違い
俺は眼前に獲物を捕らえ、石を握った拳を振りおろす途中で、完全に硬直してしまった。
本来であれば獲物の頭蓋を砕いて初勝利を挙げていたであろう時間が経過している。
俺がその無限にも感じられる時間を過ごしているのには理由がある。
目の前のラットの目がじっとこちらを見つめている。
硬直反応を起こしたラットは普通目を閉じる。理由は単純、生理現象だ。
その目が開いてこちらを見つめている。目には光がなく、死んだ魚のようだ。
一体なんなんだ…?このラットの異様さ、不快さ、不気味さ…。
その目を見開くラットは別に何をするでもなく、相変わらず動かない。俺も警戒して動けない。
しばらく睨み合う状態が続き、しばらくしてラットが息をしていない事に気付いた。
ラットの顔の先に生えている草が揺れない。いや、正確には風で揺れてはいるが、奴の鼻息が当たって揺れる方向には一切揺れない。
情報としての価値が無かったため、おそらく俺しか知らないが、硬直反応時のラットは普段より強めに息を吸って吐く。理由は心肺の安定化、つまりただの深呼吸だが、それが見られない。
俺は確認するべくゆっくりと動き、ラットを少し押してみる。すると、ラットは逆らう事なくその場に倒れた。
ーー死んでいる。
実際、死んでいるだけだったら納得していた。
ラット、特にラット族の中でも最弱のこいつは恐怖でストレスが溜まると心臓麻痺で死ぬことがある。
だが、俺は今回の件には納得出来なかった。
「なんで目を開いたんだよ…!」
俺は石を地面に捨てながら呟く。
理由がわからない…
すぐさまその場から離れたかったが、現在はアイテムもなければ金も無いので、恐怖を押し殺し解体を始めた。
ラットの皮やツノは武器や防具に加工でき、売ればお金にもなる。
奪った命はなるべく無駄にしない。
しかし、気味の悪いラットだった…。情報屋始めて以来のゴシップだ。
…とりあえず今は頭を切り替えて解体を進めよう。
俺は体に染み付いた解体術でツノと皮を剥ぎ取りにかかる。スキル熟練度が低すぎるとキズつけやすいため、慎重に進める。
「こんなもんかな。」
概ね綺麗に皮とツノを採取できた。できれば食料として肉も保存したいが、街に着く頃には腐ってそうなほど暑い。諦めた方が無難か…?
…いや、一度試す価値はある。
アイテム自体はすべて消えていたがアイテムページは残っていた。もしかしたら収納自体はできるかもしれない。
俺は剥ぎ取った皮を触り、「収納」と呟いた。
すると目の前から皮が消え、ウィンドウが出てきた。
『アイテム ラットの皮×1 入手。』
俺はこのウィンドウをみてホッとした。アイテムページがきちんと機能しているとわかったからだ。
ツノ、肉も同様にアイテムページに収納し終わり、残ったラットの死骸を眺め思い出す。
死んだ後に開いたあの目はなんだったのだろうか…。
「…念のため、目もくり抜いて保存しておくか…」
俺はそろそろとラットの目に触れ、まぶたと眼球の隙間に指を突っ込む。
グチャグチャとした感触が指先に走る。…これは昔から慣れないな…。
この世界には居ないだろうが、俺の情報屋にはお得意様が数人いた。昨日の7階オール組もその内の数人だ。そのお得意様の中に一人、マッドサイエンティストがいた。そいつも最初は情報を買って行くだけだったのだが、ある日俺が仕入れた『チターニ』と言う魚型モンスターの魔眼の情報がきっかけとなり、そのイかれた博士に火をつけ、目の取引を頼まれるようになった。
研究のためだった。
アンファタ内は仮想なので、非人道的な研究も盛んだった。ほとんどは面白半分だったが、現実世界に役に立つものを開発する為に研究、実験しているもの達も居た。彼は後者の一人だ。現実世界で脳科学者であった彼はこちらの世界から脳の分泌物をいじって病気や障害を治癒させる方法を模索していた。
そんな彼のために目は何度もくり抜いたが、未だに気色悪い。
「おえっ…収納…。」
俺はえづきながら二つの目をくり抜き、すぐに収納した。
『アイテム ラットの目×2 入手。』
ツノや皮を収納した時同様、アイテム名が書かれたウィンドウが現れたが、特に気になる点はなかった。
単なる偶然、死ぬ間際に目を開けて死んだのか、それとも…?
「……」
もし俺の知らない魔術や、呪いだとしたら…この世界は思ったよりアンファタと異なっているかも知れない。
自分の知識に無いものがどれほどあるのか想像もつかない…
しばらく考え事をしていると辺りが暗くなって来ていることに気がついた。すでに夕日も沈みかけている。
「まずい…!」
そのことに気づいた俺はすぐに考えることをやめ、全力で街に向かって走った。
完全に陽が落ちる前に街に到着しなければ、今何の加護も持ってない俺では視野が狭まるうえ、夜型の強力なモンスターに襲われて危険だ。
しかしここから街まで軽くみても一時間はかかりそうだが、陽が落ちるのは後30分程だろう…。
「はっ…はっ…」
俺は走るがステータスがすべて初期値のため、スタミナは足りないしスピードは出ない。
ただ、他に選択肢もない。走り抜ける他助かる余地は無い。
俺は歯を食いしばり、ただ全力で走る…。
ーーー
「はぁっ…はぁっ…」
走り始めて丁度30分頃、予想通り陽が完全に落ち、草原は闇に包まれた。
「ど…けよ…くそ…!」
息が上がりに上がった俺の目の前にはアンデットモンスターの『スケルトン』が立ち塞がっていた。
スケルトンは鎧をきた骸骨であり、盾と剣で攻撃してくる。レベルは5程度。
対する俺は武器無し、大したスキル無しの人間レベル1。ラット戦闘時に遠投以外にもスキルを覚えたが、熟練度が低すぎて使い物にならない。
「ガタケタカタ」
膝が笑うほど疲れ果てている俺に対して容赦なく剣を横に振ってくるスケルトン。
スケルトンの攻撃パターンは三つ、横薙ぎ、縦斬り、シールドバッシュだ。
俺はすべて読めるのだが、足が言うことを聞かない。
このままでは最悪の事態を招くことになる…!
「カタカタ」
スケルトンが右足を前に出し、左足で地面を強く蹴ってこちらに向かってくる。
(これは縦斬りからシールドバッシュの連携だな。)
俺は完璧に予想した。
予想は出来ていたが、足が動かなかった。
「くっ!!」
俺は上体だけをそらし何とか避けようとしたが、太ももに大きく斬撃を受けてしまった。
「痛っ…うぉ…やべえ…痛すぎる…。」
ペインセーフティが無いため、気の飛びそうな痛みを感じる。
何とか意識は保てたが、足が限界を迎え尻餅をついてしまった。
スケルトンは予想通りシールドバッシュの体勢を取り、そのまま俺の顔面めがけて放ってきた。
今度は寝そべることで、寸前でそれを避ける。だがもう次は無い。
「カタカタカタ」
スケルトンは向き直りゆっくりと近づいてくる。
「ここまでか…。」
諦め、そして寝そべる俺にめがけて
剣を振り下ろした。