23 いつか訪れるその日
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イネアルさんが正装してやってきたと思ったら、ローズを口説く許しをくださいって言い出した。
「それは僕が許す許さないという問題ではないような……」
イネアルさんがローズを口説きたいなら、僕の許可なんて必要ない。
当人同士で納得のいく話し合いをしてもらいたい。
というか、イネアルさん、ローズのことが好きだったのか。
だから仕事帰りに家まで送るって話のとき、あんなに自分でやるって言い張ったのか。
「では、ローズのペンダントの魔法は、無意識でつけたのかな? ローズの近くにいて三十分ほどすると、身体が痺れてくるのだよ」
イネアルさんが困ったように眉尻を下げる。
「えっ!? ローズ、ペンダント貸して」
ローズはぼんやりとした表情のまま、胸元からペンダントを引きずり出して外し、僕に手渡した。
ペンダントトップを手に載せ指でつつき、付与されている魔法を逐一チェックしていく。
悪意を持った人が近寄れない魔法を付けた覚えはある。……ああ、僕以外の異性が一定時間以上近くに居られない魔法も付けてた。
僕以外にしてたのは、一緒に暮らしてる以上不都合だと思ったからであって、他意はない。
「……これのせいか……よし、限定解除しました。大丈夫です」
後でヒスイとツキコのペンダントもチェックしておかなくては。
「限定解除とは?」
「えっと、異性との長時間接触を妨げていたので、イネアルさん限定で外しておきました」
「器用な魔法を使うね……」
苦笑いしながら言ったのはイネアルさんだ。
「後は、ローズの気持ちを尊重してください」
「わかっているよ」
僕が立ち上がると、ローズ以外のメイドさん達も部屋から出た。
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手に持ったままのペンダントをじっと見つめたまま、私はまだ話の展開に頭と心が追いついていなかった。
「ローズ」
イネアルさんが優しい声で呼びかけてくる。
顔を上げると、すぐそこに綺麗な顔があった。
白く長い睫毛が、碧色の瞳を縁取っていて、凝った砂糖菓子みたい。
「今ここで口説く予定ではなかったのだけど、皆が気を利かせてくれた。座ろう?」
促されて、二人がけのソファーに座る。隣にイネアルさんが座った。
イネアルさんにポーションづくりを教えてもらうときと同じ距離。間近で手元を見せてもらう必要があるから。
だけど今は、イネアルさんの体温が気になって仕方がない。少しハーブの匂いもする。
いつも三十分で一旦休憩を挟んでいたのは、ヨイチのペンダントのせいだったなんて。
「どこから話そうかな……ローズから聞きたいことはあるかい?」
イネアルさんの声が硬い。もしかして緊張しているのかな。
「っく、口説く、というい、のは?」
めっちゃ噛んだ。
イネアルさんは両手を組んで額を押し付け、肘を膝の上においた。
「初めて会った時、美しいお嬢さんだと、思ったことは間違いない。だけど私は、自分で言うのも何だが、この容姿だからね。人を見た目で判断するのは、良くない、という考えを持っている」
珍しく、つっかえつっかえ、言葉を選んでいる。
「だが一緒に過ごすうちに、仕事の覚えは早いし、頭の回転もいいと知った。従業員として、素晴らしい……えっと」
イネアルさんはいつも私を褒めてくれる。だけど容姿に言及されたのは、初めてかもしれない。
「見た目はこんなに儚げなのに、芯はしっかりしていて。ヨイチの元仲間に拐われた後、すぐに仕事に戻ってきて……あの時は本当に、心配した」
「その節は、ごめんなさい」
椿木のことはヨイチが全部片付けてくれたから、もう何の憂いもない。仕事への復帰は勿論、夜道を一人で帰るのだって、本当は平気だ。
「謝らせるつもりでは……。でも、その、もう放っておけないというか、ヨイチの側に居たほうが私の元より安全なのは、理解できるのだが……」
イネアルさんは言葉を切り、顔を上げた。
「手に、触れてもいいかな」
頷くと、イネアルさんは私の左手を、そっと持ち上げた。高い体温が私の手にも移ってくる。
何か言ったほうがいいのか、何を言えばいいのか迷ってしまい、しばらく無言で見つめ合う形になった。この後、この手をどうするつもりなんだろう、なんてことを考えていたと思う。
不意にイネアルさんがふっと笑った。
「ヨイチより強い人間は知らない。私では頼りないかもしれない。だけど、ローズを最初に守る男として、私を認めてくれないだろうか」
イネアルさんの手が、微かに震えている。
「そしてできれば、私と人生を共にしてくれないか」
思わずごくり、と喉を鳴らしてしまった。
「あの、イネアルさん。とても、嬉しいのですが……」
男子に告白されたことはたくさんあった。
全員、私の見た目に惚れたというから、全部断ってきた。
でもイネアルさんからの告白は違うと思えた。
イネアルさんなら私を大事にしてくれるし、私もイネアルさんのことが嫌いじゃない。
「ローズがいた国では、十七歳で婚姻を意識することはあまりないのです」
