第七章 10 『人質』
薄暗い空間に、私はいた。
リセレンテシアよりは暑いが、耐えられないほどの気温ではない。
閉鎖されたこの空間では、時刻を確認する方法がない。これは私の感覚だけれど、攫われてから三日目くらいだろうか。
ゼルグ・エインドハルグという大男は、私をここに監禁して以来、姿を見せていない。
ここには生活に必要なものは一切ない。そもそも、誰かを監禁するための空間ではないのだろう。
両腕は動く。ラクリマを顕現させて、この拘束を破壊することはおそらく不可能だ。そもそも、魔術すらまともに行使できそうにない。
時折投げ込まれる、死なない程度に必要な最低限の水と食料。
汚れた地面に乱雑に落ちている食料に手を伸ばす。
──レナは必ず助けに来る。
傲慢な私は、レナに呪いをかけたのだ。
だから、この程度の苦痛で音を上げることなんてできない。
──レナが助けに来るまで、私はどれだけ惨めな目に遭っても、必ず生き残るんだ。
入口に人影が見えた。
食料を投げ込む人物はいつも違う。当然ながら、私の近くまで足を運ぶ者はいない。
人影は消えかかる灯火に、再び強い炎を灯した。
全ての灯火を灯し終えると、人影はゆっくりと私の方へ近づいてくる。
黄金の瞳は真っ直ぐにこちらを見ていた。
女性的な顔立ちと純白の髪は、どことなくレナに似た雰囲気を持っていた。
「モルドレッドのやつめ。まったく、酷いことをするものだ。これが儚き少女に対する仕打ちか」
声は透き通るような中性的なものだった。
リアの惨状を前に、一瞬、顔を顰めた。
それは、慈愛の表れか。否、軽蔑したようにも見えた。
だが、リアの前に立った人物は空に手を伸ばし、
「──メルティ・フォルゼ」
──詠唱と共に、音が消えた。
──空間を一瞬、無が支配した。
刹那のこと。
床についた汚れ、衣服に着いた汚れ。肌についた汚れ、傷はすべて綺麗に消え去った。
全てが金色の光子となり、空中で霧散する。
心なしか、私の胸に滞留していた負の感情までもが「浄化」されたような、そんな感覚だった。
「何が……起こったの……?」
「言っておくが、これは"浄化"などと言う、崇高なものではない。ただ、汚れを変質させただけさ」
「私には何が起きたのか分からないけれど……ありがとうございました」
「構わないさ。時に、何か言いたそうな顔だね。言うだけなら自由さ。私に君をどうこうすることはないよ」
「……モルドレッドとは、ゼルグ・エインドハルグのことですよね? あなたは誰なの? なぜレナは狙われるの?」
「そうだね。ゼルグ・エインドハルグはモルドレッドだ。私については……うむ……ファフニールと名乗っておこう。レナが狙われる理由か……すまない、私にもゼルグ・エインドハルグがレナを求める理由は分からない。私にとってモルドレッドは大切な人だが、それはゼルグ・エインドハルグではない」
ゼルグ・エインドハルグがレナを求める理由。その言い回しが気になった。そして、ファフニールと名乗った人物は、レナのことを自然に呼んでいるように聞こえた。到底"他人"とは思えなかった。
「……あなたは、レナを知ってるの? どうして私の話を聞いてくれるの?」
「……知らない。私は何も知らないよ、レナのことも──君のことも」
ファフニールを名乗った人物は静かに答えると、食料を丁寧に置き、外へ出ていった。
「……どうしてだろう……初めて会った気がしない」
リアは胸を撫で下ろした。
理由は分からないが、話している時、安心するような、落ち着くような、そんな感覚だった。
思えば、レナといる時は常にそうだった。
そばにいることが当たり前になっていた。
想うだけで、安心する。
レナだけじゃない。ルミナも、リゼも、みんなのことを考えるだけで、私は強くなれる。
──離れていても、この想いは、きっと届くから。
「みんな……会いたいよ……」
◇◇◇◇◇◇◇
レナ達は、ルミナが生み出した岩壁の中で仮眠をとっていた。十分に広いとはいえ、異性と同じ空間で寝るのは気が引ける。
ルミナが一番気にしそうだと思っていたが、その様子はまったくなかった。否、気にしている可能性はあるが、一番端っこで背中を向けて寝ているので、実際のところは不明だ。
いずれにせよ、オレは氷が溶けたら生成し直す必要があるため、必然的に中央にいた。
『──ッ、会い──ッ、──よ』
ルミナ達を起こさないよう、静かに氷を生成した時のこと。
──声が聞こえた。
途切れていて、ほとんど聞こえなかったが、よく知っている声だ。
『レナ、どうした?』
回復のために実体化を解いていたアウラの声がした。
『今、何か言ったか? いや……さっきのはリアの声だった』
『リアの声じゃと? どういう意味じゃ』
『頭に響いたんだ。言葉は途切れてて、上手く聞き取れなかったけれど』
『うむ……リアの声が届いた……? いや、そんなことがありえるのか……分からぬ……ただ、それが本当であれば、リアはまだ無事だということじゃ』
『ああ、間違いない。きっとリアは無事だ』
『そうじゃな。ほれ、レナも休むが良い。わしは十分休んだ。氷の面倒を見ておいてやろう』
『ありがとう。そうするよ』
レナが眠りにつくと、アウラは静かに実体化した。