八番:早乙女明良
片思いの相手と決闘する話。
白い封筒の中には、一枚の紙が入っていた。
『九月一日、深夜十一時に蓮井公園のグラウンドに来い』
挑戦状――――もとい、果たし状。それを指先で弄びながら、思わず笑みを零す。
(相変わらずだなぁ、梭貴ちゃん)
本当に相変わらず。真っ直ぐに突っかかってくるところも、字が綺麗なのも、卑怯な手を使わないところも。……あ、でも一度使ったか。あれって結局は世話係の人が仕組んだことだったけど、自分の管理不足だって言ってたし。
弟のような、それでも異性として見ている二つ年下の少年の姿を脳裏に浮かべると、自然と頬が緩んでしまう。
(でも、変わったなぁ)
再会したのは、つい三ヶ月ほど前のこと。
「俺はお前に会いに来たんだ!……お前を負かして、乗り越える為に」
変声期の所為か、四年前に比べて少し低くなった声。まだ私より低いけど、あの頃より伸びた身長。それに想像以上に大人びて、精悍な顔立ち。全身を黒系統にした格好良い服装に、サングラスの向こう側に隠している鋭い眼光。それに、慣れた手つきで吸う煙草。……まだ中学生のくせに。
梭貴ちゃんとの出会いは、私が小学六年生のとき。梭貴ちゃんは暴力団組長の一人息子ってことで、校内関係者やその保護者なら誰でも知っていた。小学四年生なのに学校のガキ大将で、喧嘩で一度も負けたことはなかったという。
でも梭貴ちゃんは四年生の三学期、初めて敗北を味わうこととなった。――――私と喧嘩して。
卒業を一ヶ月前に控えたある日のこと、私の友達が梭貴ちゃんに殴られた。友達は女の子で、しかも怪我をしたのは顔。泣きついてきたその子を見て私は逆上し、すぐに梭貴ちゃんに喧嘩を売りに行った。
私も梭貴ちゃんもたくさん傷を負ったけど、結局勝ったのは私。喧嘩慣れしてたわけじゃないけど、物心ついた頃から空手、柔道、合気道をやってたおかげで、攻撃も防御もどういうときに行えばいいのか心得ていた。
でも後日、私は梭貴ちゃんと喧嘩したことを少し悔やんだ。
梭貴ちゃんが私の友達を殴ったのは、その子が梭貴ちゃんのクラスメイトを苛めてたから。あまりにも酷い言葉攻めだったと、その場に居合わせてた別の友達が教えてくれた。
それを知った後日、今度は梭貴ちゃんが私に喧嘩を売りに来た。私は喧嘩する理由なんてなかったけど、負けたままというのは梭貴ちゃんのプライドが許さなかったらしい。仕様なくタイマンに応じたけど、勝ったのはまたしても私の方。
「僕に勝てない限り、自分を乗り越えることはできないよ。梭貴ちゃん」
牙を向く梭貴ちゃんに対して嗜虐心が生まれたのか、口の端にわざと嘲笑を浮かべ、揶揄してそんな台詞を吐いたのは、今でもはっきり覚えている。
当時の私はショートカットで、男の子のような服装を好んで着ていた。しかも一人称は“僕”。周りの皆も男の子のように扱ってて、私自身もその気になってた。
だから三ヶ月前に再会したときの、梭貴ちゃんの驚いた様子は、思い出しただけで笑いが込み上げてくる。梭貴ちゃんはそのときまで、本気で私を男の子だと思い込んでいたらしい。
小学生時代に梭貴ちゃんと喧嘩したのはニ回だけ。私の家は転勤族で、卒業を迎えたその日に、私は転校した。
ああでも、転校前に一度、会って話をしたんだっけ。
「絶対、絶対、お前を追いかけて、負かしてやる!今度会ったときまでに俺が幻滅するほど弱くなってたら、許さないからな!」
「僕が梭貴ちゃんに負ける?考えられないよ。でもまぁ、万一そんなことになったら、梭貴ちゃんの言うことを何でも聞いてあげるよ」
「約束だぞ。お前が負けたら、俺の下僕になれ!次に会ったときには“ちゃん”付けしてたことを悔やむくらい、お前をボコボコにしてやる!」
背後に人の気配を感じ、ゆっくりと振り返った。
「待たせたな」
今が夜とあってか、梭貴ちゃんはいつも掛けているサングラスをしてなかった。でも口にはやはり煙草を咥えている。
(煙草は体に悪いって、前にも言ったんだけどなぁ)
街路灯の下で佇む梭貴ちゃんは、昼間と少し印象が違って見える。普段一緒にいるお付きの二人組がいない所為だろうか。
「そんなに待ってないよ。でもね、さすがに今日決闘するのはどうかと思うよ。今日は始業式だったし、その次の日に実力テストがあるっていうのは定番でしょ?」
肩を竦めて見せた私に、目の前の少年は吸っていた煙草を地面に落として、その火を踏み躙る。
「お前の都合なんて知ったこっちゃねぇよ。俺は成績落とすなんてヘマはしねぇし」
「うわぁ、酷いなぁ」
「……さて、とっととやろうぜ」
梭貴ちゃんはそう言って構えの姿勢をとった。
もう一度肩を竦めた私も、彼に倣って構える。
梭貴ちゃん、知ってる?私、四年前からずっと梭貴ちゃんを待ってた。梭貴ちゃんじゃない男の子から告白されても、皆断ってた。
私の将来の夢は、梭貴ちゃんの隣に立つこと。今は私だけの夢でしかないけど、いつか梭貴ちゃんも、私が隣に立つことを望んでほしい。
……でも、好敵手としてしか見ていなかった相手から愛の告白を受けたら、どんな顔するんだろうね。




