序話【転生しました!】
「いや~、死んじゃったねぇ」
真っ白な空間で、そんな言葉をこちらに言い放ったのは、綺麗な女性だった。
言葉遣いはやや幼さを感じさせるが、美少女とも、美女ともいえるような不思議な魅力を持った外見をしている。
「えっと……どちら様ですか?」
「ボク? 一応神様なんだけど。転生とかの管理をしてる。というか、君は自分がどういう状況にあるか理解してる? なんなら説明するけど」
え、ちょっと待って。神様?
死んじゃったって……俺のこと? これってどういう状況なの?
落ち着け。落ち着くんだ俺。
俺はさっきまで自分がどういう状況にいたかを、冷静になって思い出してみる。
自分の名前は……神前 道春。
ごく普通の新米会社員だが、唯一ともいえる趣味はおいしいものを食べること。
休日なんかはお気に入りの店に顔を出し、食べ歩きをするのが何よりの楽しみだった。
たしか……今日も馴染みの店に行き、うまい料理をたらふく食べて幸せを満喫していたはずなのだが――あ……だんだん思い出してきたぞ。
そうだ。食事を終えた後、店を出ようとした矢先に事件が起こった。
席に座っていた男がいきなりナイフを取り出し、店の大将に突きつけたのだ。
いわゆる強盗というやつで、店内は一気に騒然となった。
男は興奮しており、今にも大将を刺しそうな勢いだった。
何を思ったのか、俺はその男を取り押さえようとして揉み合いになり、最終的に腹を刺されて死んだのだ。
そうか……俺は死んだのか。
「うんうん、英雄的な行動だったね。君が死んだ後の映像とかも出せるけど、見る?」
神様はこっちの反応を待たずして、目の前の空間に映像を出した。
どうやら俺を刺した犯人は、人を殺したショックでビビってしまい、店外へ逃げ出したところを警察官に取り押さえられたようだ。
まるでテレビ画面のようだが、その中では馴染みの大将が目に涙を浮かべている。
『わしを助けるために無茶しやがって。馬鹿野郎がっ……』
馴染みの店の大将が、いつもの渋面を崩して泣いている。
もらい泣きしそうな場面だが、俺は心の中で少し申し訳ない気持ちになってしまった。
「んん? てっきり君も泣き出すかと思ったのに、わりと落ち着いてるね。なんで?」
「えーと、ですね」
正直なところ、俺は純粋な気持ちで大将を助けようとしたわけではない。
大将の身に何かあれば、もうこの店でうまい料理が食えなくなってしまうというのが、恐怖に打ち勝って体が動いた一番大きな理由だ。
我ながら呆れてしまう。
……まあ、それで自分が死んでしまっては元も子もないのだが。
「へえ~。でも、いいんじゃないの? 理由はどうあれ君が人助けをしたのは事実なんだし。それにしても、君はずいぶん食べ物に執着があるみたいだね。……どれどれ」
神様は瞬間移動したかのように目の前へ移動してきて、あろうことか俺の額に指をズンッと突き刺した。
「ぎゃあああっ!」
あれ――……痛くない。
神様の指は、明らかに俺の頭を貫通しているのだが、不思議と痛みはない。
しばらくして、神様のお腹がグーッという親しみのある音を響かせた。
「……なるほど。いや、生前の君の記憶を覗かせてもらったんだけど、見事に食べ物のことで埋め尽くされてるね。なんかこっちまでお腹が減ってきたよ」
額に突き刺さっていた指がポンッと引き抜かれて、神様はそんなことを口にした。
今ので記憶を覗けるとか、やはりこの女性が神様というのは疑いようのない事実のようだ。
というか、食べ物のことで埋め尽くされてるのか……やだ恥ずかしい。
「お恥ずかしい限りです。それで……俺はこれからどうなるんでしょう?」
だいぶ話が逸れてしまったが、たしか転生の管理をしているとか言っていた気がする。
「そうそう。君を転生させるのがボクの役目なわけだけど、人助けをしたご褒美に少しだけ優遇措置を施そうと思ったわけさ。何か希望はあるかな? 可能なら叶えてあげるよ。ちなみに君が転生する先の世界は、地球とは異なる異世界だから注意してね」
異世界転生、か。
優遇措置というのは心躍るが、俺の望みなんて単純なもので。
