第七章 9 『剣聖の話』
岩壁の中は、完全に快適な空間と化していた。
ミシェルの発想を元に、ルミナが完璧に実現してみせた。広さも五人で過ごすには十分だ。
中央には室内を冷却するための、大きな氷を置く場所がある。この氷が溶けると、地面に作られた水の通り道を流れ、外に排水される。氷が無くなったら、レナが魔術で氷を生成するといった手筈だ。
「結界を張っておいた。破壊されれば私が知覚できる。と言っても、おそらく結界が破壊される前にミシェルが気づくと思うが」
「任せて欲しい。私は危機察知能力だけでここまで来たと言っても過言では無いからな」
「そういえばさ、ミシェルってアストルディア出身なの? 私はアストルディア出身と言えば、闘技場で見たいけ好かない人のイメージが強いけれど……」
「その節は申し訳なかった……確かに、彼らのような者が多いのは事実だ。そこで、私の出身の話をする前に、一つ質問しよう。アストルディア、特に王都アスティルフェレスは、フェルズガレアより安全な土地だ。フェレスガレアで必要とされる能力は、簡潔に言うなれば、生き残る為の力。では、アストルディアで必要とされる能力はどうだろう?」
「うーん……結局力は必要だと思うけれど……安全ってことは実際に戦うことも無いんだよね……」
「そうだ。力を持っていても、それを行使する場面は限られている。例えば、窃盗に暴力を駆使することはできるだろう。ただし、それは王都アスティルフェレスの住人として、基本的に許されることではない。それはリセレンテシアでも同じだろう? これ程発達した生活の中で、暴力で解決しようものなら、そいつはすぐにつまみ出されてしまうからね。レナはどう思う?」
「そうだな……少し不敬な言い方に聞こえてしまうかもしれないが、"肩書き"だろうな。実際に戦う場面が少ない以上、その者の能力を示すのは肩書きだ。フェルズガレアで言うところのガーディアンの階級制度。その他にも何か功績を残したものはそれが肩書きになる。ただし、フェルズガレアでは、誰もが脅威の対象だ。いくら肩書きがあろうとも、守ってもらわなければ、そこまでと言うことだろう」
「素晴らしい。その通り、アストルディアで最も必要とされる能力は、レナが言うところの"肩書き"を得る力だ。その種類はフェルズガレアの比ではない。財を成した者、技術の発展に大きな功績を残した者、その血縁者。そして、絶対的な脅威、メンゼシオンを打ち倒す程の力を持った騎士団。騎士団という肩書きが強いのは、安全な世界にいるからこそ、戦闘力は希少な存在となる」
「なる……ほど?」
ルミナは理解しながらも、いまいちピンと来ていないようだ。
「すまない。回りくどい言い方になってしまったね。要は、アストルディアとフェルズガレアでは、人が育つ環境が全く異なるということだ。そこで、今度はこちらから問おう。私のような人間がアストルディア出身だと思うか?」
「思わない……けれど、アストルディア出身で無ければ、必然的にフェルズガレア出身ということになるけれど、そんなに強ければ、フェルズガレアで有名だったと思う」
「なるほど、確かに"リセレンテシア出身"だったら、そうだろうな。私のような者は浮いてしまうだろうな。だかね、私にとって、アストルディアは当然のこと、リセレンテシアすらも安全過ぎる」
アルテミシアは、物音をたて、体勢を前のめりにさせる。
「ちょっと待て。口を挟んで申し訳ないが、ミシェルはリセレンテシアの外については詳しくないのだろう?」
「ああ、そうだ」
「私達が今向かうリグモレスの狭間、についても同様だう?」
「──そうだ」
「待ってくれ、やはりおかしい。リグモレスは人が住めるような場所では──」
「リグモレスは人が住める場所ではないと? そんなはずは無い。なぜなら私は──」
「──リオノドス出身だからだ」
ミシェルは真剣な眼差しできっぱりと答えた。その表情からは、リグモレスでさえ生ぬるい、と言うほどのナニかを感じた。
考えてみれば当然のことでもある。歴代最強の"剣聖"、そんな存在が、"才能と努力"だけで生まれるはずがないのだ。彼女をそうさせた、ナニかが必ず存在する。
「──なっ……」
アルテミシアは言葉をつまらせる当然のことだ。リオノドスは、リグモレス第三領域の更に外、探索限界と呼ばれる未開の地だ。セラフィス階級であっても、まず帰ってこれない、否、セラフィス階級という貴重なガーディアンを、探索に向かわせることはクロスティア学院がしないだろう。
その情報は、探索を生業としてる身元も不明な猛者達から聞こえてくる噂の類だ。
そんな土地で生まれ育ったと言う。言葉を失わずにはいられない。
「私は、運良く生き残った。強く無ければ、生き残れなかった。ただ、それだけだ」
剣聖は一瞬、表情に翳りをみせた。
「ミシェル……」
「私はリオノドスの領域外に足を踏み入れた事がない。その先になにがあるか、私には薄々分かってる。ただ、確証がない。だから私は、アストルディアに行くことにしたのだ」
「騎士団長ともあろう者が、部隊の指揮を下げてしまったね。申し訳ない。ただ、君達には知っておいて欲しかった。無論、まだ話したいこともたくさんある。が、それはリアを救出してからしよう」
ミシェルはいつもの笑顔で答えた。