第一章 2 『アストルム』
焦げた空気が立ちこめる戦場に、少女が二人、静かに佇んでいた。
この地に生き残ったのは、負傷したリアとルミナ──クラリアス所属のガーディアンだけだった。
彼女たちが対峙したのは、災厄級の魔種ゼノン。
想像を絶する激闘の果て、肉も骨も焦げるような臭気と共に、辺りには瓦礫と血痕しか残されていない。
それでも、生きていた。
二人はその戦いの功績を認められ、とある施設への再配属が決まった。
その名は《アストルム》。
ガーディアンという存在は、基本的に各地の施設に所属し、生活や任務のすべてをそこに根ざす。
つまり、それは新たな居場所であり、新たな戦場を意味していた。
「リアーっ!! やったよ、昇進だってさ!」
ルミナが元気いっぱいに駆け寄ってきて、腕章を突き出す。頬は嬉しそうにほころび、無邪気な笑顔が宙に跳ねた。
ガーディアンには明確な階級制度が存在する。
最上位から順に──セラフィス、アイズ、ファースト、セカンド、サード、そして見習いのステラ。
リアとルミナは、これまで第二階級に属していたが、今回の戦功により、第一階級への昇進が正式に決定した。
「……うん。これは、私たちが護りきった証だと思う。
そのことだけは……きっと、間違いじゃないよね」
リアは自らの腕章に指先でそっと触れた。新たな刺繍が、布の奥に誇りと重みを刻む。
「そうそう。うちらにとって階級なんて、評価の指標みたいなもんでしょ? このままバッサバッサ倒して、最上階まで駆け上がっちゃおーよ!」
ルミナの言葉は、冗談のようでいて、クラリアスにとって正道そのものだった。
けれど──
(……あんなに笑えるの、少しだけ羨ましい)
リアの心には、戦場に置き去りにしてきた影が、今も薄く残っていた。
◇◇◇◇◇◇◇
アストルムへの配属は迅速に決まり、二人は短い移動の後、施設に到着した。
コンクリートと神鉄で組まれた外装は、堅牢そのもの。
しかし敷地内に広がる庭園には、手入れの行き届いた花々が咲き誇り、その無骨さを和らげるように温もりを添えていた。
荷をほどいて間もなく、管理人の呼び出しが入った。
「こんにちは。私はネイト・ストレシア。アストルムの管理を任されてるわ。今は遠征に出てて不在の子もいるけど……とりあえず、簡単に自己紹介をお願いね」
「ファースト、クラリアスのリアです。よろしくお願いします」
「同じくファースト、クラリアスのルミナ! よろしくー」
ネイトは微笑を浮かべると、「ありがとう、二人とも。細かい話はあとで」と告げ、皆の待つホールへと二人を導いた。
「リア、ルミナ。よろしくね。私はリゼ・レグラント。階級は同じくファーストよ」
最初に声をかけてくれたのは、落ち着いた瞳の少女だった。
焦げ茶色のセミロングに、赤茶の瞳──クラリアス特有の異能の輝きはなく、彼女が〈ヒト〉の少女であることが一目でわかる。
けれどその笑顔には、見知らぬ他者を包み込むような温かさがあった。
「私はクラリアスじゃないけどね。この子たちは同じクラリアスだよ」
「……アルテア、です」
「タリアです」
「同じく、メリエラ」
「アルテア、タリア、メリエラ。うん、よろしくね」
リアは柔らかく微笑み、名を繰り返した。三人とも、均整の取れた制服の腕章をつけている。
アルテアがファースト、タリアとメリエラはセカンドのようだった。
「よろしくー」
ルミナのノリが軽いのはいつものことだが、クラリアスに対しては、その態度がいっそう顕著になる。
無邪気なようでいて──どこか突き放すような、あるいは、心からの関心を欠いたような、そんな空気をまとっていた。
本人に悪意はない。けれど、その“無関心”は確かに、根の部分に根ざしている。
ルミナは、クラリアスという存在そのものに、興味を持っていない。
◇◇◇◇◇◇◇
アストルム配属から数日後。
「リア、今日は洗濯お願いねー」
「了解。リゼも夕飯、よろしくね」
リアの担当は洗濯。
というより、アストルムで唯一まともにこなせる仕事が、それだった。
決して不器用なわけではない。むしろ、アストルムの他の面々の家事能力が高すぎるだけだ。
そう言い聞かせなければ、やってられなかった。
……でも。
ここは前の施設よりも居心地がいい。洗濯の量も少ないし、設備も整っている。
(少人数で、でも精鋭。そんな感じだ)
リアが物干しに洗濯物を並べながらふと視線を上げると、夕日が瓦屋根の向こうに沈みかけていた。
金色と朱の間を漂う空。戦場では見られなかった穏やかな世界。
それを、今はまだ──信じきれずにいる。
キッチンでは、リゼが腕まくりをして料理を始めていた。
彼女の作る食事は、まるで魔法だった。口に入れると、じんわりと胸の奥が温かくなるような、不思議な味。
「ふふふ。任せなさい」
胸を叩くリゼの笑顔に、リアの口元がふっと緩んだ。
ルミナはと言えば、相変わらず掃除に没頭している。
鏡の水垢を完全に落とし、窓ガラスの指紋まで細かく拭き取る。
何かに取り憑かれたような几帳面さで、埃一つ許さない勢いだった。
ガーディアン施設では、管理人が業務処理をする一方、ガーディアン自身が生活の大部分を担う。
食事、掃除、洗濯──ときには、後進の世話までも。
この日常こそが、彼女たちにとって「ヒトらしく生きる」ための、唯一の場だった。
(……クラリアスである私が、ヒトとして生きようとすることは、傲慢だろうか)
胸にわだかまる問いを抱えながら、リアは物干し場を後にした。
西風が、彼女の髪をそっと撫でていた。




