19 影の中で
ジストに教わって影の世界というのに初めて入った時は、胃に直接異物を押し込められたような感覚がして、その場で吐いた。
「わわわ、大丈夫?」
ジストは僕が吐いたものを闇属性の消滅魔法で消し去り、背中を擦ってくれた。
「うえぇ……、すまん。ジストはよく平気だな」
「ボクは初めからなんともなかったよ。体質的な問題かなぁ」
「僕とジストで何が違うんだ?」
「わからない。ヨイチの方がよっぽど強いのに。強さは関係ないとすると……うーん、ヨイチは[魔眼]で強制的に属性を得たから……って、ボクも強制的なところは同じかぁ」
結局原因は分からずじまいだが、少なくともジストは僕が体感したような気持ち悪さは一度もなかったらしい。
何度か出たり入ったりを繰り返してどうにか慣れて、吐かずに済むようにはなった。
無理やりにでも慣れておいてよかった。
***
「やっと見つけた、エルド」
マグの手から逃れて暗黒属性の結界で匿ってもらい、そこから影の世界へ入った。
エルドと初めて会った空間はエルドが創り出した一種の異次元空間で、入り口は影の世界にあると教えてもらってあった。
影の世界でエルドの気配を探し、一番近い場所に更に闇属性の魔法で穴を開け、ようやく辿り着いた。
エルドから渡された石に何度呼びかけても、エルドは現れず、何の応答もなかった。
だからこうして、地道に探すしかなかった。
「悪いな。俺が出たら、すぐに感づかれてしまうからな」
高いところにいたエルドは僕の前に降り立った。悪い、と言いつつ悪びれた様子は無い。
「だからあの時、さっさと取り込んでおけばよかったのだ」
あの時とは、不東とのことが終わり、調律者について聞かされた時だ。
「来るかどうかもわからない、って言ってたじゃないか」
「そうだな。俺の読みが甘かった」
「ごめん、僕も人を責められない」
二人して自嘲の笑みを浮かべたが、すぐに真顔になった。
「あいつ、本気で手に負えない。悪いけど……」
「悪いなどと思う必要はない。俺は、俺が選んだ者の手で自分の最期を決めることができるのだ。こんなに幸運なことはない」
僕の目的は、エルドを取り込み、その力を得ることだ。
今の僕ではマグに絶対敵わない。
何せ、世界の創造主の使いだ。こちらは世界を跨いできたとはいえ、只の人間がまともに相手できるはずがない。
現状、マグはこの世界の人間に対して、僕にのみ干渉できる権限とやらを持っている、らしい。
だけどそれは、只の約束に過ぎない。
マグの性格上、思い通りにならなければ、平気で反故にするだろう。
アオミが手にした[暗黒属性]は、この世界の理の外、異世界から召喚された人間の一人が、更に理を超えて編み出した属性だ。
本人と、本人が憑依した人間にしか扱えず、マグも誓約的な意味で手出しができない。
暗黒属性の結界の内側なら、皆は安全なはずだった。
「急いだほうがいいな。あいつ、約束を破ったぞ」
「!」
影の世界に慣れたとは言え、ここから外の世界の気配を探ることはできない。
「どうやればいい?」
悠長に話している場合じゃなかった。早くやり方を聞き出さなくては。
「簡単だ。左手を」
エルドが僕に向かって右掌を向ける。そこへ、僕の左手を合わせた。
「俺のつまらない記憶を見せることになるが、そこは堪えてくれ」
そういうことは最初に話せと文句を言う暇もなかった。
力の奔流と共に、エルドの記憶が流れ込んでくる。
***
エルドが元いた世界は、この世界と似ている。
魔力文明はこの世界より進んでいて、人が住む場所は大規模な結界装置に覆われ、この世界より積極的に人を敵視し侵略しようとする魔物を防いでいた。
エルドが生まれた町も、結界に守られていた。
父親の姿は見えず、母親とエルドは二人きりで慎ましく暮らしていた。
エルドが七歳のときに母親が急死。所謂過労死だ。
エルドは教会のような場所に引き取られ、さらに清貧な生活を送る。
幸か不幸か、エルドは他の人より魔力量が多かった。
大人たちに利用され、搾取されていたが、衣食住には困らない日々を過ごす。
転機は十七歳のときに、突然だった。
ある日教会でいつものように雑務をこなしていたら、この世界に召喚されたのだ。
魔力と魔物がいる世界だから、同じ世界の地続きかもしれないと考えたエルドは、何度も脱走を試みた。
全て失敗に終わり、捕まる度に狂魔道士が「お仕置き」と称して、普段より更に酷い人体実験をさせられる。
実験の内容は……反吐が出るとでも表現しておく。とてもじゃないが、よく正気を保っていられたと思う。見せられただけの僕ですら、気が狂いそうだった。
皮肉なことに、その実験のお陰で、自分が元いた世界とは違う場所に連れてこられたと確信する。
元いた世界では当たり前だった道具さえあればこんな実験は必要ないのに、と思えることが何度もあったのだ。
度重なる実験の果てに、時を同じくして召喚されたひとりが暴走、魔族化し、魔王を名乗った頃。
エルドも人間であることを辞めさせられ、今の異形の姿となった。
そこから僕たちが召喚されるまでに、何度か別の世界から人間が喚び出される。
エルドの記憶の中に、伝説の冒険者、ヨツハラさんの姿があった。
四ツ原巴さんも、僕らと同じく十七歳でこの世界に召喚されていた。
