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踊る伯爵

 この世界の多くの国で、貴族制は廃止されている。

 治める領土や人に命じる権力はとうに無いが、古い時代の名残で庶民よりも富を多く持ち、遺伝的に魔力や属性を多く持つため、まだ自分たちを価値ある血の持ち主だと信じているのが少数いるだけだ。


 例外の一つがスタグハッシュ国である。

 国自体が内部崩壊しており、伯爵といえど有名無実に過ぎない。

 しかし修道院や孤児院といった立場の弱い者たちに支援しているのは紛れもない事実であり、余程理不尽な命令でない限り、彼らは逆らうことができない。



 これを悪用する貴族の一人が、代々伯爵位を持っていたディーン・ミネアーチである。




***




「君を必ず幸せにするし、他の二人……いや修道院の皆が穏やかに暮らせるよう支援しようじゃないか。悪い話ではないだろう?」


 四十歳を超えて現在独り身であったミネアーチは、修道院に新たにやってきたヒスイに目をつけた。

 独自のルートからの情報によれば、彼女らは異世界から召喚された人間だ。

 それが、召喚した国から即座に修道院へ放り出されたということは、彼女らに価値がないと言っているも同然だ。

 ならば何をしても構わないだろう。

 こういう思考回路であるから、ミネアーチは過去に三人の妻に逃げられている。


 本人は爽やかな笑顔を浮かべてヒスイの肩に優しく手を置いているつもりだが、実際は「ニチャァ……」という効果音と共に口元がいやらしく歪み、手と視線は豊満な胸を虎視眈々と狙っているのが丸わかりである。


 一方のヒスイは、この世界で何が最良の手段であるか、全て把握しきれていない状態だった。

 突然知らない場所へ放り出されたかと思えば、そこから更に別の場所へ捨てられたのである。

 同じ境遇の人間が他にも二人。

 それまで直接話したことはなかったが、全員同じ制服を着ていたから、少なくとも同じ高校に通っていたことがわかり、すぐに打ち解けた。

 日中は皆で協力しあってこの世界に対する理解を深め、修道院の手伝いや手に職をつけるための勉強に没頭した。

 しかしヒスイは、ローズが夜な夜な声を殺して泣いていることや、ツキコに余裕がなく些細なことで苛立っているのを隠していることを知っていた。


 この世界の仕組みや召喚については、修道院のシスターが日々少しずつ教えてくれる。

 知れば知るほど、元いた世界との違いが浮き彫りになり、不安が募る。


 元いた世界に戻れないのであれば、この世界で生きていくしかない。

 生き抜くために端的に必要なものといえば結局、元の世界と同じく、金だ。


 伯爵の目つき手つきには嫌悪感しか抱かなかった。

 それでも、提示された金額は、女一人で稼ぐのは到底無理そうなものであった。


「わかりました」

 伯爵、つまり爵位を持つからには、ある程度の常識くらいは弁えているだろう。

 貴族制が崩壊していることをよく知らなかったヒスイは、ここで人生最悪の決断をしてしまった。


 結果的に、最善の道に辿り着けることを知るのは、少し先になる。




***




「くそっ、あの野郎め……。ルアニ! 貴様がしっかり捕まえないから!」

「仕方ねぇだろ。とんでもなく強い野郎に邪魔されたんだ」

 ヒスイがミネアーチ伯爵家へ向かったその日。「同意がなければ手を出さない」という守る気のない約束をしていたミネアーチは、早速ヒスイを手篭めにしようとした。

 あまりにも簡単に、自分好みの若い娘を手に入れることができたミネアーチは浮かれていた。

 浮かれたあまりに思わず身辺警護の名目で雇っている冒険者、ルアニに「これからヒスイちゃんと……」と気持ち悪いことをぺらぺらと喋った。

 更には、約束を守る気など更々無いこともはっきり言い放った。

 ミネアーチの短慮とヒスイの幸運が重なり、ヒスイはそれを聞くことができた。

 よって、家につくなり着せられたドレスを身にまとったまま、外へ逃げ出したのだ。


 ルアニとミネアーチは一応主従関係だが、ルアニはミネアーチに心から仕えているわけではない。

 またミネアーチも金さえ渡せば何でもするような男をあまり信じていなかった。

 二人は、それぞれを妨害した男が同一人物であったことを、今後も含めて知ることはなかった。



 修道院のシスターから連絡を受けた警備兵が二名、屋敷にやってきた。

 警備兵に詰め所へ連行された後、ミネアーチが貴族であることを主張すると多額の保釈金を請求された。先の通り、貴族に特権など無いのだが、本人が主張するのだから仕方がない。彼が言うところの一般人の数倍の保釈金を支払うことになったが、ミネアーチは「貴族だから金にモノを言わせて何でも出来る」と好意的に解釈していた。



