第三章 13 『暗黒の片翼』
レナとアウラの精霊契約は結ばれた。
イリスとアルテミシアは特に何もしてないにもかかわらず、随分と疲れきった表情をしている。
「あ、言い忘れておった。わしとレナの契約体系じゃが、わしとて四大精霊の一柱故、常にレナの中にいる訳にはいかんので、そこはよろしく頼む。無論、レナには要らぬ心配だと思うが。魔眼はわしが離れていても使えるし、レナの中にはアルマもある。それに、わしは魔眼を通してレナの視覚を共有してみることもできる、何かあれば手助けにいこう。それと……」
アウラは目を伏せ言葉を詰まらせる。
どこか心配そうな、言いずらそうに口を開く。
「わしの魔眼のことなんじゃが……もし感覚的に魔眼の力を使えそうだと感じたのなら、自分を律し堪えて欲しい」
「できる限り尽力する。ちなみに、もし魔眼を使うとどうなるか、聞いても良いか?」
「すまない、それも言えぬ。レナは魔眼の能力を言葉で聞くことでおそらく簡単に使う事ができてしまう。不幸にも相性が良いんじゃよ。そのリスクがある以上伏せさせてくれ」
アウラはさっきまでと打って変わり大人しかった。
風の大精霊がここまで言うのだ。
魔眼を使う感覚と言うのが分からないが、もしその時が来たら冷静になるように心がけよう。
「いや、こちらこそすまない。色々とありがとう。これからよろしく頼む」
「ああ、もちろんだとも、レナ」
アウラは優しい表情で答えると、風と共に姿を消した。
色々異例の事態となったが、結果だけ見ればかなり綺麗にまとまったのでは無いだろうか。
「……未だに理解が追いついていない部分もあるが、レナの問題は解決したようで良かった。一旦私の家に戻ろうか」
すっかり静かになった場を仕切るようにアルテミシアは提案する。
その静けさは、話し終えたことによるものか、嵐の前の静けさか。
レナは違和感を覚えていた。
精霊を認識することができるようになったおかげか。イリスが無反応であることを考えると、そうでは無いのかもしれない。
束の間、静まり返る場を掻き乱すように、その正体を知らされることになる。
「っイリス様!! 大変です!! やつが来ました!! 片翼がっ……!! 暗黒の片翼がっ!!!」
とある女性のエルフはイリスの元へ慌てて転がり込んでくる。
「……なんだと?! 何故今頃……いや、今はそんなこと言っている場合ではない。空中戦となると……ドライアドは森の守りをできるだけ固めてくれ」
イリスが言うと森はざわめき初め、住居等を守る形で枝木は変形する。
レナ達は外に出て空を確認すると、かなり遠くの上空に漆黒のドラゴンが飛んでいるのが見えた。離れており細部まではよく見えないが、その右翼は酷く損傷しているようにも見えた。
「シャナ、いけるか?」
イリスは呼びかけると、強い光に包まれた後一人の少女が現れる。
だが、姿を現した金色の長い髪に黄金の瞳をした少女は悲しげな表情をしていた。
「この感じ……私達の感覚でも久しぶりだ。でも……イリスごめんね、私は戦いたくない。少なくともこの子は戦えない。そんな酷いこと、させることは出来ないよ」
なにかを確かめるように胸に手を当てるシャナ。その金色の綺麗な瞳は僅かに揺れていた。
この子とは一体誰のことなのだろうか。
イリスとシャナの契約内容を知っている。
強制的に力を借りることはできないだろう。もっとも、イリスがそのようなことをするわけもないが。
「だが、シャナが戦えないとなると……地上に降りてくる前にどうにか撃退せねば。大きな被害が出てしまう……どうしたものか」
「他に空中戦を得意とした精霊はいないのか?」
「空中戦を得意とする精霊はそれなりにいるのだが、問題は相手だ。遠い昔にエリュシオン様が右翼に大きな傷を負わせ撃退したと言われているが、長く脅威と語り継がれる程の相手だ。いくら手負いとは言え、準神級未満の精霊では相手にならないだろう」
それ程の存在が何故このタイミングで現れたのだろうか。
話を聞くに、イリスでさえも対して詳しく知らないのだろう。であれば、知っている者に聞くまでだ。
レナは悲しげな表示をしている少女の元へ歩み寄り、
「シャナと言ったか、僕はレナと言う。今襲撃に来ている脅威について知っていることがあれば、話しては貰えないだろうか」
「レナと言うんだ。君がこの地に足を踏み入れた時から気になっていたよ。あの子のこと? 魔獣でも、神獣でも無いよ。ましてやゼノンでもない」
神獣というのは初めて聞いたが、魔獣でもゼノンでもないと言うのは想定外である。
未探索領域から未知の生物でも紛れ込んだのだろうか。
「それじゃあ一体……」
「君たちがよく知ってある存在だよ。アレは、『咎人』だよ」
「咎人だって? あの姿が?」
「食らったのが精霊かヒトか、違いはたったそれだけだよ。でもね、一つだけ確かなことがある。精霊は契約を絶対に破らない。だから、あの子は悪くない。私もこの子も、あの子と戦うことはできないんだ。ただ……」
シャナのは悲しげな表情で言いかける。
あの子と称する存在、それはきっと契約者を食らった精霊のことだ。
そして、シャナの言うこの子はあの子と縁の深い存在であり、この場に呼ぶことさえ避けるほどに、辛い過去があったのだろう。
それでもシャナの瞳には覚悟があった。
辛い過去があろうと、上空に佇むあの子を苦しみから解放してあげると言う覚悟が。
たが、契約を破ったのはヒトだ。
であれば、咎を受けるべきもヒトであるべきだ。
あの子を苦しみから解放するために、精霊であるシャナが苦しむのは間違っている。
レナは確信があった。
これは自分がやらなければならないことであると。レナと繋がっているアウラが何も言わないのは、レナの思考を理解しているからである。
精霊同士で殺し合いをさせる結果を招くことが契約だと? 笑わせるな。
精霊を殺した汚い手を背負うべきなのもヒトであるべきだ。
だから僕は覚悟を決める。
──僕があの子を終わらせようと。
レナはシャナに歩み寄る。
そして、震えていた細いその手を優しく包み込む。
「君の大切な人をこの手で終わらせる僕の罪をどうか許して欲しい」
「……ぇ」
シャナは小さく口を開く。
レナは手を離すと、あの子がいる方向へと足を進めた。
その様子を後ろから見るシャナの目からは、大粒の涙が溢れていた。
いずれこうなることは分かってた。
大切な人を自らの手によって終わらせるその時が来ることが。
だが現実は違った。
突如現れた少年が代わりに手を汚すと言うのだ。
それも、事情を知らないにも関わらず『大切な人』と、そう言ったのだ。
まるで、偽善者が上手い口で精霊の心を弄ぶような話だが、レナの言葉の重みは決して偽善ではなかった。
この少年であれば、あの子を苦しみから解放できると言う確信があった。
偽善地味たことを本当にやってのける存在、それは今は無き存在。
──まるで、物語に登場する『勇者』のように。
小さな勇者は凡庸の剣を携え、自らの手を汚すべく前へ足を踏み出した。




