第四章 14 『災害を招く風』
「ではそろそろ帰りたいところではあるが、ここで一旦四時間の休息としよう。長めの休息だが、リグモレス第一領域であるこの岩盤地帯から外に出ると、ここのような明るさは無くなる。暗闇を進むのはさすがに危険なので、日が昇る頃に出発しようと思う」
アルテミシアはそう提案すると結界を生成する。
途中で軽食はとったものの、今まで一度もきちんとした休息はとっていない。一度休息した方が良いだろう。
アステリアは小さいポーチから飴玉のような食料を取り出すと、カリッとひと噛みする。
「四時間後に起きるよ。寝ている時は僕に触れないでね。反射で殺しちゃうかもしれないから」
そう言い残すと、アステリアは結界の隅の方へ移動する。
小さく何かを詠唱すると、身体が淡い空色の光につつまれる。
そして、ものの数秒で眠りについた。
身勝手な行動に思えるが、アステリアからすれば寝ている時に敵襲があっても問題ない、ということなのだろう。
「私達は前半と後半で別れよう。前半は私、リア、リゼが見張り。後半はルミナとレナが見張りとする。」
レナはゆっくりと目を開ける。
目を開けたのは指定された二時間ぴったりである。
そして、目を開けると何故か目の前にリアがいた。
「あっ……えと、起こそうと思って。すごいね、時間ピッタリだ。」
ピッタリというのは言葉の綾ではなく、一秒単位の精度である。
それは、時計を見ながらレナの顔を見ていたリアには分かった。
リアは少し照れながら離れると、未だに爆睡しているルミナを起こしに行った。
アルテミシアはリゼの隣で「全く……つまらん男だ」と小さな声でぼやいている。
聞こえているぞ。
そして見張り担当は入れ替わる。
アルテミシア達が寝た頃。
少し離れた位置にいたルミナは「ねえ……レナ」と、近づいてくる。
もじもじと何かを言いたそうだが言い出せないような、そんな様子をしていたのでこちらから声をかけることにした。
「どうした?」
「あの……さ、リアのことなんだけれど、どう思ってる?」
「どう思ってる、と言われてもな……大切な仲間、守るべき仲間だと思っている」
「じゃあ、私のことは?」
ルミナは少し近づき、じっとレナの瞳を見る。
クラリアス特有の瞳は微かに揺らぎ、頬は赤みを帯びていた。
少し無理をしている様にも見えた。
不安定に揺れる瞳は、無機質ながら見るものを虜にするようなそんな魅力があった。
「ルミナも大切な仲間であり、守るべき仲間だと思っている」
たった数秒の静寂が時間を支配した。
ルミナがレナが視線を落とすまでの時間が長く感じたのだ。
自分の回答に嘘偽りは無い。
だが、それが正しい回答であったかは分からなかった。
ルミナは残念そうに「そう……なんだ」とこぼした。
そして、再び視線を上げ微笑んだルミナは、
「ごめんね、変なこと聞いて。レナには感謝してるんだ、本当に」
「大丈夫だ。僕の方こそルミナ達には感謝している。僕の居場所を、存在の意味を与えてくれてありがとう」
ルミナは「そんな、大袈裟だよー」と笑いかける。
分かっていた。
レナの心は動かない。
リゼと会い、レナに救われ、リアは変わっていった。
変わっていくことはルミナにとって望ましいことであり、親友として喜ばしいことである。
だが、同時に変わっていくことでより辛い思いをすると言うことも、ルミナは知っていた。
その後、ルミナとレナは一言も会話しなかった。
聞こえたのはアルテミシアの寝息と洞窟内を浮遊する光子の音。
何事もなく二時間が経過した。
アステリアはほぼ時間ぴったりに目を覚まし、アルテミシアとリゼはルミナが起こした。
アルテミシアは伸びをすると、
「よし、かなり疲れも取れたな。この洞窟内、かなり魔素の濃度が高い。私達精霊使いには助かる環境だ。では、帰るとしよう」
アルテミシア達は洞窟内から外に出た。
その後、岩盤地帯では数体のカルムエイラスと三体のメルギトルに遭遇したが、カルムエイラスは難なく倒した。
メルギトルからはルミナの提案で、レナが派手に魔術を発動させ逃げることに成功した。
岩盤地帯から外に出る頃には日が昇り、それなりに明るくなっていた。
「何とか問題の区域は抜けれたな。しかし、まだ安心は出来ない。最後まで気を引き締めよう」