絶対じゃないけれど、少なくとも私の周囲は皆、二十歳を過ぎてから結婚していた。
こっちの世界に結婚できる年齢の制限はないらしく、貴族では十三歳同士での結婚、なんてのもあるみたい。
庶民でも十代の結婚は珍しくないそうだ。
情報ソースはプラム食堂で働いているヒスイ。食堂のおかみさんやお客さんから、こちらの世界の話を仕入れては、私達に聞かせてくれる。
「そうか……」
イネアルさんが長いまつげを伏せる。明らかに落ち込んでいる。
「あっ、ち、違うんです! イネアルさんが嫌ということじゃなくて、まだ……その、覚悟が決まらないというか」
「私が嫌ではない、のだね?」
「はい」
「覚悟が決まるまで待つよ」
「で、でも、もしかしたら何年もかかるかもしれなくて」
「ローズの気持ちを聞かせておくれ。嫌いではないのなら……私への好感度はどのくらい、あるのだろうか」
真剣な眼差しのイネアルさんも美人だ。
私、自分が散々、容姿で好かれるのは嫌がってきたのに、イネアルさんの容姿に惹かれてる。
下を向いて目を閉じて、美人フィルターを強制的に排除してから、考える。
考えた。
結論も、出た。
「好きと言われて、嬉しいです。イネアルさんじゃない人に言われても、こんなに嬉しくない」
例えばヨイチに好きと言われたら……やっぱり嬉しい。でも、ヨイチは兄……同い年のはずなのだけど、どうしても兄としか思えない。
ヨイチとは兄妹愛以上のものを想像できない。
イネアルさんへの気持ちとは違う。
きっと、これが答えだ。
「少しだけ、時間をください。ちゃんと向き合いたいです」
***
イネアルさんは先程、満足げな表情でお帰りになられました。
上位魔人になってから聴覚も鋭敏になり、ローズとイネアルさんの会話は意図せず全部聞こえました。
ただ聞いていても恋愛弱者の僕には二人の気持ちの機微がいまいち掴めなくて……。
えっと、結局ローズはイネアルさんとお付き合いするの?
その場合ローズはイネアルさんの家に住むものじゃないの?
どうしてヒスイやツキコとキャッキャしながらうちでメイド業に勤しんでいるの?
「あの……」
「なあに、ヨイチくん」
「……いえ、なんでもないです」
聞けない。
全部聞いてたのに何がどうなったのか理解不能だなんて、聞けない。
僕がリビングのソファで悶々としていると、ヒスイがやってきて隣に座った。
「急に出ていったら寂しいものね」
唐突にそんなことを言い出した。
「ローズの気持ちの整理がついたら、シスターや孤児院の院長先生に掛け合ってくるわ」
「何を?」
「ローズの代わりのメイドさん」
「そういう話になるの?」
「そうよ」
「そっか」
聞けないのじゃなくて、寂しさを認めるのが嫌だったんだな、僕は。
これがかの有名な、娘を嫁にやる父親の心境というやつだろうか。
「ローズが消えてなくなるわけじゃないからね」
「うん。ありがとう、ヒスイ」
ヒスイはにっこり笑って、メイドに戻った。
数日して、家に孤児院から十五歳くらいの女の子が二人やってきた。
シスターの紹介だ。
「ラフィネです。精一杯勤めさせていただきます」
「アネットです。よろしくお願いします」
ラフィネは明るい茶髪に黒い瞳の、どこか品の良さを感じる子だ。大人びて見えるのに十三歳だという。
アネットはディープグリーンというちょっと珍しい髪色に金色の瞳で、活発そうに見える。こちらは十五歳。
「ヨイチです。こちらこそよろしくね」
家の主として挨拶すると、二人は緊張の面持ちで「はい」と声を揃えた。
僕がクエストに出かけている間に、二人はあっという間にメイドさんたちと馴染んだようで、帰宅時には揃ってお出迎えもしてくれた。
どうしてローズより小柄な二人の分のメイド服が用意してあったのかについては、突っ込んだら負けな気がしたので聞いていない。
それとは別に聞きたいことが出てきたので、ヒスイを部屋に呼んだ。
「二人の給料、どうしたらいいかな」
他のメイドさん達からは断られ済みだ。
何でも『真のメイドはご主人さまにのみ仕えるのであり、自分たちは仕事を掛け持ちしているのでメイドとしての賃金はもらえない』だとか。
あとは『衣食住を提供してもらっているし』って、僕が直接的に提供してるのは「住」くらいなのですが。それすらメイドさん約一名の手による改築のお陰だし。
「メイドさんの相場ってこれくらいらしいわ」
ヒスイが紙にさらさらと、基本給、特別給等の項目と数字を書き込んでいく。
そこへ『賃貸料』や『食費』などのマイナス要素が加えられた。
「部屋と食費のことは気にしなくてもいいのに」
「ヨイチくんならそういうと思ったわ。だから、こうしてみたらどう?」
ヒスイが最初に書いた基本給の数字の横に右方向の矢印と『試用期間終了後』と、何割か増えた数字が新たに書き込まれた。
「こうしないと納得しない感じ?」
「二人共、遠慮深くて」
「じゃあ、今のところはこれでいこうか」
ラフィネとアネットは孤児院での家事の経験もあり、みるみるうちに仕事を覚えてくれた。
それと比例するように、ローズはイネアルさんのお店にいる時間が長くなっていった。