 更にその後、ヒスイを諦めきれないミネアーチは、ヒスイが定期的に孤児院を訪問していることを突き止めた。

 そこへ顔に傷をつけたルアニと数名の傭兵を送り込んで騒ぎを起こし、ミネアーチが被害を補填することでヒスイとの繋がりを回復しようと杜撰な計画を立て、実行した。

 被害を最小限に食い止めたのは例の人物であったが、結局その人物については何も調べておらず、知ろうともしなかった。

 ミネアーチにとって他の男など、どうでもよい存在なのだ。



 今度の騒ぎの責任は、投獄だけでは取り切れなかった。

 ミネアーチはお得意の金に物を言わせる間もなく、ルアニや傭兵共々労働奴隷送りとなる。




 スタグハッシュ、アマダンとリートグルクは広大な平地にある国だが、それ以外の土地とは更に広大な海か、険しい山谷に隔てられている。


 各国への最短ルートは国同士の重要連絡や、多数の人命に関わる物品と情報のために空けられており、一般庶民が人や荷物を通そうとすると一月分の収入にも等しい通行料を支払う必要がある。

 スピードが命の食品や商品を売る商人たちは、それでも利益がでるので支払うが、個人的な用件のために使う者は少ない。


 どうしてもという時どうするかというと、労働奴隷に運ばせるのである。


 奴隷が通る道は整備などされていない。整備するための人や機材を送り込むことすら躊躇われるほどの悪路だ。

 人一人がようやく通れる崖っぷちの道を落ちぬよう神経を尖らせて進み、百メートル前後の起伏を縄と手足で登り降りする。

 通常の道なら十日かかる場所も、奴隷専用ルートならば三日で運べてさらに安価なため、利用する者は多い。

 遅れたり、途中で荷を落とせばペナルティとして刑期が伸びるため、余程のことが無い限り確実に届くのも、よく利用される理由だ。


 ミネアーチとルアニ他、孤児院襲撃犯たちは、そんな場所へ送り込まれた。


 初回で音を上げたミネアーチは、早速脱出の算段を考えた。

 もうじき刑期が明けるという受刑者数名に「成功したら報酬を渡す」と口先で丸め込み、同じ日に同じルートを辿る時に荷を押し付け、ルアニ達と共に脱走した。


 監視魔道具によってその様子は監視者たちに筒抜けであった。

 直ぐに追手がかかったが、ミネアーチとルアニは幸か不幸かモルイのセカンドハウスへ逃げ込むことができた。




***




「この家なんかどうだ? 広いし、なんか暗いし」


 セカンドハウスへ逃げ込んだミネアーチとルアニがキッチンで水を汲んで飲み、一息ついた頃、場の雰囲気にそぐわない陽気な男の声が聞こえた。

 声は一人分しか聞こえないが、他の誰かと会話している様子だ。

「おい、様子を見てこい」

「……」

 ミネアーチが小声でルアニに命じると、ルアニは無言で渋々従った。

「あん? 先客か? ばあさん、アマダン王を殺したやり方教えてくれよ」

 再び男の声がした後、ルアニの短い悲鳴となにかが倒れる音が続けて聞こえた。


「おお、できたできた。これで横伏の野郎も……無理? なんでだよ。魔力量?」

 男の声と無遠慮な足音は間違いなくキッチンへ向かってきている。

 しかしミネアーチは動けずにいた。


 貴族が貴族たる所以は、平均より多い魔力量と遺伝的に持つ属性の力である。

 ミネアーチがきちんと訓練を積んでいれば、冒険者ランクAのルアニなどより強くなっていたはずだった。


 彼は昔から努力が嫌いだった。

 素の力と魔法だけで庶民をねじ伏せることができていたので、さらなる力は求めなかった。



 後悔は先に立たず、また罪の精算からも逃げていたミネアーチは、自らの未来を真っ黒に塗りつぶしていた。


「お、まだいるじゃん」


 陽気な声の主は、黒髪の毛先だけが金色の、ひょろりとした男だ。

 声が大きい。抜き身の剣は手入れを手抜きしているようで、汚れが付着したままになっている。

 口元は軽薄な笑みを浮かべているが、眼は世界のすべてを恨んでいるかのようにギラギラと光っていた。

「何だ貴様は! ここは私の家だぞ!」

「あ、そうなの? でもオレが貰うから」

「何を言って……ぐぎゃああああっ!?」


 男が左の掌をミネアーチに向けると、ミネアーチは胸を押さえて叫んだ。

「ああ、確かに魔力が邪魔するなぁ。……っしょ、っと」

 男――不東は影を介してミネアーチの心臓を直接握っている。魔力量の多い人間ほど、護りが強く手こずる。


 不東が手こずるほど、ミネアーチの激痛は長引いた。


「あああ! は、はあ、やめ、やめて……」

 ミネアーチが顔中から体液を垂れ流しながら枯れた声で懇願しても、不東は手を緩めなかった。


「おっさんの喘ぎ声とかないわー」


 不東が左手をぐりん、とひねると、ミネアーチの身体が大きく跳ねて床に落ち、そのまま動かなくなった。

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