第八話【激辛スパイスはヤバい粉】
――盾とは何か?
それは、敵の攻撃から身を守るための防具である。
昔好きだったゲームに、ある物を盾として装備している女の子がいた。
そもそも身を守ることを目的として設計されていないため、防御力は最低レベル。
ないよりマシという貧弱な盾。
だが……今はその発想に感謝したい。
これを盾にするという発想がなければ、大変な事態になっていたかもしれないのだ。
――鍋の蓋。
大火力で炙り続けられる鍋の相方は、耐火性に優れ、持ちやすい把っ手がつき、ちょっとやそっとのことでは壊れない。
ましてそれが神様から与えられた特別な道具となれば、どのような攻撃を受けようとも絶対に壊れることがない――最強の盾となる。
構えていた包丁を変化させて鍋の蓋を装備した俺は、ティコに向かって飛んできた火球を弾いた。
パキュンッと不思議な音が鳴り、軌道を曲げられた火球は迷宮の壁に着弾して小さな爆発を起こす。
傍から見れば、鍋の蓋を手にして魔物と対峙しているわけなので、あいつ頭大丈夫か? と思われても仕方のない光景である。
「びっくりなのだ……」
目の前にいる赤スライムも、『どういう……ことだ?』とでも言いたそうに体をプルンと震わせていた。
一歩、足を前に踏み出す。
赤スライムの体がチカチカッと連続して光り、火球が二発続けて放たれた。
……が、鍋の蓋はビクともしない。
問題ないと判断した俺は、一気に赤スライムとの距離を詰めるべく駆け出した。
赤スライムはそうはさせまいと火球を放とうとするが、戸惑っているのか、発射の間隔が長くなっているような気がする。
正確だった狙いも、わずかにブレているように思えた。
そうして、赤スライムを包丁の間合いに捉えた俺は、鍋の蓋を一瞬で包丁へと変化させて振り下ろす。
「せいっ!」
魔石を傷つけないように体を斬り裂き、ボトッと落ちた体からすぐさま魔石を引き抜いた。
普通のスライムのものと比べると、かなり大きめのサイズである。
核となる魔石を失った赤スライムは、痙攣するようにビクンと震え、べしゃっとだらしなく地面に広がっていく。
あ、やばいやばい。
早く回収しないと赤スライムの体が迷宮に呑み込まれてしまう。
どうしよう?
こいつは普通のスライムとは違う。
変異種とかよくわからないが、きっとレアなやつだ。
俺は手持ちの空き瓶の中に赤スライムを急いで詰め込んだ。
「さっきは助かったのだ。ありがとうなのだ」
「いやいや、こっちこそ。ティコが助けてくれなかったら、最初の一発で大怪我してたかもしれないからな」
「今のはスライムの変異種なのだ。ハルはよく勝てたのだ。鍋の蓋はすごいのだ」
よせやい。本当に全て鍋の蓋のおかげだからね。
「それで、その変異種ってのはなんなんだ?」
ティコが言うには、迷宮では稀に魔物の変異種が生まれ落ちることがあるらしい。
その階に生息している魔物の突然変異といえる種で、強さは普通のものより数段強いとされている。
そんなやつがいきなり出現するなんて、理不尽だ! と叫びたい気もするが、よく考えてみるとそう不思議なことではないのかもな。
迷宮は魔物の一種だ。侵入した人間を養分にしているのなら、わざわざ弱い魔物から順に配置して攻略しやすい構造にする必要はない。とはいっても、いきなり強力な魔物を配置したら誰も迷宮に足を踏み入れなくなってしまう。
弱い魔物を配置しつつ、突然イレギュラーの魔物を生み出して、油断している侵入者を確実に殺りにくるとか……生物として合理的かもしれない。
まあ、迷宮がそこまで意思をもって魔物を生み出しているかは疑問であるが。
お……?
バタバタしていて確認が遅れたが、どうやら俺はレベルが上がったらしい。
赤スライムを倒したおかげかな。
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名前:ミチハル・コウサキ
レベル2
【力】7【敏捷】9【耐久】7【器用】9【魔力】0
スキル:〈鑑定〉
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力と耐久が+1されている。
異世界での初レベルアップに歓喜の声を上げるべきなのかもしれないが、なんというか……あらためて料理によるステータス上昇の恩恵はぶっ飛んでるんだなと思った。
世界中の食材を食べ歩きしていたら、とんでもないことになりそうだ。
ともあれ、今日の迷宮探索はこれぐらいにしておこうと思う。
午後も多くの魔物を狩ることができたし、変異種と遭遇したことで何やら疲れた。
「いいかな? ティコ」
「賛成なのだ。無理をすることと、頑張ることは別物なのだ」
ビシッと手を上げたティコはまだ余力を残していそうだったが、俺に気を遣ってくれたのかもしれない。
まずは手に入れた魔石を換金してから、食材屋にも顔を出すことにする。
オークやスライムの魔石売却額は、午前の稼ぎとほぼ同じだった。
驚いたのは、赤スライムの魔石だ。
他の魔石と比べるとかなり大きく、なんと大銀貨二枚――20000フォルになった。
変異種の魔物は、通常よりも数段強いと言っていたが、魔石の純度やサイズも数段上なのだろう。
俺は半分の大銀貨一枚をティコに渡すことにする。
「……? あいつを倒したのはハルなのだ。ティコがもらうわけにはいかないのだ」
「さっきも言ったけど、ティコが最初に助けてくれてなかったら怪我をしてたと思う。受け取ってくれ」
「わかったのだ。ティコはもらえるものはもらうのだ!」
ティコがにぱぁっと笑った。
うんうん、お金って大事だもんな。
魔石の換金が終わったら、次は食材屋だ。
