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8/22

不意打ちの××


~美月~


「あのさ、いきなりだけど今度の土日って空いてる?」


木嶋さんに用を言いつけ、まるで追い出すかのようにドアを閉めた社長は、くるりと振り向き突然そんな事を言い出した。


「え?えぇまぁ空いてますけど」


「じゃあどっか行かない?」



にこにこにこ。

何の他意もないように見える、一見無邪気そうな笑顔。

けれどその爽やかな見た目に反して、空色の瞳の奥でなにかがキラリと眩めいた。




——あぁ、何か企んでいる時の顔だわ。


なんとなく察しがつき、同時にそんな事が分かってしまう自分に思わず苦笑してしまう。



ここに来て3ヶ月。

仕事の上でも、そしてプライベートでも一緒にいるので、彼の性格というか癖みたいなものは、大なり小なり掴めてきつつある。

なんせ寝る時以外はほぼ丸1日共に過ごしているのだ。


朝起きてから朝食時も移動中も、最近は通常業務のみならず会議や接待の場にもお供している。

文字通り影のように付き従い、彼のやり易いように手配をし、気を配り側面から支えていく。


もちろん私と社長の関係は、どこまで行っても上司と部下でしかない。

そりゃ私だって、自分で言うのもなんだけど面食いな方だし、正直社長の傍にいてときめかない訳じゃない。


けれど、だからといってどうこうなれると思う程、思い上がっていないつもりだ。

なんといったって、私達は最初からつまづいてしまったのだから。

あの最初の晩に…。



「それってどういう…?」


ここは慎重に社長の意図を確かめてから。

咄嗟にそう判断して訊ねてみると


「あぁあの、こないだのチョコのお礼っていうか、まぁそんな感じ?」


予想外の答えというより、むしろ後付けっぽい言い分に妙にこそばゆさを感じてしまう。



これって…もしかして、いわゆる「デート」のお誘い?


「そんな、あれも仕事のうちですから。

お礼していただくような事では」


「いいからいいから、俺の気持ち。

あ、どっか行きたいトコとかない?」


一応やんわり「お断り」してみる。

けれど、こうと決めたら結構押し通す事が最近分かってきた社長の態度は当然変わらなくて。


「なぁ、どこでもいいからさ。

あ、でも今度の土日って天気、どうなんだっけ」




——バッチリです、社長。


快晴とまでは行かないものの、概ね薄雲が広がる程度の晴天で降水確率も20%以下です。

昨日の晩見た天気予報を思い出し、心の中でひっそりと呟く。


とはいえさすがに口に出してそうとも言えず


「そうですね……じゃあ遊園地、とか」


控えめに切り出した途端、社長の目がまん丸になった。




——しまった!子どもっぽかったかしら?

