第六話【初めての迷宮探索】
――翌日。
俺とティコは朝食を取ってから宿を出発した。
宿の厨房で焼き立てのパンを購入して、昨晩の余ったシチューに浸して食べるとなかなかボリュームのある朝食になった。
「……うーん、やっぱり上がってないな」
コカトリス肉のシチューを食べたというのに、朝食後は特にステータスに変化は見られない。
となると、やはりあれか。
神様の料理道具を使って魔物食材を調理すれば、ステータスアップの恩恵が受けられる。
だがしかし、恩恵が受けられるのは各種食材につき一度だけ――というのが、今のところ最も可能性が高いのではないかと考えられる。
オーク肉にしても、コカトリス肉にしても、恩恵が受けられたのは最初の一度だけだ。
同じもんばっか食べてんじゃねーぞ、という神様の啓示だろうか。
道中でそんな考察をしつつ、俺たちはハシェルの迷宮の入り口へとやってきた。
衛兵の姿は見受けられるが、出入りの制限を行っているわけではなさそうだ。
「基本的に、どこの迷宮も出入りは自由なのだ。たとえ王国が管理しているような迷宮でも、迷宮内で発見した宝は拾った人の物だし、手に入れた魔石や魔物の食材を取り上げられることはないのだ」
どこかの王国では、迷宮の核だった巨大魔石を持ち帰り、王国に没収されたらしいけどな。
何事にも例外というものはあるのだろう。
ちなみに、迷宮都市ハシェルは自治都市のため、王国が管理しているわけではない。
「なるほど……命の危険もあるっていうのに、苦労して持ち帰ったお宝を横から奪われたら、そもそも誰も迷宮に潜ろうとしないもんな」
下手に搾取しようとしなくとも、魔石や高価な食材なんかは近隣の街で売却されることになるだろうから、それだけで経済的な価値は十分ありそうだ。
――そんなことを考えながら、ついに俺は迷宮に足を踏み入れた。
石でも金属でもない、よくわからない材質でできている階段をコツコツと下りていく。
地下一階だというのに、仄かに明るい。
壁が光っているのか、松明などの光源がなくとも視界には困らない程度だ。
「迷宮によって出現する魔物は違うのだ。よくわからないけど、浅層ではその地域によく出没する魔物なんかが生み出されることが多いみたいなのだ」
そういえば……地下一階にはオークやスライムなんかが出るって言われたっけ。
レイストンでも畑を荒らしにオークが襲ってくるらしいし、この地域ではポピュラーな魔物なんだろう。
「ブヒッ! ブギィィィィッ!」
遠くのほうから、そんな鳴き声が聞こえた。
声がしたほうへと駆けて行くと、どうやら他の人がオークと戦闘を繰り広げているようだ。
「あれがオークか……」
もっと醜悪な外見をしているのかと思っていたが、猪を二足歩行させたような魔物だ。
武器は持っておらず、動きもそれほど速くない。
四足歩行の猪のほうが、よっぽど速く走るんじゃないかな。
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名前:オーク
レベル1
【力】6【敏捷】2【耐久】6【器用】1【魔力】0
スキル:なし
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……なるほど。
ステータスを見ても、力と耐久に特化した魔物という感じだ。
捕まらない限り、さほど危険ではないと思う。
「ブギャァァァァッ!」
戦いの末、斧で頭を真っ二つにかち割られたオークは、血塗れになって倒れ伏した。
かなりショッキングな光景だが、自分がそれほど忌避感なく直視できていることに驚いた。
この世界に適合できるように転生させられた影響だろうか、あんなの普通だよ? みたいな冷静な気持ちで見ていられる。
オークを倒した男は、すぐさまオークの心臓部分にナイフを突き入れ、綺麗な結晶のようなものを取り出した。
「あれが魔石なのだ。魔物によって埋め込まれている場所は違うけど、たいていは心臓の部分か、体の中心部分にあるのだ」
初めての迷宮探索で色々とわかっていない俺を、的確にフォローしてくれるティコ。
ちょっと子供っぽいから、大丈夫か? みたいな気持ちも少しあったけど、経験者が横にいてくれるとすごく心強いな。
良い食材が手に入ったら、お礼に何か作ってあげたい。
あれ……?