オーク肉は相変わらずの値段だったが、赤スライムの査定額はこれまた小銀貨二枚となかなかの高額査定だった。
まあ、売らないんですけどね。
基本的に、初見の魔物食材は自分が食べるつもりだ。
「こりゃあ驚いた。こいつはスライムの変異種なんだ。なかなかお目にかかれない珍しい魔物だが……よくまあ倒せたな」
こいつは地下一階において、相当な初見殺しの魔物なんだろうな。
赤スライムと遭遇したときはどうなることかとヒヤヒヤしたが、レアな食材をゲットできたと思えば、逆に幸運だったのかもしれない。
これも神様にお供えしているおかげかな。
下手したら大怪我するところだったけどさ。
「査定額が高いということは、食材としての価値はあるんですよね?」
「ああ、赤スライムはおもに香辛料なんかに加工されるな。ピリッとした辛味があって、欲しがる人が多いんだよ」
宿に戻った俺は、まずは赤スライムを調理してしまうことにした。
夜ごはんの食材を買いに行くのは、その後だ。
香辛料、ね。
赤スライムは鮮烈ともいえる真っ赤なボディをしており、言われてみれば辛そうな雰囲気を醸し出している。
俺は赤スライムを水でよく洗ってから、鍋に入れてそのまま火にかけた。
普通のスライムが溶けたように、赤スライムもジェル状の体が溶けていき、さらに煮込み続けることで水分が蒸発していく。
神様の料理道具は、こちらの考えを汲み取っているかのように火力を上げ、赤スライムの体液を短時間で蒸発させきってくれた。
相変わらずの高性能である。
焦げつきは一切なく、サラサラとした赤い粉末だけが鍋の中に残った。
匂いを嗅いでみると、鼻腔を刺激する独特の香り。
あ……これ、絶対に辛いやつだ。
街にある市場でも様々な香辛料が売られていたが、これほど香りが豊かなものは珍しいのではないか。
ちなみに、俺は辛いのは好きなほうである。
前世で、翌日に肛門が大火傷するほどの激辛ラーメンを食べたときには、さすがに胃腸に謝りたくなったけども。
味見も兼ねて、保存食として作った燻製ベーコンを取り出して厚切りにし、赤い粉末をほんの少しだけふりかけて、ぱくりと一口。
……もぐもぐ。
ん?
……お、おお? ……おおおおおぉぉぉぉぉぉっ!
辛っ! うまっ! ……ほんの一摘みでこれか。
ゆっくり味わうと、辛いだけではなく、甘みもあって旨味が感じられる。
燻製ベーコンの脂をさらっと流してくれるような清涼さもあり、これは人気が出るのも頷ける話だ。
「ティコも、ティコも食べたいのだ!」
はいはい。ちゃんとあげますとも。
同じく、ベーコンの厚切りに一摘みだけ赤い粉末をふりかけてティコに渡す。
旨辛ベーコンをもぐもぐと味わっていたティコは、尻尾を逆立てるような反応をした後に、もう一枚欲しそうな顔でこちらを見てきた。
あと引く辛さがクセになるってやつだな。俺もそうなってるから、よくわかる。
ひー……はー……。
赤スライムから作ったので、〈レッドスパイス〉とでも名付けようかな。
俺は額に汗がにじみ出てくるのを感じながら、自分の体の中を、今まで知覚できなかった何かが流れていくような不思議な感覚を味わった。
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名前:ミチハル・コウサキ
レベル2
【力】7【敏捷】9【耐久】7【器用】9【魔力】1
スキル:〈鑑定〉〈火魔法〉
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おおぉぉっ!
きたきたぁ!
何がきたって、スキル欄に新しく〈火魔法〉が出現しているではないか。
しかも、ゼロだった魔力のステータスも上昇している。
この激辛スパイス……。
『ぺろりと一舐めするだけで、君も今日から魔法使い☆』
とか銘打って売り出せば、末端価格はおそろしい額になるかもしれない。
やだ怖い。
俺は、新しく獲得できた火魔法スキルを鑑定してみた。
火魔法スキル――火魔法を扱うことができるようになる。魔法の威力はレベルと魔力値に依存する。強力な魔法を扱うには、それに見合ったレベルが必要。
……なるほど。なかなか役立つ情報が頭に入ってきた。
どうやら、スキル自体にはレベルというものが存在しないらしい。
魔法の最終的な威力は、その人の魔力ステータスと、レベルによって決定される。
となると、レベルアップの恩恵というのは、ただステータスがアップするだけではなさそうだ。その人の強さの位階……みたいなものが、『レベル』として表示されているのかもしれない。
魔力が高ければもちろん魔法の威力は上がるが、同程度の魔力を持ち、火魔法スキルを所持している人間が同じ魔法を打ち合って競った場合、レベルが高いほうが勝つ。
そういうこと……だよな。
じゃあ武芸スキルはどうなのか? たしか、ティコは剣術スキルを所持していたっけ。
ちょっと失礼。
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名前:ティコ
レベル4
【力】6【敏捷】15【耐久】6【器用】14【魔力】1
スキル:〈剣術〉〈火魔法〉
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剣術スキル――刀剣類に該当する武器の扱いが向上する。魔力以外のステータス値とレベルによって習熟度合いは変化する。
……なるほど。
さて、スキルの考察はこれぐらいでいいだろう。
そろそろ本日のお楽しみといきますか。
今日の夜ごはんは何にしよう? 赤スライムの魔石が高額で売却できたので、ちょっと奮発しておいしいものが食べたい。
俺にとっては、それが一番大事なことなのだ。
読んでいただきありがとうございます。