「転生した後の世界でも、おいしいものが食べたいです」
迷うことなく、俺はそう言った。
「ブレないね、君は」
神様は苦笑して、何もない空中からあるものを取り出した。
それはケースに入った一本の包丁のようで、手渡されてから柄を握り込むと、驚くほど手に馴染むような気がした。
「これって……?」
「それはボクが作製した料理道具でね。今は普通の包丁の形をしているけど、持ち主が願えば自由に形態変化する逸品さ。なんとなんと! 包丁形態だけじゃなく、他にも色んな形態があるんだよ!? すごくない? 所有者は君に設定しておくから、もう君にしか使えない。たとえ盗まれても手元へ自動で戻ってくるよ」
形態変化する包丁って、なにげに心惹かれる。
白状すると、俺はピカピカの調理器具とかが大好きだ。機能的な形をしている銀色に輝くキッチンツールとか、もはや芸術品だと思う。
「ちなみに【金剛不壊】の恩寵も付けてあるから絶対壊れることはない……けど、まあ大切に使ってあげてよね。いや~、もともとはボクが自分で料理するために試行錯誤して作ったんだけど、肝心の料理は一回挑戦しただけで挫折しちゃってさ」
……神様も料理とかするんだ。
なんだか、ちょっと身近に感じられてホッとした。
「さっき記憶を覗いたときに知ったんだけど、君は自分でもけっこう料理をするみたいじゃないか。外で食べてきた料理を再現しようと家でも色々と作ってみたいだし、こういう道具があれば喜ぶんじゃないかと思って」
「はい。すごく嬉しいです」
……けど、なんで料理道具なんだろう?
おいしいものが食べたいなら自分で作れ、というシビアな世界なのだろうか。
「もちろん転生先の世界にだって料理人はいるよ。けど、君が食道楽を追求するつもりなら、たぶんあったほうがいい。まあ色々と試してみてよ」
そこまで言って、神様は転生についての説明に戻った。
「普通、転生は記憶を失くして赤ん坊からやり直すものなんだけど、例外的に記憶を残したまま、生前の姿を復元してその世界に適応させることも可能でね。君は後者の方法で転生させようと思う」
そのままの姿で異世界……となると、転移に近いのかな。
「まあ、一度は死んで別の世界で生まれ変わるわけだから、転生でいいんじゃない? とにかく、赤ん坊に転生すると、おいしいものが食べたいという君の想いも全部消えちゃうわけだから、今回は姿形を復元して転生させるね」
ありがたい。
こうなると、異世界での食べ歩きが俄然楽しく思えてきた。
「あ、でも、言葉や文字とかはどうなるんでしょう?」
赤ん坊からやり直すのなら、その世界の言語を覚える機会もあるだろうけど、今の姿のままだと不安だ。
「心配ないよ。言語には不自由しないように配慮しておくから」
どうやら、そろそろ俺を転生させる準備ができたらしい。
神様が両手を伸ばすと、俺の体が淡い光に包まれた。
「――ああ、そうそう」
最後に、神様は思い出したように言った。
「さっきも言ったけど、君の記憶を覗いたせいか、なんだかボクもお腹が減ってきたんだ。プレゼントしたそれを使っておいしい料理ができたなら、お供えとかしてくれると嬉しいな」
役立ちそうな道具をもらったのだから、それぐらいはお安いご用だ。
「味の保証はできませんけど」
「はは、楽しみにしてるよ。その期待も込めて、君には役立ちそうなスキルを一つプレゼントしてあげる。転生したら自分の体に意識を集中させてみるといい。それじゃあ――いってらっしゃい」
◆◇◆
――無事、転生は完了したようだ。
視界が一気に白く染め上げられ、自分の体が光の粒のように分散し、ふたたび収束するような奇妙な感覚を味わった。
ちょっと気持ち悪くなり、吐きそうになったが、そこはなんとか我慢する。
時間にすればほんの一瞬。
ぎゅっと閉じた瞼の奥に、太陽の光が当たっているような明るさを感じて、俺はゆっくりと目を開けた。
まず目に飛び込んできたのは、自分が踏みしめている石畳の地面だ。
次に、耳から雑音のようなザーッという音が消えて、人の声が重なるような喧騒が聞こえてくる。
よかった……どうやら、人が住んでいる街からスタートらしい。
