三十六番:宗像伊佐武
幼馴染に不可解な想いを抱く少年の話。
放課後の第ニ体育館はバスケ部の占領地となる。窓を全開にしているにも拘らず、外に排出される熱気はわずかのみ。……いや、この暑さは部員によって生み出される熱量の方が膨大で重いからだ。わざわざ考えるまでもなかった。
補欠にすら入れない先輩の協力の下、リバウンドの練習をしていた俺は休憩しようと、壁に凭れて座り込んだ。
自主練習とあってか、今日の二、三年にいつもの覇気は感じられない。コーチがいる、いないでここまで差が出るのかと思うと、鼻で笑ってしまいそうになる。全国に出場することもある、毎年特待生を迎えている学校なのだから、それなりに体裁考えろと思う。だから一年に補欠はおろか、レギュラーも取られるんだ。
目と鼻の先で無駄に蠢く木偶の坊達に、胸中でせせら笑う。
しかし俺のように真面目に練習を取り組んでる奴がいないわけじゃない。見る限り、大概それは一年だ。いつも基礎練や雑用しかやらせてもらえないのだから、当然といえば当然なのかもしれない。
喉の渇きと首筋を伝う汗に苛々し始めたとき、目の前に白いタオルとスポーツドリンクが差し出された。親切な心遣いには感謝するが、誰の手によるものなのか知れたので、わざと眉間に皺を寄せて相手を睥睨する。
マネージャーである女は案の定、猛禽類に狙われた小動物のようにビクリと体を竦ませて、俺の前で立ち往生した。しかし、撹ち合った瞳孔を俺から逸らすことはしなかった。
差し出された物を受け取ろうともせず、俺は座ったまま睨み上げる。
しばらく俺達はそんな状態を続けていたが、第三者から声をかけられたことにより、二人の間を漂っていた緊迫感は断ち切られた。
「山田、キャプテンが呼んでるぜ」
女は傍らに立ち並んだ俺の親友を見上げて、あからさまに安堵の表情を浮かべた。礼を言って手に持っていたタオルとスポーツドリンクをそいつに渡すと、キャプテンの立っていた体育館の入り口へと逃げるように駆け出した。
「宗像ぁ、お前いいかげんにしとけよ」
咎めるような口調で言う山瀬を無機質な視線で見上げると、呆れた顔でお出迎えされた。
「何がだよ?」
「山田を邪険に扱うこと。見ていて痛々しいんだよ。山田も、お前も」
女が俺に渡そうとしていたタオルを頭に乗せながら、山瀬は俺に許可なく隣に座った。おかげで暑苦しさが増した気がする。
汗は後で洗い流せばいいかと考え、我慢できなかった喉の渇きを潤そうと山瀬の手からスポーツドリンクを取り上げ、口付けた。
俺自身とあの女だけが知っている、水と蜂蜜とレモンの割合が丁度良い液体が喉を通過し、胃に満足感を与える。
「不器用だよなぁ、宗像って」
「どうしてこうも遠回りしたがるんだか」
ニヤニヤ笑いながら、スポーツ特待生である二人が俺の傍に座った。灰山も富士見も、俺と山瀬のクラスメイトだ。
余談だが、山瀬は灰山を嫌っている。案の定、灰山の出現に、山瀬は苦虫を噛んだような顔を作った。
「俺がどう不器用なんだよ?」
「山田に対してだけじゃん、ツンケンしてんの。大概いつも、周りに聞こえるくらいに怒鳴り散らすか、はたまたそっぽ向いて無視するかだし」
半眼を閉じて、灰山が俺を見遣る。
「互いが互いを意識してるのは、一目瞭然なのに」
反射的に富士見を睨みつけたが、奴は遠い目をしてコートを見つめていた。付き合ってた彼女と別れてからもう随分と日が経つが、完全には想いが断ち切れてないのかもしれない。
「……チッ!どいつもこいつも、一体何だってんだ」
居心地の悪さを感じ、俺は舌打ちをその場に残して再びコートに戻った。
体がでかいのをいいことに、俺は昔から自分勝手な我侭を言い、他人を踏み台にして上へ上へと上り詰めてきた。典型的なガキ大将の性格をしている。
弱い者を扱き使って甘い思いをし、話の合う友達とつるむというスタンスは、高校に入った今でも変わらない。踏み台にする人間は使い捨ての駒のようにくるくる変わっていったが、昔から変わらない奴が一人だけいる。……それが、山田十和子だ。
あの女との関係を言葉で表すなら、いくらでも出てくる。クラスメイト、同級生、幼馴染……一時期付き合ってたこともあるので、元カノという表現もできる。でも正確にいうならば、主従関係だろうか。ご主人様と下僕だ。
利用できるのなら、如何なるときでも全て押し付けた。宿題も、ストレスも……性欲でさえも。
あいつはきっと、俺が嫌いだ。そんなこと、わざわざ確かめる必要もない。
あいつを内向的に、消極的に、満足にすんなり喋れないまでに臆病な性格させたのは、紛れもなく俺。小さい頃とはいえ、幼い精神を土足で踏み荒らし、従順な下僕と仕立て上げた俺は、子どもという点を差し引いても充分罪深いことをしたと思っている。それでも謝罪しようなんて思えないのは、あいつの本心が全く見えないから。
俺の前で取り繕うような笑顔を見せることがあっても、泣くことなど一度たりともなかった。押し付けたものを拒むことさえ、一切しなかった。
「俺のことをどう思っている?」
何度も喉の奥から込み上げてきて、出かかった言葉だ。しかし口に出したことは皆無。言えるはずもない。返ってくる言葉はきっと、俺の望まないものだろうから。
好き。嫌い。傍にいたい。離れたい。何も思っていない……。どれも、俺を満足させる言葉じゃない。
俺が一体、あいつに何を求めているのか。
例えそれが分かったとしても、あいつがそれを俺に与える保障など、どこにもない。
それでもきっと、俺はそれが手に入るまであいつを手放さないに違いない。