いい歳して遊園地なんて、あぁ…選択を誤ったわ。



「俺、行った事ないんだよ遊園地」


その台詞に、今度は私が目を丸くする番だった。


「ない…んですか?遊園地、1回も?」


「あぁ、1度も」


「ジェットコースターとか、ご存知ないんですか」


「知ってるよそれくらい。

見た事はあるから」


「じゃあ行きましょう!」


思わず社長の両手をがしっと掴んでいた。



「遊園地知らないなんて勿体なさ過ぎます!」



* * *



その日、私達は家から別々に出て別々の電車に乗って目的の遊園地の前で待ち合わせをした。


やましい事なんて当然何もない。

それでも、ただの「上司」と「部下」が連れ立って行くには相応しいとは言えない場所であるだけに、そうせざるをえなかった。



「お待たせ」


振り向くと、そこには見慣れたスーツ姿ではなく、シンプルなTシャツにパーカー、チノパンといったカジュアルないでたちの社長がいた。


「…社長」


「じゃなくて…。

こういう時くらい名前で呼んでよ」




——いやいや、それじゃまるでデートのようじゃないですか。

そんな事、出来ませんから。


期待に満ちた眼差しで見つめられるものの、ご期待に沿う事は難しい。

「神崎さん」という呼び方は社長が嫌がり、かといって「聡一郎さん」と呼ぶにはハードルが高すぎて。


妥協案として「ルーファスさん」と呼ぶ事で譲歩してもらったのだった。



そして開園と同時に入り、お目当てのジェットコースターまで引っ張っていく。



「なんか凄そうなんだけど、ホントに乗るの?」


「当たり前じゃないですか、その為に並んだんですから」


自慢じゃないけど回転系・落下系の乗り物は得意だ。


あのスピード。

あのガタガタいいながら坂のてっぺんに登っていくまでのドキドキ感。

落下する瞬間の浮遊感と、何ともいえないスリル。

あれを体験していないなんて、そんな事あっていい筈がない。



遊園地を知らないからといって大げさな。

そう思われるかもしれないけれど…。

お坊ちゃまだか何だか知らないけど。


あんな面白い事、というか極端な言い方をすれば今まで私が…ううん、ここにいる殆どの人達が送ってきた、平凡だけど普通の生き方や楽しみを彼は知らないのだ。


たとえば天気がいいからお外で、公園かどこかでランチしたり。

たとえば学校帰りに友達と遊びに出かけたり。

たとえば…ほんのささやかな事でも一緒に笑い共感しあう友達や仲間がいたり。



大体、神崎さんには全くといっていい程、プライベートという物がない。

朝食の時間でさえ、1日のスケジュール確認に始まって様々な連絡事項や調整で、何を食べたか分からないような状態だというのに。


彼が目を通さなければならない書類、出席しなければならない打合わせや接待のなんて多い事。

日付けの変わる前に戻ってこられる方が珍しく、土日でさえもゆっくり過ごす暇がないなんて。


ましてプライベートで食事を楽しんだり、気の置けない友人と気晴らしに飲みに出るなどという事は、この3ヶ月の間1度もなかった。

何をするにしてもどこへ行くにしても、それは円滑に事業を進める為の仕事であり、あくまで社の為でしかなかった。


それじゃストレスも溜まるだろう。

息抜きすら儘ならない生活なんて、私だったら息が詰まって耐えられそうにない。



それでも神崎さんは文字通り山のような書類の決算も、気乗りしないであろう接待も、あくまで淡々とこなしている。

そんな彼の様子に、薄々感じていた事がある。


神崎さんの周りには、いつも沢山の人達がいる。

けれど彼らの殆どが、神崎さん自身ではなく、その後ろにある物にしか関心がないように見える。



勿論、神崎さん自身に人として魅力がないという事では、全くない。

