三十三番:逸見あげは
幼馴染二人に翻弄される少女の話。
あたしの不幸は、中学を卒業した直後の春休みから火蓋を切っていた。
「はぁ?!あたし、寮で生活するって言ったでしょう!何で他人、しかも得体の知れない男二人と三人で暮らさなきゃいけないわけ?!」
「あげはちゃんを一人で生活させるなんて、ママ、気が気じゃないもの。それに忍君も祐君も、あげはちゃんの幼馴染じゃない。二人ともしっかりしてるし。おかげでママは安心してパパとハワイで仕事ができるわ」
「ちょ……勝手なこと言わないでよ!ハワイだろうとタヒチだろうと、どこへでも好きなとこ行きゃいいけど、あたしをあんなケダモノどもの元に置き去りなんて――――!」
「任せてください、小母さん」
「僕達が責任をもってあげはちゃんを守りますから」
羊の皮を被った狼が二匹、あたしの両隣に並んだ。
その直後に混乱のあまり頭の中をスパークさせてしまい、何も耳に届かず、何も思案できず、ようやく冷静さを取り戻したときには、既に両親は異国の地に飛び立ってしまっていたわけで――――
「さぁ、あげは。楽しい、楽しい、俺達三人の生活の幕開けだ」
嗜虐的な笑みを浮かべて囁いたのは果たして、忍だったか、祐だったか。
「い、いっやあああぁぁぁ〜!」
悪夢の始まりともいえる台詞を吐かれ、近所迷惑も考えずに断末魔の如く絶叫したのは、おぼろげに記憶している。
竝木忍は今年で二十六歳。留学経験有り。某大学の教育医学部を卒業したのは去年のことで、今はあたしの通う麻生学院の保健医として働いている。
十歳離れた弟の竝木祐はあたしと同い年。顔の造形が少し異なるだけで、後は兄と何もかもがそっくりだ。
外面がよろしいのも、おつむが良ろしくてスポーツも万能な所も、二重人格で腹黒なのも、性格が鬼畜で変態で始末に終えないところも、全て、全て、全て!
「……あ〜、最悪」
あたしは保健委員でもなく具合が悪いわけでも――あの兄弟のことを考えると激しい頭痛と腹痛、ときには胃痛にも見舞われるが――ないのに、魔の保健室へと向かわざるを得ない状況にある。というのも、つい先日身体測定があって、その各個人情報の記された用紙を保健室まで届けなきゃいけないのだ。本来は保健委員の仕事だけれど、不幸なことに一組の保健委員が本日休み。なのでクラス委員長のあたしが仕方なく運んでいるわけだ。
そもそも保健室に近寄りたくないから、速攻に委員長に立候補して保健委員になるのだけは避けたのに……!
(あぁ、どうか忍がいませんように!)
わざわざ十字を切ってドアを開けたにも関わらず、効果は適用されなかった。……むしろ逆効果。
「おやぁ?うちの可愛いあげはじゃねぇか」
(うちの、って誰がよ!ていうか、何で祐までいるわけ?!)
……いや、忍の実弟だし四組の保健委員だからいてもおかしくないけど。
(でも、何も今いなくても……!)
「あげは、わざわざ俺に会いにきたのか?」
(んなわけあるかい!)
普段生徒には丁寧語で喋る優しげな保健医も、あたしと祐の前でのみ俺様口調オープンで話す。つまりこの室内には、あたしと祐以外の一般生徒がいないということだ。
(何で今日に限って誰もベッドで休んでないのよ!)
パトカーか救急車か消防車か分からないけど、頭の中で警報サイレンが鳴り響く。用を済ませてとっととこの場を立ち去りたいのは山々だけど、二人の瘴気に当てられてか、恐怖で竦んだ足は根が張ったように床から離れない。
こちらが動けないのをいいことに、祐があたしの肩に、忍が腰に手を回してきた。
堪らず、抱えていた用紙の束を床に落としてムンクの叫びを上げかけた。
「何を今更恥ずかしがってんだ?」
「毎日あげはを真ん中に、三人仲良く寝てるのに」
「キングサイズとはいえ、大人三人がベッドで寝るのはキツイのよ!二人とも寝相悪いし!」
叫ぶのはどうにか耐ええ切って、あたしは噛み付くようにして二人に怒鳴る。
「どうして普段はこうなのかねぇ。寝起きはあんなに可愛いのに」
忍があたしを引き寄せ、左頬にキスをしてきた。毎日そんなスキンシップをされているとはいえ、学校でされるのは初めてなので赤面を隠せない。
祐も「ズルイ」と言って、右頬に同じことをする。
ちなみにあたしは全身に鳥肌を立たせつつ、脳裏は今朝の出来事まで遡っていた。
今朝も、いつものように六時半の目覚ましの音で目を開けた。左を向いて寝ていたらしいあたしは、同じく目覚ましの音で意識を覚醒させた忍と目が合って、にっこりと笑った。
「おはよう」
自分から忍の首に腕を回すと、今度は後ろから祐に肩を引っ張られて向き直され、そして唇を塞がれる。背を向けた忍には体を弄られて、三十分ぐらいなすがなされるまま……。
「……っあ〜、恥ずかしい〜!」
(あ、あんなのあたしじゃない!お酒を飲んでるのと一緒!)
しゃがんで頭を抱えるあたしを見て、両脇にいる腹黒兄弟はニヤニヤと表情を歪めていた。
(ああぁぁあぁあぁ!お願いです、神様、仏様、白馬の王子様!哀れなあたくしめをこの悪魔どもからお救いください!)
教室では理論的な現実主義者で通っているあたしも、忍と祐の前でだけは自分を取り乱すのだった。
……家にも学校にも、あたしの憩いの場は存在しないのかもしれない。




