逢魔時の不思議な出会い、白髪少女は心を洗ふ。
――ねぇねぇ、なにしてるの?
石階段の上に腰を下ろしていると、純粋な好奇心がそのまま音になったかのような声が、僕の耳に入った。
振り向くと、一人の少女が、物珍しそうな顔で僕を眺めている。
先ほどまで誰もいなかったはず、と少し肝を冷やしたが、コホンと一つ咳払いをして、僕は少女の方に体を向けた。
「ん~、何もしてないよ?」
僕は少女を怖がらせないように、にへらっとしてそう答えた。
落ち着いて少女を見ると、髪は絹のように滑らかな白いおかっぱで、さらに身に纏っているものも、新雪のように白い和服だ。夕暮れ時で、周りが薄暗くなってきているというのに、少女の姿はくっきりと視認することができる。なかなかに風変りなその姿は、お世辞にも周り――提灯や鳥居、石畳と石階段に囲まれた妖しげな街道――に溶け込んでいるとは言えなかった。
僕のそのはぐらかした言葉を聞き届けた少女は、むっ、と口を結び、
――うそ! あなたは悩んでる!
ビシィッ、と僕を指差し、そう断言した。その表情は自信に満ち溢れているが、それに加えて何か、怒りのような、そして悲しみのような何かを孕んでいるようだ。
僕は堪らず、うっ、と情けない声を漏らす。事実、図星なのだ。僕が悩んでいるのは。
しかし、出会ったばかりの、それも年端も行かぬ少女に、僕の心の内を話すわけにはいかない。それが僕の『大人としての常識』だと思った。
「いやいや、ほんとだよほんと。何も悩んでなんかいないさ」
半ば早口で、ははっ、と最後に付け足し、少女の顔を見遣る。
すると少女は、
――今後のこと、でしょ?
間髪入れず、僕にそう問いかけた。
思わず僕は、口を噤む。悩みの内容まで言い当てられてしまったのだ。さすがに、この上さらに嘘を上塗りする気にはなれなかった。この少女に嘘は通じない、本能的にそう思った。それはまるで、何か神の力でも働いているかのような、畏れを感じるほどだった。
――わかるもん、私。
ふふんっ、と得意げに鼻を鳴らし、少女は片目をパチッと瞬かせる。そこに嫌味はなく、わたしすごいでしょ? とでも言いたげな様子だ。
「じゃあ、そこまで言うなら、僕の悩みでも聞いてくれる?」
少し自嘲的に、僕はそう言った。言い終わってから、子供にこんな言い方はないよな、と自分を戒めた。しかし当の少女は、にこっと微笑むだけで、全く気に留めていないようだ。
――いい、わかるから。あなたの気持ち、わかるから。
そう言って少女は、僕の方へ歩みを進める。ゆったりとした足取りのせいか、僕はぼぅっと少女が近づいてくるのを見ることしかできない。ゆらり、ふらり、とした少女の足取りが美しく、それでいて、甘いのだ。
気が付くと、少女の顔が、互いの息がかかるほど近くにあった。どうやら、いつの間にか少女は身をかがめて、僕と目線を合わせていたらしい。
ドクンッと、僕の心臓が小さく跳ね上がる。
その驚いた心臓を宥めるように、少女のしなやかな手が、僕の胸に添えられた。
二人の間に流れる、一瞬の静寂。まるで狙ったかのように、風も虫も、今だけはピタリと騒ぐのをやめている。怖くなってしまうほどの、無の時間だ。
すると、
トクン、トクン、トクン、トクン。
僕の心臓の鼓動が、身体の内に響く音が聴こえた。
――ほら、生きてる。あなたは、生きてるの。
僕の心臓を労わるように、少女は優しい声音で、そう言葉を紡いだ。
――だから、そんなに思いつめないでね。
――大丈夫、大丈夫だよ。
――私が、ついてるからね。
少女の一言一言が、拒むことなく心に沁み渡る。
気が付くと、頬を熱い何かが伝っていた。
あぁ、そうだ。僕は、生きてるんだ。
噛みしめるように、何度もそれを確認する。
そんな僕を見て少女は、何も言わず、うん、うん、と頷いている。
それから少女は、大人びた微笑みを僕に向け、
――だからね、わたしにも、あなたの不安を分けてちょうだい?
そう言って、僕の胸をトンッ、と軽く押し込んだ。
僕には、少女の言っている意味がよくわからなかったが、
「……うん」
と、まるで眠る寸前の子供が母親に甘えるように、首肯しながらそう口に出していた。
刹那、身体の力が、不意に抜け落ちる。そして、ズズッ、ズズッと、僕の胸から少女の手が添えられている所へ、黒い影のようなものが移動していく。そして、少女の手のひら一杯になった黒い影は、少女の手の甲を、細腕を、肩を、首を、ジワジワと駆け上り、やがて純白の髪と和服を、黒に染め上げた。
少女は、影の色が服と髪に移ったのを確認すると、にこっ、と微笑んで、僕の胸に置いた手を放す。
そして数歩、後ろにピョンピョンッとスキップするように、僕との間をあけた。
「えっ……えっ?」
僕は思わず、間の抜けた声を漏らした。それを見た少女は、クスクスと笑っていた。
しかしすぐに、僕は身体の異変に、いや、心の異変に気付く。
不安で押しつぶされそうだった心が、幾分軽くなっていたのだ。
僕は目を丸くしていたが、少女がそれに気付いた途端、
――じゃあ、わたしはいくからね。
ばいばい、と手を振って、少女は石階段を駆け上り始めた。
ちょっとまって、僕はそう呼び止めようとしたが、声は出なかった。
黒く染まった少女が、夕暮れの闇に溶け込んでいく。
僕はそれを、ただただ見つめた。
時刻は、逢魔時。昼と夜が混じり合う、魔法の時間。
暗くなった街を照らすように、ポツリポツリと提灯に灯りがともっていく。
それはまるで、僕がこれから進む道を照らす道しるべのように見えた。
淡く、息を吹きかければ消えてしまいそうな光ではある。
でも、それでいいのだ。
僕は、重い腰を上げて、帰路につく。
流した涙は、いつの間にか乾いていた。
僕の心は、新雪のように白く澄み渡っている気がした。
神社をふらふらと散歩していたら、不意にこんなシーンを思い付いたので、練習がてら書いてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。