むしろ彼ほど、男性としてまた上司しても魅力を備えた人を、私は知らない。


明るく前向きで頼りがいがあって、変な偏りもなく実行力もある。

そんな神崎さんでさえもそうなのだから、それだけ彼の「後ろにある物」とは魅力的なのだろう。


そして神崎さんは、そんな事全部お見通しの上で、敢えて明るく誰とでも気さくに接しているように見える。



そう、若社長を「演じて」いるように見えるのだ。


彼が多少なりとも気を許し、神崎・R・聡一郎個人として振舞えるのは、ごく限られた人の前だけだった。

いつも絶えず気を張っているのだろう。

そういえば最近、少し線が細くなったようにも感じられる。


そう思うと、何故か沸々と怒りのような感情が込み上げてきた。

といっても、もちろん彼自身に対してでは、ない。


彼の日常に触れてみると、驚くほど息が詰まりそうで…これではまるで籠の鳥同然だと思うことがしばしばあった。

彼自身の意見など端から聞く耳を持たず、彼の仕事ぶりも何も見ようともしない現会長が実の父親だというのにも驚いたけれど。


「社長」とは名ばかりの、これじゃただの都合のよい「駒」じゃない、と憤りを感じる事も少なくなかった。



彼のそんな窮屈な生活が一体どれだけ続いてきたのか、知らない。

しかし人並の遊びも息抜きも楽しさも、とにかく抑制されてきたのだという事だけはよく分かった。


彼がこういう乗り物が得意がどうかなんて考えもせず、私は奇妙な使命感を胸に彼の手を取った。


「さっ、行きましょう。

今日は思いっきり楽しみましょうね」



~聡一郎~


ブランコみたいな吊下げシートに、上からガシャッと降りてくる安全バーで身体を固定する。




——足がブラブラするのが妙に落ち着かないな。


そんな俺の心許無さを察したのか


「大丈夫ですよ」


微笑みながら美月は言った。


「この坂上りきって降りる瞬間、空に飛び出すみたいで気持ちいいですよ」



1回目は楽しむ余裕なんてなかった。

カッコわるいトコ見せられない、ただそれだけで目を瞑るのは我慢した。

けれど、思っていた以上に全身に力が入りすぎていたらしい。

階段を降りる時、少しだけ足がふらついた。

何がなんだか分からないうちに落下し、振り回され回転し、終わっていたというのが率直な感想だ。


正直、隣で無邪気に楽しむ美月の笑顔を見ている方が楽しかった。

繋いだままの手から伝わる、彼女の体温の方が心地よかった。



「次はアレ!行きましょう」


引っ張られるまま殆ど全種類—コーヒーカップとメリーゴーランドだけはさすがに勘弁してもらったが—制覇した。


彼女のお気に入りのコースターには、何と4回も乗ってしまった。



当初、さほど面白いと思えなかったジェットコースターだったが、3回目にしてようやく彼女の言っていた「空に飛び出す」感覚が掴めた。


そうなると現金なもので、あの不思議な何ともいえない快感に、俺もまたすっかり病み付きになってしまった。

ゲレンデを飛ばしている時とはまた違う浮遊感。

轟音と共に駆け下り遠心力に振り回され、そして急制動で現実に引き戻される。


昼食もそこそこに、俺達はひたすら乗り物に乗り、歓声をあげ一緒に笑い手を繋いで遊び倒した。

時がたつのなんて、すっかり忘れてしまっていた。



そして…気が付けば辺りは薄暗くなっていた。



「最後にアレ、乗りませんか?」


美月が指したのはライトアップされた観覧車。


比較的空いていた観覧車に大して待つ事もなく乗り込む。

日中は親子連れとカップルがほぼ半々だったこの乗り物も、日が落ちた今親子連れの姿は殆ど見えなくなっていた。


ゆっくり動き始めたカゴ内で、俺達はそれまでの楽しい時間が嘘のように、お互い口を開こうとしなかった。



もうすぐこの楽しかった夢のような1日が終わってしまう。

