第八章 7 『傲慢』
煌びやかな光景が眼下に広がっていた。
宝石を散りばめたかのように、無数の街灯が夜の王都を照らしている。磨き上げられた大理石の道に、風に揺れる王旗、遠くから漏れ聞こえる人々の喧騒さえ完璧な調和を見せていた。
──私は、この完璧な光景が好きになれない。
かつて、私は食べる物もろくになく、目を閉じれば二度と開けられないかもしれないほどの、暗闇と飢えに支配された日々を生きていた。
初めてここへ連れてこられたとき、私はここが楽園だと錯覚した。
塵一つない王都には、生活に必要な物は何でも揃っていた。魔獣も神獣も存在せず、ゼノンへ変質する者すらほとんどいない。この完璧な世界の治安を維持しているのが騎士団だ。
幼い頃の私は、どういうわけか、その王都で最強の騎士団、レディアライト騎士団の団長に拾われた。
──それなのに、どうして争いは絶えない。
生きるために戦い抜いた果てが楽園ではなく、こんなにも醜いものだったと、私は知りたくなかった。
醜い人間の欲望は、本来の幸福すら歪ませてしまう。
当たり前では駄目だ。
私がここにいる意味を考えろ。
──私が正さねば。
アストルディア、王都アスティルフェレス騎士団本部にて、ミシェルはうず高く積まれた書類の前に座っていた。
しばらくフェルズガレアに赴いていたのだから、この量は仕方ない。むしろ少ないくらいだ。きっとアルゼンがほとんど処理してくれたのだろう。最高責任者としての確認作業だけなら、呼吸するより簡単な仕事だった。
九割方の確認を終えたとき、正面の扉が軽くノックされる。ここへ入室できる人物は限られている。アルゼンか、他のパラディンか、あるいは──
「どうぞ」
「──失礼するよ」
扉を静かに開け、足音さえ響かせずに入ってきたのは、高身長の女性だった。肩まで切り揃えられた瑠璃色の髪が優雅に揺れ、モノクル越しに煌めく黄金の瞳は、氷のように冷たくこちらを射抜いている。
ミシェルの胸が激しく脈打ち、背筋に冷や汗が伝った。最悪のタイミングだ。この後のことを考えると、最も会いたくない人物が目の前にいる。
「ここに来られるとは珍しいですね、イシス・ネクロシス学院長」
「珍しくはないさ。私の行動は一貫している。君は私がここに来た理由を理解しているはずだ」
「……はは、心当たりがありませんね」
「そう警戒するな。君は一組織のトップだ。指示を待つ立場ではない。自ら決断し、行動することが出来る──私がそうしているように」
「フェルズガレアの武闘大会の件ですか? 興味深い者が多くいました。騎士団に招き入れたいほどにね。もっとも、肝心な場面で邪魔が入ったため、その後始末を手伝っただけですが」
「ほう……後始末か。王都最強の騎士団長がいながら、即座に解決できなかった、と」
イシスの声に皮肉が滲む。その瞳に、一瞬だけ狂気にも似た異質な光が揺れた。
「ははは、買いかぶりすぎですよ。世界は広い」
「私を前にして、言葉を濁すか──」
イシスは鋭い視線を注いだ後、静かに告げた。
「──その程度では、私は満たされない」
イシスの瞳の奥には、僅かな狂気が潜んでいるようだった。ミシェルは咄嗟に剣の柄に指をかける。攻撃されるまでは絶対に抜剣してはならない。
過去の記憶が脳裏に蘇る──かつて冷静沈着だった学院長の人格が、突然豹変したあの時の記憶が。
原因は不明だが、今まさに同じ兆候を感じ取っていた。
「まあ良い……楽しみは後に取っておこう。その方が満たされる。君は自由に動くと良い。だが、次に私が問うたとき、つまらぬ回答で失望させるなよ、剣聖。ペンタクスは私ほど寛容ではない」
エクレスティア学院長、イシス・ネクロシス。
レディアライト騎士団長、ミシェル・アストレア。
互いに特別な立場にあり、特別な存在である。
ペンタクス──イシス・ネクロシス、アスタロテ・ランヴェラダードの二人を除いた、五人の神位権限魔法士。自身の全てを七神に捧げた者達。その権力は計り知れない。
アストルディアの騎士団長でありながら、魔法を行使できないミシェル。だがその影響力は侮れない。
故に、ペンタクスはそんなミシェルを野放しにしておくことができないのだろう。エクレスティア学院長として、アストルディアの住人である、オルフェイアを正しき道へ導く。そんな役割を担っているイシスにも、何かしらの圧力がかかっているのかもしれない。
これは私の自論だが、人には皆それぞれの信念がある。
レディアライト騎士団は人々を守る使命を負い、その団員もまた各々の正義を体現している。
だからこそ、だから私たちは戦えるのだ。
「──はい。正義の名のもとに、この世界を守ります」
ミシェルは胸に手を当て誓う。
誰が何と言おうと、私の正義は揺るがない。歴史が正しいと誰が決めた?
私はアストルディアで騎士団長となった時、決意した。
自分の正義を揺らぐこと無く体現し続けると。
私が間違っていると思うなら、誰でも立ち塞がればいい。
私はその悉くを切り伏せる。
──たとえそれが、神であってもだ。




