束の間の休息
神崎グループの御曹司だから。
物心付いた時から、敷かれたレールの上を決められた通り進み、友達さえ社のもしくは俺にとって将来役に立つ人物が厳選された。
神崎グループの御曹司だから。
俺の後ろにある色々な物に群がるように、多くの人間が集まってきた。
たとえば金。
たとえばコネ。
たとえば権力。
俺の事なんて別段なんとも思っちゃいないだろうに、そのくせ沢山の人間に囲まれちやほやされて育った。
神崎グループの御曹司だから。
学校での勉強の他、家庭教師によってありとあらゆる学問、社交術、教養を身につける為の習い事等を仕込まれた。
そこに自分自身の意思など存在しなかった。
課せられたノルマをこなすのに必死で、ひたすら突っ走ってきた。
あの頃、何の楽しみもなかった。
「普通」の子がするような遊びも、大抵の子が見ていたアニメも、集めるのに必死になっていたおもちゃも、俺には縁のない物だった。
そのどれもに全く興味がなかったと言えば、嘘になる。
が、子供心にそのような事を口にするのは憚られ、俺は俺自身の心に蓋をしてきたのだ。
——大人になったら。
大きくなったら、ある程度自分の好きな事も出来るだろう。
親父だって一生懸命頑張っている俺を少しは認めてくれるだろう。
そう思ってやってきたけれど…だけど今のこの生活が、あの頃とどれだけ変わったというのだろう。
掌に顔を埋めるようにして深々と溜息をつく。
ここの所、急激に他社との合併話が進み、会議と接待と交渉に追われる日々が続いている。
と言っても、どうせ親父が裏で全てを取り仕切っていて、俺に出来る事など高が知れているのだが。
「お疲れのようですね、少し休憩なさったらいかがですか?」
乱暴にペンを置くと同時に扉が開き、本城がトレイを手に入ってきた。
「ん、サンキュ」
いつもと同じ濃い目のコーヒー、ミルクたっぷりで砂糖は2つ。
の筈だったが、今日のコーヒーはいつもと違って甘みが足りない。
「本城?」
「こちらもどうぞ」
小皿の上に数粒のチョコ。
1粒口に放り込むと程よい甘さと僅かなほろ苦さが口中に広がった。
「…うまいな」
体中に染み渡るというのは、こういう事を指すのか。
チョコの甘さもさる事ながら、隠し切れない疲労を纏った俺を気遣ってくれたらしい彼女の優しさが、じわじわと胸の内に広がっていく。
こんな風に、ただ純粋に俺の事を心配し気遣ってくれる人なんて、考えてみれば殆ど思いつかない。
普段口やかましい爺でさえ、長い間一緒に暮らしてきて殆ど身内のような間柄ではあるけれど。
もしかしたら、ほんの少しくらいは情を移してくれてるかもしれないけれど。
それでも親父の命令と多分…教育係という責務から傍にいるだけだ。
ましてそれ以外の人間なんて常に何がしか見返りを期待し、勝手に擦り寄ってきては求める物が得られないと悟るや、さっさと離れていく。
そんな「友人達」や「自称恋人」のなんて大勢いる事か。
好むと好まざるとにかかわらず、俺の周りには常に人が集まり、まあまあ大切にされ人の輪の中心にいたけれど、俺はいつも「1人」だった。
「社長?……神崎さん、大丈夫ですか?」
「あ?…あぁ」
つい物思いに耽ってしまっていたのか。
顔を上げると、心配そうに俺を見つめる大地の色の瞳があった。
たとえ恋人ではなくても…仕事上の関係であったとしても、自分の事を心から案じ心配してくれる人がいる、という事がこんなに嬉しい事だったなんて。
「大丈夫、本城の顔見たらなんか元気出てきた」
「あら、お世辞言ってもこれ以上は何も出ませんよ」
「あ、そう?なんだ~残念」
大げさに肩を落としてみせると、堪えきれないといった様子で彼女はクスクス笑った。
——あぁもう、ほんとに!
君のその笑顔がどれだけ俺を癒してくれるかなんて、これっぽっちも気付いてないんだから。