アルテミシアがそう告げると、リゼ達は少しほっとした様子を見せた。
しばらく歩いているが、レナは不思議に思っていた。
「二度目になるが……やっぱりあまりにも魔獣に遭遇しない。これは普通のことなのだろうか?」
アルテミシアは前回、岩盤地帯では手練の者が倒して行った後だと言っていたが、今回は怪訝な表情をしていた。
「確かにおかしい。行きに遭遇したメルギトルも今思えば少し妙だが、あれを倒してもう一日経つ。それに、一体も遭遇しないのはさすがに妙だ」
そして、アルテミシアは気づくことになる。
「なんだ……この音は……?」
地面に耳を近づけると、自らの唇に人差し指を立て、レナ達に静かするようジェスチャーする。
「主要拠点の方角から何かの大群が来ている……!!」
アルテミシアは額に汗を浮かべながらそう告げる。
「た、大群?! まさかメルギトルじゃ無いよね?!」
ルミナは顔を真っ青にして後ずさる。
「そんなわけあるか!! メルギトルの群れははせいぜい十や二十だ。振動だけでは細かく分からないが、こちらに向かっている大群は優に二百は超えるだろう」
「二百?! ど、どど、どうすんのさ!?」
「まずいな……位置が悪い。そして時間もない。戦うしか無いのか……」
アルテミシアは爪を噛んでいた。冷静な判断を下してきた彼女にしては珍しい。打つ手がないとはこのことである。
「戦う?! でも、私達ここらの魔物一体に苦戦してたんですよ? どうやって……」
リゼの言っていることはもっともだ。アルテミシアもそれは分かっていた。
アルテミシアは唇を噛み、悔しそうに、申し訳なさそうに口を開く。
「こんな時まで惨めに君に縋る私を許してくれ。アステリア、この状況を切り抜けることは可能か?」
「僕一人ならどうにかなるかもしれない。けれど本当にその大群は二百なのかな? 君は振動を理由に話をしていた。それは地上の魔物の話だよね、そこに空中の魔獣は含まれていない」
そう、アルテミシアは見落としていたのだ。
あまりの異常事態故に、読み違えていた。
絶望の色はさらに濃く染る。
──そして、その大群は姿を表した。
地上と上空、合わせ五百を超える魔物の群れがアルテミシア達に向かって侵攻してきたのだ。
レナは考える。この窮地を切り抜ける方法。
自分がいくら本気で見境なく力を振るっても、この現状を悪化させるだけで覆せるとは思えない。
目を閉じ思い出す。
自分のさえ預けた信頼に足る存在を。
──アウラ。
レナは心の中で呼びかけた。
そして、四大精霊の一柱である『風の大精霊シルフ』はレナの前に姿を表した。
「のう、レナよ。やっとわしを頼ってくれたか。このいけずめ」
アウラは少しムッとした表情でレナの脇腹をつついた。
「そしてなんじゃ、これは。見たことないぞ、絶望的な光景は」
「すまない、アウラ。君の力を貸してほしい」
「ああ、もちろんだとも。わしが風の大精霊と言われる所以、見せてやろう。いくぞ、レナ」
「ああ」
二人は先頭へ立つ。
レナとアウラは全てを共有している。
今からやろうとしていること、どうすればそれができるのかが手に取るように理解出来た。
二人が手を前に向けると、アルテミシア達の周囲の空間そのものが振動する。
脳は揺れ、身体の中を揺さぶられるような感覚。
アルテミシア達はふらつき、リゼは膝をつく。
空間の魔素全てがレナとアウラに収束していく様に見えた。
──そして、その異能は行使される。
──それは、風の大精霊のみが行使できる災害級の力。
「「──メル・ウェントス」」
振動が収まると、周囲は一切の音のない空間と化した。
静かでは説明できないほどに、そこは『無』だった。
そして、変化は魔獣の大群を中心とした座標で起きた。
最初は小さな竜巻に見えたそれは、爆発的に拡大する。
中心部にいる魔獣は竜巻に巻き込まれ、逃げることのできぬ暴風の檻に閉じ込められる。
魔獣は血相を変えたように逃げ惑うが、竜巻の拡大は止まらない。
全ての魔獣を一体残らず呑み込むまで拡大し、竜巻は雨と雷を呼び寄せた。
魔獣は鋭い風に刻まれ、高速で打ち付けられる雨に貫かれ、数多の雷に焼かれた。
竜巻が消失した時、五百体をも超える魔獣がいたであろう場所は、地面以外何も残っていなかった。
──その光景は、まるで終末をもたらす災害のようだった。