いきなり未開の森の中に飛ばされたり、盗賊たちが村を襲っている惨劇の場面に遭遇するようなハードモードではなかったことに感謝だ。
周辺をきょろきょろと見回すが、人の姿はない。
遠くからガヤガヤとした賑わう音が聞こえてくるから、ここは大通りから外れた裏路地のような場所かもしれない。
とりあえず、自分の体を触ってみる。
鏡がないからよくわからないが、手で触れてみた感じでは、以前の自分と同じ外見をしているように思える。
服装はスーツではなく、布の服だ。
防御力は4ぐらいか? いや、まあ、少しざらっとした手触りがするから、麻を原料とした服なのかな。綿とか絹じゃないと思う。
靴は何かの皮を加工したものだが、お世辞にも履き心地はよろしくない。
……そういえば、神様がさっき言ってたな。自分の体に意識を集中させろとか何とか。
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名前:ミチハル・コウサキ
レベル1
【力】5【敏捷】5【耐久】5【器用】5【魔力】0
スキル:〈鑑定〉
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「おお、なんだこれ? ……自分のステータスってやつかな。スキル欄に鑑定っていうのがあるけど、神様はこれをプレゼントしてくれたのか」
なんか……ちょっとワクワクする。
でも、戦闘力たったの5か。
この世界の基準がどれほどなのかはわからないが、もし『ゴミめ』とか言われたら悲しい。
体を復元して転生する際に、こちらの世界に適応させると神様は言っていた。
そうすると、おそらくこれがレベル1の一般平均だとは思うのだが。
こういったステータスが存在するということは、なにかと戦うことが必要になってくる世界なのかな? 魔物とか出るんだろうか。
……まあ、ここで考えていても仕方ないか。
腰にあるベルトには、神様からの贈り物である包丁がくくりつけてあった。
試しに鑑定スキルを包丁に使ってみたが――鑑定不可と出る。
「神様がくれた特別な道具だからかな?」
本当に、自分が願った形に変形するのだろうか?
俺は包丁を手に取り、もう一度周囲を確認する。
「よし、誰もいないよな」
包丁の性能を試すため、他の形へと変化するようイメージしてみる。
「すごっ……本当に変化しちゃったよ」
一般的な包丁だったそれは、ぐにゃりと形を変えて、一瞬で別のものへと変わる。
果物ナイフのような可愛らしいものから、巨大な中華包丁へと変形させることができるではないか。
「いやー、これは良いものだ。たしか……他にも色んな形態があるって言ってたよな。もしや鍋とかにも変形できるんだろうか? ていっ」
シチュー用の寸胴鍋から、使い勝手の良さそうなフライパンまで、自由自在だ。
「神様すごいな……なんでここまで気合が入った道具を作っておいて、料理はたった一回で挫折しちゃうんだよ」
さらに驚きなのは、重さがほとんど変わらないことだ。
巨大な鉄鍋を片手で振っても、全然重くない。
ひとしきり試した後は、ベルトにくくりつけてあった革袋を持ち上げた。
チャリンという金属の音が響き、袋口を開けると銀色に輝くコインが五枚ほど入っている。
銀貨が五枚……これも神様からの餞別だろうか。
軍資金として用意してくれたのかもしれない。
これにも鑑定スキルを使っておくか。
――アルダイルの世界で広く使われている小銀貨。
頭の中に説明文のようなものが浮かんでくる。
ふむ……この世界はアルダイルというのか。情報が増えるのはありがたいが、簡易的な説明なので、通貨単位や具体的な価値は自分で調べないとな。
色々とやることは多そうである。
「さて……と」
とりあえず、転生したせいか胃袋の中が空っぽみたいだ。
さっそくどこかで腹ごしらえをするとしよう。
俺はのんびりした足取りで、喧騒が聞こえる大通りのほうへと歩いていった。
読んでいただきありがとうございます。
しばらくは毎日更新でやっていこうと思います。
楽しんでいただければ幸いです。