第三章 12 『契約の本質』
アウラを前にレナは考えていた。
契約の内容は確かに簡単だ。
精霊における共通の決まりに背けば契約者は咎人となる。それは受け入れるべき事実であり、その時点で死んだも同然と言える。
世界を守るという契約もガーディアンであるレナからすれば、当たり前の行為である。
問題はどちらもその境界が曖昧なことだ。
何をもって世界の破壊とみなすか、世界を守るとみなすか。
前者においては精霊共通が故に、その判断を精霊を下しているなにかが存在するはずだ。とは言え、精霊と契約するに伴うデメリットが大きすぎるのであれば、わざわざ契約する者が現れるとも思えない。
それは、精霊にとっても避けたい事実と考えられる。
だが、問題は後者だ。
契約精霊が定めたものである故に、言ってしまえばアウラの匙加減で定められた境界であるということ。
悪意を持って危険分子であるレナを排除することが目的であれば、それが狙いで契約自体を悪用することもできるのだ。
アウラは依然と、笑顔でレナの様子を窺っていた。
そこでレナは気づいた。
アウラに試されているのだと。
曖昧な契約内容を提示した上で、精霊のことを自分の命を捧げる覚悟で、信用するかを問われているのだ。
であれば、答えは簡単だ。
自分が何者であるかさえ未だ分からない。
それでも、ガーディアンとして世界を守ること、大切な人を守る時、そこが自分の居場所であると自覚できたのだ。
もし、自分が世界を壊し、あまつさえ大切な人を殺してしまうようなことになるのであれば、きっとそこに居場所は無くなるだろう。
レナは覚悟を決め、アウラを見据える。
「分かった、契約しよう」
「決まりじゃな」
そのやり取りをイリス達はただ見ていた。否、見守ることしか出来なかったのだ。
水をさすような行動をとったら、アウラがどう出るか分からない。その緊張感が常に張り詰めていた。
「で、契約ってどうやってするんだ?」
「一番手っ取り早い方法がある。要は、レナの血とわしのアルマを少量交換すれば良いのじゃ」
アウラは目の前から姿を消す。
すると、レナの頬を風が撫でた後、再びレナに後から抱きつく形でアウラは姿を現した。
アウラの口元は首筋に息がかかるほどに接近していた。暖かい吐息が、柔らかい完食へと変化した刹那、
「──っつ!!」
レナはアウラに首筋を優しく噛まれていた。
血の気がさっと引くような感覚。
それもそのはず、吸血されていたのだ。
レナの目は徐々にアウラの魔眼と同じ赤紫色へと変質していく。刹那、小さな音を立てアウラの唇は首筋から離れた。
なにかおかしい気がする、本当にこれが精霊の契約なのだろうか。精霊のことを詳しくしらないレナでさえ、疑問に感じた。
レナは、その様子を口を開けて見ているイリスにたまらず聞く。
「えっと、精霊契約ってこんなに感じなのか?」
「……そんなわけが、あるかっ!! それは言うと悪魔が一方的に契約を押しつける時にする行為だ!!」
イリスはたまらず爆発する。
悪魔、確かにしっくりくるような気がした。確かにこれで契約が成立するのであれば、強制的に契約させることも可能だろう。
無論、普通の精霊には実体が無いため不可能な方法ではあるが。
イリスはアウラに鋭い眼光で睨み返されると、再び黙り込む。
なんだか可哀想になってきた。
「話は変わるけれど、なんで僕はアウラのことを認識できたんだ? 契約に関しても実体が無い限り契約者の血を吸血するなんて不可能だろう」
「わしら四大精霊はな、基本的に精霊契約自体することはないのじゃよ。その理由の一つが実体のある器を所持していること。精霊が契約する一番の理由は、契約者の血をもって実体を得ること。簡単に言うと、契約とは力を貸す代わりに、世界の秩序を一緒に守ろうということじゃな。だが、わしらはその実体を既に有しておる。つまり、契約せずとも、同様の働きかけは可能なんじゃよ」
「ではなぜ僕と契約してくれたんだ? もしも、僕が悪人で死ぬつもりで契約して、アウラの力を悪に利用すると言う可能性だってあるのだろう」
「そうじゃな。だがその可能性は限りなくゼロに近いと考えている。わしの記憶上における2000年間において、数多の精霊が契約したのじゃが、咎人となった契約者は両手の指に収まるほどしかおらんのじゃ。つまりだ、精霊に好かれるとはそういう存在だと言うことじゃ。レナの場合は特殊でな、わしが気に入ったから契約したと言うのも本音ではあるが、放っておけなかったんじゃ。レナの力は世界の為に振るえば、必ずや良い影響を与える。だが、制御出来なければ、その逆になりかねない力でもある。だから、わしが手伝ってやろうと思ったのじゃ」
アウラは慈愛に満ちた表情で優しく微笑む。
その存在も、言葉も、レナにとっては感じたことの無い安心感があった。
レナは自分の力を心奥底では恐れていたのだ。
この力がもしも、自分の世界を、大切な者達を壊してしまったらと。
だが、アウラは言った。
契約において道を踏み外せば殺すと。理解されないかも知れないが、レナにとってそれは感覚的に一番安心出来る言葉だったのだ。
「ありがとうアウラ。僕は世界の為に力を使うよ。その判断は君がしてくれ。僕がもし道を踏み外したら、躊躇なく殺してくれ」
アウラは少し悲しそうな表情をすると、優しくレナを抱き寄せた。
「ああ、分かっているとも。そうならないように全力を尽くそう」
イリス達はその様子を真剣に見ていた。
とても普通ではない光景である。
目の前で交わされた契約は、取り方によっては歪んだ契約だ。
アルテミシア達精霊使いは、通常精霊契約を神聖なものと謳うが、それは所詮形だけのものである。
今、目の前で交わされた言葉と契約こそ精霊契約の本質であると、そう悟らざるを得なかった。