オークを倒した男は、死体は残したまま、さっさと歩いて行ってしまった。
「お肉はいらないのかな?」
それほど高価じゃないだろうけど、もったいない。
「持ち運びが簡単な魔石と違って、魔物の食材は重たくて運ぶのが大変なのだ。この辺りだと、魔石だけ集めるほうが効率的に稼ぐことができるのだ」
……たしかに、あのオークを丸々一匹持って帰ろうとしたら、それだけで迷宮探索は終了になりそうだ。納得である。
「ティコも聞いた話だけど、もっと深い層にいる魔物の食材は高値で売れるから、頑張って持ち帰るらしいのだ。でも、売れそうな部分だけ切り取らないと、きっと重くて持てないのだ」
ああ、それで食材屋に売りに来ていた人も、需要のある部位だけを切り取って持ち込んでいたんだな。
なるほど……つまり、オーク肉は市場でも安価で売られているし、苦労に見合う食材ではないから、あのように放置されているわけだ。
でも、ああやって捨て置かれているのなら、おいしそうな部分だけ少量切り取って持ち帰りたい気もする。このまま放っておくと、そのうち迷宮に吸収されて消えちゃうわけだし。
「気持ちはわかるけど、やめておくのだ。そういうことをする人を“死体漁り”と呼んで嫌う人もいるのだ。横取りしたとかで喧嘩になった話もよく耳にするから、自分で倒した魔物を持ち帰るのが安全なのだ」
「……なるほど。たしかに、そうしたほうが良さそうだな」
迷宮に吸収されて消えてしまうまでは、倒した人に権利があると考えておいたほうが良さそうだ。
しかし……迷宮内ってあんまり地下にいる感じがしないな。
周りには草木が生い茂っているし、どこから湧いているのか、泉のような水場まであるではないか。
もしかすると、生息している魔物が暮らしやすいような環境を作り上げているんだろうか?
迷宮が魔物の一種とするなら、体内に侵入してきた悪玉菌(俺たち)を退治するために、善玉菌(魔物)が育ちやすい環境を整えているわけだ。
そう考えると、やはりここは迷宮の腹の中なんだな。
「ハル、どうしたのだ?」
「……いや、ちょっと考え事を」
そうして迷宮内をしばらく歩いていると、遠目に一体のオークの姿が見えた。
「まずは、ティコがお手本を見せるのだ」
そう言うと、ティコは二本の短剣を手に持ってオークへと突進していく。
タタタッ、と一瞬で距離を詰めると、キラッと鈍い輝きがオークの首筋を走る。
あっけないほど簡単に、オークの首がごろんと転がった。
ティコに掴みかかろうとして伸ばされた腕は、力なく垂れ下がり、そのまま体は地面に倒れ込んでいく。
お見事としか言いようがない。あっという間だった。
「えっへん、なのだ」
ティコは小さな胸を精一杯張り、オークの心臓付近に短剣を刺して魔石を取り出す。
「次はハルの番なのだ」
ここまで来たら覚悟を決めるしかなく、俺はこくりと頷いた。
しばらく迷宮を歩いていると、間もなく二匹目のオークを発見。
俺は神様の包丁を構えて変化させた。
どのような形に変化させようか迷ったが、オークは猪みたいな巨体なので、大きめの出刃包丁などで突き刺しても致命傷にはならないだろう。
もっと大きな包丁……となると、マグロ包丁などが頭に浮かぶ。
鋭利な刀のような形状をしており、巨大なマグロを解体するときに使われる大型包丁だ。
俺はオークに向かって一直線に駆けた。
「ブギッ!?」
相手もこちらに気づいたようで、警戒するような姿勢を取った。
だが……遅い。
敏捷のステータスが上昇しているせいか、自分の体が軽く感じる。
オークが掴みかかってこようとする腕をかいくぐり、マグロ包丁で相手の胴を横薙ぎにした。
「せいっ」
引き切るようにして包丁を振りきると、肉を断ち切る感触が手に伝わってくる。
「ブギャッ」
オークの上半身がずり落ち、下半身だけが遅れて倒れ込んだ。
なにこのマグロ包丁。怖い。
切れ味が半端ないんだけど。
普通はあんなふうに骨ごと断ち切るような真似をすれば、刃が欠けてしまったりするものだが、【金剛不壊】の恩寵のおかげで刃こぼれなども一切していない。それどころか、血や脂すら付着せずに新品同様だ。
「すごいのだ!」
……包丁がね。
初めて魔物を倒した俺に、ティコが賛辞の言葉をくれた。
「さっそく魔石を取っちゃうのだ」
勝利の余韻に浸っている暇はなく、早くしないとオークの体が迷宮に呑み込まれてしまう。
包丁を通常サイズに戻し、オークの心臓部分に突き刺して魔石を取り出した。
……少し抵抗はあったものの、生き物を殺したことへの忌避感はほとんどない。
この世界に適応できるように体が組み替えられた影響もあるだろうが、俺は転生前に趣味でよく釣りに行っていたのだ。
釣った魚は自分で捌いて料理していたから、頭を切り落とし、内臓を取り出し、それこそ何百何千という命をいただいたことになる。
魚を釣って食べるのも、オークを殺して魔石や肉をいただくのも、大差はないのだ。
少なくとも、今の俺にとっては。
……にしても、やっぱりこのオークを丸ごと持ち帰ることはできないな。
かなりの巨体だし、うまそうな部位だけ切り取っておくとしよう。
俺はほどよく脂の乗ってそうな背ロースの部位を切り取り、近くにある泉で血を洗い落としてから鞄に入れておいた。
多少は値がつくかもしれないし、売れなければ自分で食べればいい。
そうした一連の作業を終えると、オークの体は地面に呑み込まれるようにして消えてしまったではないか。
人間も迷宮で死ぬと、あんなふうに呑み込まれるんだろうか?
