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偶然がもたらした物


~聡一郎~


我ながら失敗した…。


彼女をドクターに引き渡した後、携帯のアドレスどころか名前さえ聞き出せなかったのは、一世一代の不覚といってもいいだろう。


幸い、見た限り足を軽く捻っただけで骨にまでは異常はなさそうだった。

それでも痛めたらしい患部を冷やし、ロッジに控えているドクターを呼ぶよう手配する。



携帯番号もアドレスも、どこの誰なのかすら知らない女性。

なのに彼女の面影が頭から離れない…というのは、やっぱりおかしいのだろう。


「一目ぼれ?

おいおいおい、しっかりしろよ」


と笑い飛ばしていた俺が?


いや、まさか…。

けれど、じゃあ今現在のこの状況は、一体どう説明すりゃいいんだ?


今日何度目かわからない溜息を深々と吐き出し、頭を掻きむしる。


あの時ゴーグルを外した彼女の素顔に、俺は一瞬息を呑んだ。

予想以上に整った顔立ちは優しげで、けれど俺の好みとは正反対だった。


「足、見せて」


「あの…?」


「いいから早く、冷やさないと」


彼女は落ち着かなさげに視線を彷徨わせ、時折り上目遣いに俺の様子を窺ってた。


そりゃそうだろう。

今なら彼女の困惑もよくわかる。

見知らぬ男に抱きかかえられ、手当ての為とはいえ口を挟む間も断る事さえ出来ずブーツを脱がされるなんて…ヘタすりゃセクハラの一歩手前だ。


いや、勿論こっちにだってそんな下心があった訳ではないのだが…。

けれどそんな仕草が妙に小動物めいていて、内心苦笑しながらアイシングを続けたのだった。


その時は…それで終わりだと思った。

もう二度と出会う事もない。


しかし後になればなるほど、彼女の事が妙に気になった。


足は、もうちゃんと治ったのだろうか。

ちゃんと家まで帰れたのだろうか。

あの足で…困ってなどいないだろうか。


名前さえ知らないというのに…何故、こんなにも彼女の事が気にかかるのか。


3週間後俺は再びゲレンデに足を運んだ。

もしかしたら…あの怪我の後だ、軽く流しているかもしれない。

そう考えて初心者コースにも出て、何本も何本も滑り彼女を探した。

我ながらおかしな話だが結構必死だった。

だが…彼女の姿は見当たらなかった。


少し考えてみればわかりそうなものだ。

あの怪我だ、そう簡単に治る訳がない。

まして、たとえ完治したとして彼女があのスキー場にまた行きたいと思うかどうか?


そして結局、彼女と再会する事は叶わないままシーズンが終わってしまった。



* * *



~美月~


お手本みたいに綺麗なフォームで滑る人だった。

大胆で力強くてしなやかで、コブから飛び出した瞬間そのまま飛んでいってしまうのではないかと思った。

彼の背に羽が生えているような…そんな錯覚すら覚えた。


彼の姿に正直見とれた。

ううん、もっと見ていたいと思った。

彼の、滑りを。

一緒に滑りたいと—別に口説いている訳ではないのだけど—そう思った。


でも私のミスのせいで彼に迷惑をかけてしまった。


親切に怪我の手当てまでして下さったのに、ロクにお礼も言えなかった。

せめてお名前だけでも…。

そう思ったけれど、結局名乗る事すら出来なかった。


どこの誰なのかわからない。

けれどもう1度、会いたい。

会って、ちゃんとお礼が言いたい。

また…あのゲレンデに行けば、会えるのだろうか?


