【短編】襲名者
ヤツは通称グラッカ。真名イグニアル・ブラスタール。真名の意味は『燃え立ち、噴く者』。
その名の通り、眼前のヤツは全身から火を吹き出し怒り狂っている。
「カラナ! 貴様をこの炎で灰にしてやる!」
叫んだ。荒い鼻息が熱どころか火を帯びている。ヤツの周りの風景が熱気で歪む。
全く名前通りの男だ。当然だ。それが絶対なのだから。名は体を現し、名は能を示す。名は己の存在証明であり、名は絶対的な価値であり、名は命……、
それが常識、それが世界の真理だが……。
「貴様、何がおかしいッ!?」
また叫んだ。ヤツの肌の毛穴から火の粉が噴いている。激昂も火のごとく。名は体を現すの典型例だ。
しかし言われて気が付いた。そうか、俺は笑っていたのか。
許せ、別にお前を嘲笑ったわけじゃない。と、心の中で思うが、口には出さない。
「笑うなぁッ!!!」
俺はまだ笑っていたらしい。それがヤツをキレさせてしまった。
ヤツが大口を開けた。そこから三つの火球が放たれた。
人間の頭ほどある火球が迫る。当たれば死ぬ。申し分のない火力だ。それがいい。でなければ価値がない。名前負けしているんじゃ意味がない。
火球に向けて俺は手をかざした。てのひらから大量の水を生成する。それが俺の能力。さらにそこに風を送り込む。これも俺の能力。
水と風を組み合わせ、激流の壁を作り上げた。
火球が激流にぶつかる。蒸気を上げ、対消滅。
「野郎……ぶっ殺すッ……!」
ヤツはいよいよキレた。そして今度は肉弾戦らしい。全身に火をまとい、突っ込んできた。怒りと炎に全身を燃やす男。あんなのに触れられたら大変なことになる。ただの火傷じゃ済まない。
だから俺は近づかない。俺は風を身にまとって空高く飛び立った。人一人を持ち上げる旋風は、周囲に砂塵を引き起こし、吹き荒れる砂はヤツの視界を奪った。
「クソったれ! 卑怯だぞ!」
なんと喚こうが、卑怯とは敗者の台詞にすぎない。
俺はヤツへ手を振った。さよならの挨拶とともに新たな風を送り込んだ。ヤツを中心として竜巻を起こしてやった。そこへ俺は特製の釘を落とす。釘は竜巻に吸い込まれ、中心部で荒れ狂った。
竜巻を解除してやると、ヤツはもう虫の息だった。全身を釘にえぐられた様は悲惨の一言に尽きる。
横たわるヤツの後ろへ降りて屈んだ。ヤツの髪を掴んで頭を無理矢理上げた。そして俺は自らの名を口にした。
「俺の名はアクエル・ゼファール・……イグニアル」
ヤツの光のない目が大きく見開かれた。
「人は死して名を残す、お前のことだよ」
俺はカラナ。名を持たない男。他人を襲い、その名を奪うことで体を現し、能を示し、価値と存在を証明し、命を繋ぐしかない背理の業を背負う者、それが俺だ。
アクエル・ゼファール・イグニアルも所詮借り物、仮初の名にすぎない。
「グラッカ、俺は自分を嘲笑ったんだ。真名すら持たない、哀れな男だってな……」
俺はイグニアル。イグニアルの名において、ヤツへ葬送の火を贈った。