第八章 10 『最強』
──白い景色がどこまでも広がっていた。
そこには、自分以外には何も存在しない。ただ、どこまでも純粋な白。
いつからだろう、ボクは感情が希薄になっていた。
記憶も曖昧で、何か大切なことが抜け落ちている気がする。漠然とした使命感はあるが、それが何かは思い出せない。
考えようとすると霧が立ち込め、頭の奥が霞む。
ただ、ボクには圧倒的な力があった。
敗北という概念すら、想像するのが難しい。
◇◇◇◇◇◇◇
王都アスティルフェレス、レディアライト騎士団本部。
最上階のこの場所は、施設として神樹の頂上に最も近い。
天井のステンドグラスから射し込む光が色鮮やかに一人の少女を照らしていた。
エクシアはただ静かに佇み、神樹の頂を見つめている。
レディアライト騎士団との関係は特殊で、協力を求めても彼女の気が向かなければ動かない。
──もし彼女を動かせる可能性があるとしたら……
「──エクシア様」
「……ん」
エクシアは、まるで無関心であるかのようにゆっくりとミシェルへ視線を移した。
「改めて、メルゼシオンの件、ご協力ありがとうございました」
「……別にいい」
「実は一つ、お願いがあるのですが……」
「……」
「再びフェルズガレアへ同行していただけませんか?」
「……どうして?」
エクシアの冷たい声がミシェルの首筋を鋭く撫でた。彼女自身に悪意があるわけではないと分かっていても、身がすくむような錯覚を覚える。
ミシェルがエクシアに対して腰が低くなるのは立場故ではない。本能が『格が違う』と訴えているからだ。
「それは……調査のため……いえ、なんでもありません。ただ、黙って同行していただけませんか?」
最上階とはいえ、どこに耳があるか分からない状況だ。先ほどもイシスに釘を刺されたばかりである。
「……話にならない」
興味を完全に失ったかのようにエクシアは再び神樹へ視線を戻した。
やはり、そう簡単にはいかない。
ミシェルは決意を固め、深く息を吸った。
「……では、力ずくで同行してもらう、と言ったら?」
「……本気?」
エクシアがこちらを睨んだ。その視線は冷たく鋭いが、微かに口元が緩むのをミシェルは見逃さなかった。
オルティナが言っていた意味がようやく理解できた。
「はい──」
ミシェルが頷いた刹那。
エクシアはいつもの純白の特大剣ではなく、細身の剣を顕現した。
神々しく放たれた光は瞬時に剣へと収束し、エクシアはミシェルとの距離を一瞬で詰めた。
ミシェルはその踏み込みの動きを寸分違わず捉えた。その刹那、ミスティルテインを魔道具から取り出し、左足を後方へ下げて体勢を整え、エクシアの斬撃を紙一重で受け止める。
衝撃が剣を伝い全身を駆け巡った。本来なら砕け散っていたはずのミスティルテインは、驚くべきことに無傷のままだ。
エクシアの瞳がわずかに見開かれる。数秒の沈黙が流れ、エクシアはゆっくりと剣を収め、初めてミシェルと正面から視線を交えた。
「……驚いた。普通じゃない」
「いきなりですね……剣が折れていれば死んでましたよ……」
「……ッふ」
エクシアが、珍しく吹き出すように笑った。
今の攻防よりもその笑顔に、ミシェルは衝撃を覚えた。
「な、何ですか?」
「君がこの程度で死ぬはずがない。でも、ボクの一撃を受け止めた人間を初めて見た」
「褒めていただくのは嬉しいですが、手加減していたでしょう?」
「ボクが本気で斬りかかったら、この建物も崩壊するよ」
「あ、はは……」
冗談じゃない。
この騎士団本部は、アストルディアの神位権限魔法士たちが七神の力を借りて築き上げた特別な施設だ。それすら一撃で崩壊させるなど、想像したくもない。
現に今の一撃は、ゼルグから受けた一撃よりも遥かに重い。正直、折れなかったミスティルテインと、受けきれた自分の力を信じられない感情もある。
「……少しは同行する気になりましたか?」
「ん……君より強い人間はいるの?」
「ええ、います。現時点で少なくとも二人……いや、三人かな……」
「ボクも一人は心当たりがある。以前、君は誤魔化したが、あの少年にも興味がある。それに……」
エクシアの視線は魔道具へ収納する最中のミスティルテインへ向けられていた。
神器同士がぶつかり合ったことで何かを感じ取ったのだろうか。
少年とは間違いなくレナのことだろう。しかし、この場ではその名を口には出さない。
「ならば、きっと良い刺激になるでしょう」
「……うん、分かった。同行する」
「ありがとうございます。それでは移動手段を手配しますので、しばらくお待ちを」
「手配? めんどくさいからそのまま行けばいい」
めんどくさい、とはおそらく時間のかかる移動手段を指しているのではない。エクシアは、自身の身体能力だけでフェルズガレアに向かう気なのだ。
考えてみれば、前回エクシアとアストルディアに帰った時もそうだった
常人ならば耐えられない猛烈な風圧と、内臓が押し潰されるかのような圧迫感。
再びそれを体験すると思うと、ミシェルは身の毛がよだつ……
ミシェルは思わぬところで、決意を新たにすることとなった。