そう思ったけど足の怪我は予想以上に悪かった。


全治4週間。

スキーなんて以ての外ときつく言い渡され、実際痛みもあってあれからウェアに袖を通していない。


それでも…ほんの僅かな期待と願いがそうさせるのか、彼の姿が目に焼きついて離れることはなかった。


すらりとした立ち姿。

アッシュブラウンの髪が、ゲレンデに反射してキラキラ眩く輝いていた事。

空をそのまま写し取ったような蒼い瞳。


街中で、あるいは電車の中で、無意識に彼の面影を探していた。

どこの誰なのか、何をしている人なのか、彼の事なんて何1つ知らないくせに。



* * *



「本当に申し訳ありませんでした!」


こんな風に頭を下げるのも、もう今日何度目かわからない。


「謝って済むなら警察いらないって。

いいからこれ持って帰ってよ。

おたくとの付合いももうおしまい」


「あのっ…お願いです。

明日まで待っていただけないでしょうか?

明日の朝イチには必ずご納得いただける物を…」


「明日までって言ったってねぇ…。

悪いんだけど、こっちも遊びでやってんじゃないんだよ」


「それは、承知してます。

厚かましいお願いだという事も重々。

けれど…どうかそこを何とか」


もう1度深々と頭を下げる。

聞こえよがしな深い溜息の後


「仕方ないなぁ」


聞こえた声に頭を上げると、そこには何かを含んだ顔。



——あぁ、この後の展開が手に取るように分かるわ。


「じゃあ今から付き合ってよ」


言いながらやんわり、けれど振り解けないほど強い力で左腕を掴まれる。

下心が見え隠れする表情に内心げんなりしながら、とりあえずこの状況を打開しようと言い訳を試みる。


「あのっ、これの修正が…社に戻らないと」


「修正はいいから付き合って」


「いえ、あの、じゃあこの契約は?」


「付き合ってくれたら考える」



——って、何よ。

じゃあ書類に不備があるからっていうのは、言いがかりだったの?



そんな不満が顔に出たのか…


「あっそ。じゃあこの話はなかったという事で」


言いながら、試すようにニヤリと笑う表情に、未だに掴まれたままの腕に、何と言ったものかと困惑していると


「それってセクハラって言うんじゃないの?」


「っ!……社、長」


「ふーん、第3営業部の山下、ね」


割り込んできた声に、思わず耳を疑った。



振り向くとそこには、夢にまで見た空色の瞳があった。



「その手を離しなさい」


有無を言わさぬ響きに手が緩んだ隙に、さり気なく肩を抱き寄せられる。

そのまま何事もなかったかのように肩を押され、外に出た。


「…あのっ」


ピタリと扉が閉じたのを確かめてから、意を決して顔を上げる。

目が合った瞬間、彼はおや?というように片方だけ眉を上げた。


「あの時の…?」



——まさか。

彼も覚えていた…?



「あの、本当にありがとうございました。

今もですが…ゲレンデでも」


「あぁ、やっぱり」


にっこりと人懐こい笑みを浮かべ、彼は視線を下に移した。


「足、もう大丈夫そうだな」


「えぇ、おかげ様で」



——やっぱり、覚えていてくれたんだ。


じんわりと込み上げてきた嬉しさはすぐに消え、そういえばまだお礼もちゃんと言っていなかったのだと思い出す。


…なんて事!

礼儀を知らないなんて思われたんじゃ…?

あぁ、私のバカ!って今からでも遅くないのよ。


「その節は大変お世話になっておきながら、ちゃんとお礼も申し上げず、大変失礼致しました」


言いながら改めて頭を下げる。


「あーいいって、そんな事」


「あの、もしご迷惑じゃなかったら、それに…失礼かもしれませんが何かお礼をさせていただけないでしょうか」


「いや、そんな、別に礼をして欲しくてやった事じゃないから」


驚いたようにも慌てたようにも、反応を見ているようにも見える瞳に、思わず顔が火照った。


「でも…私の気持ちですから。

ご迷惑じゃなかったら、ですけど」


一気にそう告げると、彼は少し何かを考えるように視線を逸らし


「じゃあ20時に‬ロッソで、どうかな?

さっきの件も詳しく聞きたいし」


それほど有名という訳ではないけれど、この辺で穴場的な店の名前に迷わず頷く。



「あ、俺、神崎。

神崎・ルーファス・聡一郎」


「本城 美月です」


「じゃあ20時に‬」



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