カラン、何かの音がした。
──パリン、パリン、心が砕ける音がした。
突如消えた少女の叫び声。
クラリアスであるはずの特徴的な瞳は、純度の高いサファイアのように透き通り、明るい桃色の髪は神々しくも美しく変質していた。
「──許さない」
少女はメルゼシオンを睨むと、地を蹴り上空へと飛び上がる。
「──来て、アスカロン」
呼びかけると、その少女の手に顕現したのは、ラクリマではなかった。
──少女の手には、神々しく煌めく大槍が握られていた。