そう思った瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。

身体の中で誰かが心臓を鷲掴みにしているような、そんな苦しさと痛みに思わず繋いでいた手をギュッと握りしめる。


「…ルーファス、さん?」


大地の色の瞳が、案ずるように覗き込むのを感じ、堪らず目を閉じた。


「大丈夫ですか?具合でも悪いんですか?」


「…いや」


食い縛った歯の隙間から低くそう告げると、彼女は躊躇いがちに


「じゃあもしかして…ご迷惑、でした?」


と聞いてきた。


「違う!迷惑なんて…」


慌てて顔を上げると、戸惑ったように首を傾げながら美月が俺を見つめていた。

真っすぐに俺を見つめる瞳に、衝動的に彼女の身体を抱き寄せていた。


「っ!……神崎、さん?」


「ゴメン」


強張る体を一層強く抱きしめる。


「今日、すごく楽しかった。

どれもこれもが初めての体験だったし、君がずっと一緒で。

だけど…それももう少しで終わっちまうんだなって思ったら、なんか堪らなくてさ。

だからごめん、あとちょっとだけ、このままで…」





そして再び

~美月~

~美月~


「あのさ、いきなりだけど今度の土日って空いてる?」


木嶋さんに用を言いつけ、まるで追い出すかのようにドアを閉めた社長は、くるりと振り向き突然そんな事を言い出した。


「え?えぇまぁ空いてますけど」


「じゃあどっか行かない?」



にこにこにこ。

何の他意もないように見える、一見無邪気そうな笑顔。

けれどその爽やかな見た目に反して、空色の瞳の奥でなにかがキラリと眩めいた。



——あぁ、何か企んでいる時の顔だわ。


なんとなく察しがつき、同時にそんな事が分かってしまう自分に思わず苦笑してしまう。


ここに来て3ヶ月。

仕事の上でも、そしてプライベートでも一緒にいるので、彼の性格というか癖みたいなものは、大なり小なり掴めてきつつある。

なんせ寝る時以外はほぼ丸1日共に過ごしているのだ。


朝起きてから朝食時も移動中も、最近は通常業務のみならず会議や接待の場にもお供している。

文字通り影のように付き従い、彼のやり易いように手配をし、気を配り側面から支えていく。


もちろん私と社長の関係は、どこまで行っても上司と部下でしかない。

そりゃ私だって、自分で言うのもなんだけど面食いな方だし、正直社長の傍にいてときめかない訳じゃない。


けれど、だからといってどうこうなれると思う程、思い上がっていないつもりだ。

なんといったって、私達は最初からつまづいてしまったのだから。

あの最初の晩に…。


「それってどういう…?」


ここは慎重に社長の意図を確かめてから。

咄嗟にそう判断して訊ねてみると


「あぁあの、こないだのチョコのお礼っていうか、まぁそんな感じ?」


予想外の答えというより、むしろ後付けっぽい言い分に妙にこそばゆさを感じてしまう。


これって…もしかして、いわゆる「デート」のお誘い?


「そんな、あれも仕事のうちですから。

お礼していただくような事では」


「いいからいいから、俺の気持ち。

あ、どっか行きたいトコとかない?」


一応やんわり「お断り」してみる。

けれど、こうと決めたら結構押し通す事が最近分かってきた社長の態度は当然変わらなくて。


「なぁ、どこでもいいからさ。

あ、でも今度の土日って天気、どうなんだっけ」



——バッチリです、社長。


快晴とまでは行かないものの、概ね薄雲が広がる程度の晴天で降水確率も20%以下です。

昨日の晩見た天気予報を思い出し、心の中でひっそりと呟く。


とはいえさすがに口に出してそうとも言えず


「そうですね……じゃあ遊園地、とか」


控えめに切り出した途端、社長の目がまん丸になった。



——しまった!子どもっぽかったかしら?

