第三章 11 『四大精霊』
──少女が立っていたはずだった。
レナが視線を向けると、再び吹く風と共にその少女の姿は消失する。
少女はっきりと視認する前に姿を消す。
束の間、背後に風が通り抜けたかと思うと凪いだ。
すると、心地よい風ではなく、心地よい感触がレナの背中にはあったのだ。少女の控え目にも柔らかな双丘はレナの背中に押し当てられていた。
「話は聞かせてもらったぞ」
レナに背後から抱きつく形で、その少女は口角を上げいたずらにイリスを睨む。
「あ、わ、あっ、あなた様はっ!!」
顔を真っ青に染めたイリスは今まで長い間座っていた椅子から転げ落ち、地に伏せる形で土下座する。
その姿は今までの威厳を全て無に帰すほどに下手であった。
そしてもう一人、イリスを上回る速度で土下座した者がいた。
アルテミシアである。
リア達はわけも分からず目を点にし、その様子をただ見ていた。
一体どう言うことだろうか。
エリュカティアにおいて、長はイリス・メイレンである。その長が土下座する対象。
精霊であれば、レナに見えるはずがない。
この少女が神様とでも言うのだろうか。
「えっと、その……誰だ?」
レナはただ冷静に尋ねる。
いきなり背後から抱きつかれたのだ。
「レナっ、なんて無礼をっ……」
アルテミシアは口篭る。
イリスもただ無言で土下座の姿勢を維持していた。
「わしか? わしはシルフ、いや……この器での名前はアウラじゃな、アウラと呼ぶがよい」
少女の割に変わった喋り方をする。
やはり、ただの少女では無さそうだ。
そして、未だに抱きつかれたままの姿勢故に、レナにはその少女の全容も見えていないのだ。
「えっと、アウラ? ちょっと離れてくれないかな」
──ガタンッ、イリスがビクついた衝撃で机の小物が地面に落ちたようだ。
何をそんなに恐れているのだろうか。
「おお、すまぬ。レナと言ったか、あまりにも良い匂いがした故、わしとて我慢出来なかったのじゃ。許してくれ」
アウラはレナから離れると、今度は正面に立つ。
セミロングの明るいエメラルドグリーンの髪は射し込む光に照らされていた。赤紫色の瞳は、髪とは対照的な雰囲気であるが、希少宝石にも劣らぬ美しさを宿している。
レナにもすぐに分かった。それが魔眼であると。
「大丈夫、いきなりで驚いたんだ。それより、何故イリス達は土下座をしているんだ?」
「ああ、こやつらは精霊に縁のあるもの達だからじゃな。わしは四大精霊の一柱、シルフである」
「四大精霊? そう言えばさっきイリスが言ってたな……精霊で一番高位の存在だっけ」
「ま、そういう事にはなっているのう。階級なんぞ、わしはどうでも良いと考えているが。……おぬしらも、いい加減楽にせい。そういう態度をとられるとこちらとしても面倒なんじゃ」
アウラは面倒くさそうな表情でイリス達を見る。
「しかし、風の大精霊様。そういうわけには……他の精霊に示しがつきません」
イリスは少し体勢を上げるとそんなことを言う。
風の大精霊、本人を前にして名前すら呼べないらしい。
先程レナが呼び捨てにした時に動転していたのはこのせいだろうか。
「わしより高位の存在ならこの地にもいるだろう。そやつに会う事があれば、おぬしらは命でも捧げるのか?」
アウラは皮肉を言う。
四大精霊より高位の存在の方が気になったが、様子的に今聞ける状況では無さそうだ。レナもそこまで空気が読めない男ではない。
「ですが……」
「もう良い、好きにせい。それよりも、レナのことじゃ。単刀直入に言おう……」
アウラは赤紫色の神々しい魔眼を見開くと、──バッとポーズをキメるように、
「レナよ、わしと契約せい!!」
「…………はい?」
レナは思考が追いつかない。
色々と不明点だらけだ。
「……大精霊様っ!! 何をお考えになられているのですかっ!! 」
あまりの衝撃にイリスは飛び上がる。
アルテミシアは口をポカンと開けたまま放心状態になる。
「なんじゃ? わしはレナと話しておるのじゃ。──余計な口を挟むな」
アウラはキリッとイリスを睨む。
刹那、身体を切り裂くような、鋭い風が吹いた気がした。
イリスは青ざめると、黙り込み再び伏せる。
「で、どうじゃ? わしは魔眼を持っておるぞ、それもそこらの精霊とは比べ物にならんほどのな」
「確かに、僕が今抱える問題の解決には魔眼が必要だ。願ったり叶ったりなんだが、どうして四大精霊程の精霊が僕と契約したがるんだ? イリス達の反応を見るに、異例なんだろう?」
イリスは言っていた。
高位の精霊との契約はより厳しいものになると。その相手が四大精霊ともなると、一体どう言った内容を提示してくるのか。
「そうじゃな。わしはあくまで保有している記憶の話じゃが、2000年前からこの世界に存在しておる。その歴史において、わしと契約した者はいまだかつてゼロじゃ。契約したがる理由は、わしの私欲じゃ。四大精霊と言うからには、わしの他にも同格の精霊が存在してな。火の大精霊サラマンダー、またの名をフレア。水の大精霊ウンディーネ、またの名をアクア。地の大精霊ノーム、またの名をラピス。いずれもわしとは腐れ縁でな。ラピスは籠りっきりだから問題ないが、フレアとアクアは別じゃ。レナの匂いを嗅ぎつけたら間違いなく手を出すじゃろう。だから、先に唾をつけておこうと思ったんじゃ。しょうもない理由でがっかりしたか?」
アウラは頬を染めてレナを見つめる。
「いや、そんなことは無いが……」
2000年も存在するような風の大精霊が私欲で契約。
にわかにも信じ難い。
「高位の存在との契約は、より厳しい契約内容になると聞いたが、契約内容について聞いても良いか?」
「なんじゃ、そんなことか。全然大した内容じゃないぞ。精霊契約において、共通する内容は知ってるじゃろ?」
「……世界の破壊行為を禁ず、だよな?」
「そうじゃ。では、咎人になった契約者がどうなるかは知っているか?」
「いや、詳しくは知らないが、精霊は消滅するんだよな?」
「そうじゃ。問題は契約者側の話でな、咎人となった契約者は消滅しないんじゃよ。精霊を喰ろうてしまうんじゃ。そうなると、手もつけられないような化け物になってしまってな。故に、『咎人』と言われておる」
契約を破って消滅するのが精霊というのはあまりにも悲惨すぎる話だ。ましてや契約者に食われると言う。咎人と言われる所以が理解出来た。
「まあ、一旦それは置いておこう。わしとの契約内容じゃったな。繰り返しになるが、簡単な話じゃ。わしが提示するのは、一つ、世界の破壊行為を禁ず。二つ、世界を守ること。以上じゃ。安心せい、契約を破った場合、レナは咎人となることもない。 もし、レナが契約を破ったら……」
レナは思い出すこととなる。
契約無しにヒトを信用するほど間抜けでもないという言葉。
そして、知ることとなる。
何故2000年もの間一度も契約しなかった大精霊がレナの前に、都合よく現れた、その意味を。
「──レナにはこの世界から消えてもらう。」
頬を染めた精霊の少女は言ったのだ。
そこにいたのは少女の形をしただけの純粋な精霊であった。
世界を破壊すれば殺す。
世界を守れなくても殺す。
その契約は、一人の少年を再び守るという妄執の檻に閉じ込める鍵でもあった。