和装に、ポニーテールのような髪型。腰に刀を差していて、侍か浪人といった姿だ。
しかし言動からして僕と同じくらいの世代の人なので不思議だなと思ったら、演劇の稽古の最中に召喚されたらしい。ポニーテールはカツラで、刀も模造刀だった。
四ツ原さんが召喚されたのはこの世界で数十年以上も前のことなのに、昔の人には見えない。召喚は時間の流れを無視して発動するようだ。
リートグルクの冒険者ギルドで見せてもらった資料通り、スタグハッシュは四ツ原さんを召喚しておきながら、ものすごく強くなったので恐れて放逐した。
その後は気ままな旅の途中でエルドと出会っていた。
エルドは四ツ原さんにも「俺を取り込まないか」と持ちかけていた。
「俺は強すぎてあの国を追われたんだ。つまり、これ以上の強さは、今の時代には必要無いんだろう。あんた何年生きてる? ……そうか、それは長いな。だが、今じゃないし、俺じゃない。悪いが他を当たってくれ」
四ツ原さんに断られたエルドはその後、しばらく世界を静観した。
影の世界から外を見ている間に肉体は朽ち果てたが、エルドは存在し続けた。
長い長い時間の果てにようやく、力を必要とする人間が現れた。つまり僕だ。
何度目かの召喚魔法の起動に気づいたのが偶然なら、魔法の矛先が僕だったのも偶然だった。
エルドは気まぐれで自分の力の一部を削り、僕が元いた世界へ干渉した。
そして、僕の記憶の一部を読み取り、伯母を亡くし無力感に苛まれていた僕に囁いたのだ。
「虚しいか?」
あれは、エルドだったんだ。
無視したと思いこんでいたけど、僕はエルドが重ねた問に、確かに答えていた。
「この世界に未練はあるか?」
「ない」
僕は、召喚されることを、自分で選んでいた。
***
「ヨイチ以外の者たちがこちらへ召喚されたときのことは、俺の知るところではない。だが、俺と召喚魔法以外があの世界へ干渉した痕跡はない」
流れ込んできた記憶の奔流が止み、僕に殆ど溶けかけているエルドが僕に話しかけてくる。
スタグハッシュでの日々は、召喚は理不尽だという考えだけを募らせた。
自分で選んでおいて、なんて勝手な。
「それは違う。俺がつけ込んだのだ。今、このときのために」
エルドは話し続けた。
「意識だけの存在になってから、世界を創ったもののことや調律者の存在を識ることができた。恐らくだが、トモエも何処かで識ったのだろう。それで、俺を拒んだのだ。こんな歪な世界を創っておきながら、創造主は素知らぬ顔で、調律者は全てが己の意のままになると思い込んでいる。解せないだろう?」
僕は頷いた。
異世界から人間を召喚する術を人の力のみで出来てしまうような、不完全な世界。責任者が責任を取るべきだ。
だけど……。
「そのための犠牲だなどとは考えないで欲しい。俺は生まれたときから不運だったが、最後にヨイチに出会えてよかった。終わり良ければ全て良しだ」
エルドが悟ったようなことを言い出す。望まない長生の果てがこれで、本当に良いのだろうか。
「俺は今、終われることが嬉しい。そのためにヨイチの力になれるのだから、こんなに良い終わり方は他に思いつかない」
エルドの気配は、もうほんの僅かだ。
力の方は、だいぶ馴染んできた。種族が変わったときのような、全身の痛みや身体の大きさの変化はない。
全身にぐるぐると力がうねるような違和感は、予想外にあっさりと静まった。
エルドの声は聞こえなくなったが、まだ完全に消滅してはいない。させていない。
これで終わりじゃない。ちゃんと事が済んだことを見届けて欲しい。
そう訴えたら、エルドは「悪くない」と了承してくれた。
早速新たな力を使う前に、ステータスをざっと確認しておいた。
横伏藤太=ヨイチ
レベル∞
種族:魔神
スキル:[経験値上昇×10][魔眼・解放][心眼][暗視][鑑定][必中][魔力:極大][魔法の極意][形態不変]
属性:火 水 土 風 光 聖 闇 邪 竜
ちらっと見るだけのつもりが、二度見、三度見した。
種族、魔神て。これは明らかに人外では……。
レベルが数値化すらされていない。
スキルから[経験値上昇×10]が消えてないけど、意味はあるのだろうか。それとも∞と表示されているだけで、実際には数値化されていないだけとか?
とりあえず、種族と新しいスキルを[鑑定]で見ておいた。
[種族:魔神]
魔力の扱いを極め、無限の魔力量を持った存在。
[形態不変]
得た力による外見の変化を無効化する。
魔神は、なんとなくこうじゃないかなと思っていたとおりだった。
[形態不変]のお陰で、身体のサイズや見た目が変わらなかったのだろう。これは助かる。防具でディオンさんの手を煩わせる事がなくなるし、服のサイズが変わると買い直したりツキコが忙しくなったり、申し訳なかったんだよね。
ステータスをチェックを終え、モモとヒイロをこの場に喚んだ。
「ヨイチ!」
「主様!」
「急に喚んじゃってごめん。それで……」
これからやることを伝えようとしたら、人の姿の二人が僕に抱きついてきた。
「ヨイチ、もう大丈夫なんだね?」
「ご無事で何よりです」
ヒイロは僕の腹あたり、モモは僕の胸元に頬を擦り寄せてくる。
心配をかけてしまったようだ。
ふたりの頭を撫でると、ふたりはますます僕に抱きついた。