いい歳して遊園地なんて、あぁ…選択を誤ったわ。



「俺、行った事ないんだよ遊園地」


その台詞に、今度は私が目を丸くする番だった。


「ない…んですか?遊園地、1回も?」


「あぁ、1度も」


「ジェットコースターとか、ご存知ないんですか」


「知ってるよそれくらい。

見た事はあるから」


「じゃあ行きましょう!」


思わず社長の両手をがしっと掴んでいた。



「遊園地知らないなんて勿体なさ過ぎます!」



* * *



その日、私達は家から別々に出て別々の電車に乗って目的の遊園地の前で待ち合わせをした。


やましい事なんて当然何もない。

それでも、ただの「上司」と「部下」が連れ立って行くには相応しいとは言えない場所であるだけに、そうせざるをえなかった。



「お待たせ」


振り向くと、そこには見慣れたスーツ姿ではなく、シンプルなTシャツにパーカー、チノパンといったカジュアルないでたちの社長がいた。


「…社長」


「じゃなくて…。

こういう時くらい名前で呼んでよ」



——いやいや、それじゃまるでデートのようじゃないですか。

そんな事、出来ませんから。


期待に満ちた眼差しで見つめられるものの、ご期待に沿う事は難しい。

「神崎さん」という呼び方は社長が嫌がり、かといって「聡一郎さん」と呼ぶにはハードルが高すぎて。


妥協案として「ルーファスさん」と呼ぶ事で譲歩してもらったのだった。



そして開園と同時に入り、お目当てのジェットコースターまで引っ張っていく。


「なんか凄そうなんだけど、ホントに乗るの?」


「当たり前じゃないですか、その為に並んだんですから」


自慢じゃないけど回転系・落下系の乗り物は得意だ。


あのスピード。

あのガタガタいいながら坂のてっぺんに登っていくまでのドキドキ感。

落下する瞬間の浮遊感と、何ともいえないスリル。

あれを体験していないなんて、そんな事あっていい筈がない。



遊園地を知らないからといって大げさな。

そう思われるかもしれないけれど…。

お坊ちゃまだか何だか知らないけど。


あんな面白い事、というか極端な言い方をすれば今まで私が…ううん、ここにいる殆どの人達が送ってきた、平凡だけど普通の生き方や楽しみを彼は知らないのだ。


たとえば天気がいいからお外で、公園かどこかでランチしたり。

たとえば学校帰りに友達と遊びに出かけたり。

たとえば…ほんのささやかな事でも一緒に笑い共感しあう友達や仲間がいたり。



大体、神崎さんには全くといっていい程、プライベートという物がない。

朝食の時間でさえ、1日のスケジュール確認に始まって様々な連絡事項や調整で、何を食べたか分からないような状態だというのに。


彼が目を通さなければならない書類、出席しなければならない打合わせや接待のなんて多い事。

日付けの変わる前に戻ってこられる方が珍しく、土日でさえもゆっくり過ごす暇がないなんて。


ましてプライベートで食事を楽しんだり、気の置けない友人と気晴らしに飲みに出るなどという事は、この3ヶ月の間1度もなかった。

何をするにしてもどこへ行くにしても、それは円滑に事業を進める為の仕事であり、あくまで社の為でしかなかった。


それじゃストレスも溜まるだろう。

息抜きすら儘ならない生活なんて、私だったら息が詰まって耐えられそうにない。



それでも神崎さんは文字通り山のような書類の決算も、気乗りしないであろう接待も、あくまで淡々とこなしている。

そんな彼の様子に、薄々感じていた事がある。


神崎さんの周りには、いつも沢山の人達がいる。

けれど彼らの殆どが、神崎さん自身ではなく、その後ろにある物にしか関心がないように見える。



勿論、神崎さん自身に人として魅力がないという事では、全くない。

むしろ彼ほど、男性としてまた上司しても魅力を備えた人を、私は知らない。


明るく前向きで頼りがいがあって、変な偏りもなく実行力もある。

そんな神崎さんでさえもそうなのだから、それだけ彼の「後ろにある物」とは魅力的なのだろう。


そして神崎さんは、そんな事全部お見通しの上で、敢えて明るく誰とでも気さくに接しているように見える。


そう、若社長を「演じて」いるように見えるのだ。


彼が多少なりとも気を許し、神崎・R・聡一郎個人として振舞えるのは、ごく限られた人の前だけだった。

いつも絶えず気を張っているのだろう。

そういえば最近、少し線が細くなったようにも感じられる。


そう思うと、何故か沸々と怒りのような感情が込み上げてきた。

といっても、もちろん彼自身に対してでは、ない。


彼の日常に触れてみると、驚くほど息が詰まりそうで…これではまるで籠の鳥同然だと思うことがしばしばあった。

彼自身の意見など端から聞く耳を持たず、彼の仕事ぶりも何も見ようともしない現会長が実の父親だというのにも驚いたけれど。


「社長」とは名ばかりの、これじゃただの都合のよい「駒」じゃない、と憤りを感じる事も少なくなかった。



彼のそんな窮屈な生活が一体どれだけ続いてきたのか、知らない。

しかし人並の遊びも息抜きも楽しさも、とにかく抑制されてきたのだという事だけはよく分かった。


彼がこういう乗り物が得意がどうかなんて考えもせず、私は奇妙な使命感を胸に彼の手を取った。


「さっ、行きましょう。

今日は思いっきり楽しみましょうね」



~聡一郎~