そう考えると、ちょっと怖い。
……それにしても、オークってかなり動きが鈍かったな。
あれなら、四足歩行の猪のほうが相当素早いと思う。
オークはなぜ二足歩行なのか? 獣は基本的に四足歩行のほうが俊敏な動きができるはずだ。
ふーむ。
もちろん、二足歩行をするメリットはたくさんある。
人間なんかは、両手が自由になることで道具を使えるようになり、それによって脳が刺激され、肥大化することで種として進化したと考えられているわけだし。
肥大化する脳の重量を支えるためにも、二足歩行は必須だ。
まあ、その辺は諸説あるんだろうけども。
……もしかすると、二足歩行のオークは進化の途中にある魔物なのかもしれない。
さっきのやつはレベル1だったが、レベルが高くなると道具とか使いこなして機敏な動きをするようになるとか? さすがに考え過ぎか。
だけど、こういった魔物の生態について考えるのはわりと面白いな。
とまあ、俺がそんな思考に耽っていると、ティコに服の裾を引っ張られた。
「ボッーっとしてると危ないのだ。あそこにスライムがいるのだ」
おっと、ごめんなさい。
ティコが指を突き出した方向に、ジェル状の動く物体があった。
軟体生物のように、うにうにと体を動かしている。
「気をつけるのだ。動きは遅いけど、顔とかにまとわりつかれると窒息する危険があるのだ」
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名前:スライム
レベル1
【力】2【敏捷】3【耐久】7【器用】4【魔力】0
スキル:なし
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耐久がけっこう高いな……。
警戒しながら近づくと、スライムは体を弾ませるようにして飛びかかってきた。
こちらの顔をめがけて一直線だ。
俺は焦らずに攻撃を回避してから、マグロ包丁で真っ二つに斬り裂いた。
だが、地面にボトッと落ちたスライムの片方は、まだ動き続けている。
「スライムは弱いけど生命力は強いのだ。体の中心にある魔石を取り出すか、壊さない限り襲ってくるのだ」
ティコの的確なアドバイスに従い、俺はスライムの体を注意深く観察した。
透明な体の中に、ぷかりと綺麗な結晶が浮かんでいる。
――そこか。
魔石のある部分を斬り飛ばし、地面に落ちたスライムの破片から魔石をすぐさま引き抜く。
そうすると、スライムの体は力が抜けたかのように動かなくなった。
これ……食えるのかな?
ジェル状の体をつんつんと突いてみると、ぷるんと震える。
寒天みたいな……いや、ゼラチンかな?
……どうやって持ち帰ろう。あ、料理で使ったワインの空き瓶があるから、それに詰め込んでおくことにしようか。
「地下一階で遭遇する魔物なら、ハルは大丈夫そうなのだ。その包丁もすごい切れ味だし、正直びっくりなのだ」
いや、ティコが的確なアドバイスをしてくれたおかげだ。
各階にいる魔物の特徴とかは、しっかり把握しておくべきだな。
「これからどうするのだ? しばらくはこの階で魔物を狩って慣れるのもいいと思うのだ」
俺はマグロ包丁を握りしめ、大きく息を吸い込んだ。
「うん、そうしよう」
――まずはお昼までに、狩れるだけ魔物を狩ることにしますか。
読んでいただきありがとうございます。