第四章 8 『第一領域』
翌日、必要な装備を整えたアルテミシア達はアルトセラス主要拠点の出口にいた。
装備を整えると言っても多くは消耗品の類だ。目新しい物といえば、レナの携えている剣だろうか。
「すまないな、アルテミシア。僕の剣まで購入してくれるとは」
レナは少し嬉しそうに剣を触っていた。
その剣はリグモレス第一領域前の拠点で売られるだけのことはあり、素材はタングステン鋼だった。硬度は高い反面かなりの重量だが、レナが扱う分には全く問題がないだろう。一般的な凡庸剣の部類では最高に近い代物である。
珍しく感情を露にするレナの様子を見たアルテミシアは口元を緩ませていた。
「気にするな、先行投資だ。その剣が私の命をも救ってくれるかもしれないからな」
笑顔で答えるアルテミシアにレナは「ああ、任せてくれ」と自信ありげに返した。
「それでは行こうか。リグモレス第一領域へ。ここから先には主要拠点のような安全な場所は一切存在しない。昨日言った約束をしっかりと守って欲しい」
アルテミシアは確認するようにリア達と目を合わせる。言葉はなくとも、十分に意志は伝わった。
◆◆◆◆◆◆◆
リグモレス第一領域へ足を踏み入れてしばらく歩いた。領域内とはいえ、主要拠点を出てすぐに環境の変化が起きるわけではない。
領域と領域の間には当然境目が存在する。アルトセラス程自然豊かではないが、まだその名残があった。
「リグモレスは三つの領域に分かれているが、それらを見定める指標が存在する。それは『空気の色』だ」
リア達は不思議そうな表情をする。空気の色と言われて何色か想像するのは難しいだろう。
「無論、空気に色がつく訳では無いのだが、実際体験したら言っている意味が分かると思うぞ。ほら、見えてきた」
アルテミシアが指差す先には、巨大な岩盤地帯が存在した。地盤は不規則に隆起し、幾何学的な形状の岩も多く見られた。この距離からみて形状が分かるということは、とてつもない大きさであることが分かる。
しかし、空気の色と言うのは今のところ感じるところはなかった。
しばらく進み岩盤地帯へ足を踏み入れた時、アルテミシアの言った『空気の色』を知ることになる。
その地は、見たこともないほど巨大な岩に太陽光は遮られ、暗くなるはずだった。が、そうはならなかった。その理由は巨大な岩の内側にあった。
岩の内側は、琥珀のような結晶で埋め尽くされていたのである。結晶は至る所に存在した。
色は違えどリア達が訪れた大空洞のような雰囲気に少し近い。
琥珀色の結晶は淡い光を放ち、空気を暖かな色に染めあげていた。アルテミシアが言ってた空気の色とはこの事だろう。
「会わないに越したことはないが、今のところ全く魔物などに遭遇していない。こんなものなのか?」
「なんだレナ、そんなに新しい剣の切れ味でも確かめたいのか?」
「いや、そう言うわけでもないが……」
戦いたい、と言うよりかは不穏な空気を感じているのだ。いっそ魔物でも出てきてくれた方が安心する。
「今私達が通っているのは、リセレンテシアで言うところの大通りのようなものだ。既に第二領域に足を踏み入れている者達が偶然狩り尽くしてしまっただけだろうな」
「私達はどこまで進む予定なんですか? アルテミシアさんが以前単独で来た時は第一領域にレリックは見つから無かったと言っていましたが」
リゼは少し不安そうに尋ねる。
レナでさえ少し気味が悪いと感じている空気感である。不安になるのも仕方がない。
「本来であれば、第一領域でことを済ませて帰りたいところだが、第二領域まで進む必要はあるだろうな。だが、前回の単独遠征で一つ気になる洞窟を見つけてな、暗そうだった故単独で調査するのはやめたんだ。実際にその現場まで行って、アステリアが知らない場所だったら調査してみようか。アステリアもそれで大丈夫かな?」
アステリアは「僕は構わないよ」と単調に一言。第三領域まで単独で探索に出るだけのことはあり、その表情一つ変化してなかった。
「アルテミシア、単純な疑問なんだが、単独で遠征に出た時って睡眠はどうしているんだ? 現在地まではさほどかかっていないが、第二、第三となると一日では辿り着けないだろう?」
「別に変わったことはしていないさ、簡易拠点と同じように結界を構築するんだよ。私の場合は契約精霊の特性上、結界を作るのは得意でね。リグモレスに探索に出る者達の中で弱い部類に入る私が単独で遠征に出れる理由がまさにそれだ。結界魔晶石と言う簡易結界を構築する道具もあるにはあるが……」
アルテミシアが懐から、淡いエメラルドグリーンの八面体をした結晶を取り出す。ルミナはいつものように目を輝かせる。
「ルミナはこう言うの好きだったな。いくらだと思う?」
「うーん。綺麗だよなぁ。希少な宝石だとしたら200万ルルとか?」
ルルとは通貨の単位である。直近で言えば、アルテミシアがリア達に奢った物価の高い五人分の食事が10万ルル。レナの新調したタングステン鋼の剣が120万ルルである。
「……1000万ルルだ」
「「──はぁっ!?」」
アステリアを除く全員が驚愕の声をあげる。1000万ルルの物なんてリア達にすれば見たことも触ったこともないのだ。
ルミナは口をパクパクしている。分かりもしないくせに、知ったかぶりをして200万ルルと言ったのだ。その5倍。
「しかも一度使えば壊れる。私には結界があるが、万が一の時用だな。疲弊して魔力も使えないなんて状況になったらそれこそ休息が必要になるしな。1000万ルルと言っても命には変えられないさ。」
確かにそれは言う通りではある。が、ルミナの空いた口は中々塞がらなかった。
たった1万ルルの水晶玉を大切にポーチにしまっている純粋な少女には決して理解できない価値観だった。