ブランコみたいな吊下げシートに、上からガシャッと降りてくる安全バーで身体を固定する。



——足がブラブラするのが妙に落ち着かないな。


そんな俺の心許無さを察したのか


「大丈夫ですよ」


微笑みながら美月は言った。


「この坂上りきって降りる瞬間、空に飛び出すみたいで気持ちいいですよ」



1回目は楽しむ余裕なんてなかった。

カッコわるいトコ見せられない、ただそれだけで目を瞑るのは我慢した。

けれど、思っていた以上に全身に力が入りすぎていたらしい。

階段を降りる時、少しだけ足がふらついた。

何がなんだか分からないうちに落下し、振り回され回転し、終わっていたというのが率直な感想だ。


正直、隣で無邪気に楽しむ美月の笑顔を見ている方が楽しかった。

繋いだままの手から伝わる、彼女の体温の方が心地よかった。



「次はアレ!行きましょう」


引っ張られるまま殆ど全種類—コーヒーカップとメリーゴーランドだけはさすがに勘弁してもらったが—制覇した。


彼女のお気に入りのコースターには、何と4回も乗ってしまった。


当初、さほど面白いと思えなかったジェットコースターだったが、3回目にしてようやく彼女の言っていた「空に飛び出す」感覚が掴めた。


そうなると現金なもので、あの不思議な何ともいえない快感に、俺もまたすっかり病み付きになってしまった。

ゲレンデを飛ばしている時とはまた違う浮遊感。

轟音と共に駆け下り遠心力に振り回され、そして急制動で現実に引き戻される。


昼食もそこそこに、俺達はひたすら乗り物に乗り、歓声をあげ一緒に笑い手を繋いで遊び倒した。

時がたつのなんて、すっかり忘れてしまっていた。



そして…気が付けば辺りは薄暗くなっていた。



「最後にアレ、乗りませんか?」


美月が指したのはライトアップされた観覧車。


比較的空いていた観覧車に大して待つ事もなく乗り込む。

日中は親子連れとカップルがほぼ半々だったこの乗り物も、日が落ちた今親子連れの姿は殆ど見えなくなっていた。


ゆっくり動き始めたカゴ内で、俺達はそれまでの楽しい時間が嘘のように、お互い口を開こうとしなかった。


もうすぐこの楽しかった夢のような1日が終わってしまう。

そう思った瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。

身体の中で誰かが心臓を鷲掴みにしているような、そんな苦しさと痛みに思わず繋いでいた手をギュッと握りしめる。


「…ルーファス、さん?」


大地の色の瞳が、案ずるように覗き込むのを感じ、堪らず目を閉じた。


「大丈夫ですか?具合でも悪いんですか?」


「…いや」


食い縛った歯の隙間から低くそう告げると、彼女は躊躇いがちに


「じゃあもしかして…ご迷惑、でした?」


と聞いてきた。


「違う!迷惑なんて…」


慌てて顔を上げると、戸惑ったように首を傾げながら美月が俺を見つめていた。

真っすぐに俺を見つめる瞳に、衝動的に彼女の身体を抱き寄せていた。


「っ!……神崎、さん?」


「ゴメン」


強張る体を一層強く抱きしめる。


「今日、すごく楽しかった。

どれもこれもが初めての体験だったし、君がずっと一緒で。

だけど…それももう少しで終わっちまうんだなって思ったら、なんか堪らなくてさ。

だからごめん、あとちょっとだけ、このままで…」





そして再び


~美月~


いきなり強い力で抱きしめられ、驚きのあまり声を上げると


「ゴメン」


搾り出すような、切ない声に身動きが取れなくなってしまう。


「今日、すごく楽しかった。

どれもこれもが初めての体験だったし、君がずっと一緒で。

だけど…それももう少しで終わっちまうんだなって思ったら、なんか堪らなくてさ。

だからごめん、あとちょっとだけ、このままで…」


腕の力が強まるのに比例して、彼の声に滲む切なさも増した。



「…ごめん」


「謝らないで、ください」


躊躇しつつも彼の腕に手を添えると、驚いたように神崎さんは私の顔をまじまじと見つめた。


「私も、とても楽しかったです。

それにこの楽しかった時間が終わってしまうのが、やっぱり…」



最後まで言う事はできなかった。


「っ…」


掠めるような、不意打ちのキス。



思わず息を呑んだ私の頬に優しく触れ、神崎さんは目元だけで切なく笑ってみせた。




いきなり強い力で抱きしめられ、驚きのあまり声を上げると


「ゴメン」


搾り出すような、切ない声に身動きが取れなくなってしまう。


「今日、すごく楽しかった。

どれもこれもが初めての体験だったし、君がずっと一緒で。

だけど…それももう少しで終わっちまうんだなって思ったら、なんか堪らなくてさ。

だからごめん、あとちょっとだけ、このままで…」


腕の力が強まるのに比例して、彼の声に滲む切なさも増した。


「…ごめん」


「謝らないで、ください」


躊躇しつつも彼の腕に手を添えると、驚いたように神崎さんは私の顔をまじまじと見つめた。


「私も、とても楽しかったです。

それにこの楽しかった時間が終わってしまうのが、やっぱり…」



最後まで言う事はできなかった。


「っ…」


掠めるような、不意打ちのキス。



思わず息を呑んだ私の頬に優しく触れ、神崎さんは目元だけで切なく笑ってみせた。


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