三十番:姫宮郁巳
親友(♂)に恋してしまった少年の話。
“――――愛なんて、いつの時代でも歪なのに”
妹に貸してもらったCDの中、某シンガーソングライターの歌に、そんな詞があった。
初めて聴いたときは特に何も思わなかった。当時の俺は愛だの恋だのといったことよりも、友達とつるむ方が楽しかったから。“いつか”はするだろう結婚よりも“今”楽しむことの方が、俺には大事だった。
しかし青天の霹靂が起こったのは、高校生になって初めて迎えた六月。あれは体育祭が終わった後だった。
「ヒメ、良かったらでいいんだけど、モデルになってくれない?」
親友の一人、世川美紀彦こと“ミキ”が突然そんなことを言い出した。
ちなみに“ヒメ”というのは俺の愛称。“イク”じゃないのは、俺の妹の名前が郁子だからだ。
「何?俺ヌードになればいいの?」
「何でそうなるんだよ?!」
からかい混じりに訊いた俺に、ミキが赤面して言い返した。ウブで、天然で、母性本能を擽る反応を返すミキを、ほぼ毎日こうやって弄んでいる。
ミキは美術部に入っている。以前ミキの家に遊びに行ったときに中学時代に描いたという絵や彫刻を見せてもらったけど、美術に関する知識や教養が乏しい俺でも、繊細ながらも力強さを感じさせる作品に魅せられ、圧倒された。
「モデルがヒメなんかでいいのか?」
ミキの横に座っている“ユキ”こと羽生由希が、難しそうな文庫本に目を落としながら口を挿む。長い睫の影を頬に乗せた、クールビューティーなんて異名を持つこいつも、俺の親友だ。
俺は大概、ミキとユキの三人でつるんでいる。三人とも中学がばらばらだったから、まだ付き合いの浅い関係ではあるけれど、中々良き友情を築き上げてるんじゃないかと自己満足している。
「なんかとは何だよ?」
ムスッとしてユキを睨むが、奴は俺の視線に気付いてるのかいないのか、表情を変えないままページを捲っていた。
「今度、人物画のコンクールに絵を出そうと思うんだ。ユキをモデルにしても、僕のレベルじゃユキの内面まで上手く表すことできなさそうだし。だったら喜怒哀楽の激しいヒメの方が適してるかなぁって」
「……その言い方だと、ユキに比べりゃ俺の方が単純って聞こえるけど?」
「え?!僕別にそんなつもりで言ったんじゃ……」
ジト目をユキからミキに移動させる俺と、睨む俺に焦った様子のミキ。そんな俺達に、ユキは顔を上げずクスッと笑った。
その日の放課後から、俺はミキのモデルに付き合うことにした。
「別に今日から始めることなかったのに。それにサッカー部の方は大丈夫なの?」
「ちゃんと部長やコーチには許可もらってる。まぁ俺は特待生でもなけりゃ補欠でもない、今んトコ球拾いしか役に立てない一年坊だし。それよりコンクールに出すの、九月なんだろ?つまり夏休みもお前に付き合うことになんじゃん。俺、夏休みは遊びまくる予定だし……と、俺どこにいればいい?」
「そのままでいいよ」
「は?」
「そのままこっち見て、普通に僕と喋ってて」
スケッチブックと鉛筆を鞄から取り出して俺の前に座り、一メートルちょっとしか離れてない俺を視野に入れたその瞬間から、ミキは変わった。
普段と違う親友の顔付きに、俺は目を瞠った。
ミキはいつもヘラヘラ笑ってる。笑って、大概俺の我侭を受け入れてくれる。だからこんな……こんな真剣に俺を見つめるミキなんて、俺は知らない。知らなかった。
「今から始めれば学期末テストの期間を省いても、夏休み入る前には終わる予定だから。心配しなくてもヒメの遊ぶ時間を削るつもりはないよ」
「………」
「夏休み、旅行とか行くの?」
「……え?あ、ああ。家族で北海道でも行こうかって計画してる」
「そっか。お土産、楽しみにしてるね」
「お、おう……」
真っ直ぐに俺を注視するその視線に耐え切れず、俺はミキと目が合わないよう彼方此方に視線を彷徨わせた。それでも会話をたどたどしく続けていたのだから、もしここにユキがいたら「滑稽な光景」なんて皮肉めいた台詞を言われてたかもしれない。
その日のスケッチ作業を終えたミキは鉛筆を置いた瞬間、スイッチが切れたかのように普段の柔和な雰囲気に戻っていた。
「ヒメ、別に緊張しなくてもよかったのに。これから暫くモデル続けてもらうんだし、もっと気楽にしててよ」
俺がいつもの調子じゃなかったのは、初めてのモデルで緊張していたからだと取られたらしい。緊張していた理由が被写体になったからじゃなくて、ミキ自身が起因していたことには、幸い気付かれてない。
夕日が沈む頃にミキと別れてから、俺は初めて自分の状態を顧みることができた。
顔が火照って、心臓はバクバク煩く、掌には汗。……まるで全力疾走した後のようだ。胸中はモヤモヤしてるけど何となく嬉しくて、しかしどこか後ろめたくて恥ずかしく、少しだけくすぐったい。
何故自分がこんな目に合わなくちゃいけないのか……理由はすぐに思い当たった。
俺がこんな状態になるのは初めてだけど、家にはマセた二つ下の妹がいる。以前、恋多き妹が新しい恋を見つけたときの気持ちや状態を、照れくさそうに吐露したことがある。
「マジかよ……」
あのときの妹と今の自分が、見事にマッチした。
“――――愛しいと思う気持ちとモラリティーの天秤はどちらが重い?”
あの歌の主人公は世間体を気にしつつも、諦めはしなかったっけ。
「……よし!」
小さく拳を握り、あの歌をもう一度聴こうと、家に向かって駆け出した。
その後すぐにユキにはこの感情がバレた。けれど肝心のミキは何も分かってないまま。
「あの絵が最優秀賞取れなかったら、ハンバーガー五つ奢れよ」
「ええー?!」
「んでもって、もう一度俺をモデルにしてリベンジだ」
眉を八の字にさせるミキに舌を見せ、俺はこっそりユキと視線を合わせた。ユキはやれやれといった感じに肩を竦め、俺はそんな二人ににやりと口角を吊り上げ、不敵に笑った。
諦めるのは簡単だけど複雑。でも茨の道を突き進む方がきっと困難。傾いた天秤は後者だけど、想いを告げる勇気はまだ持てない。だからもう少しだけ、友情のぬるま湯に浸からせてほしい。
しかし、それでも決断したことが一つある。
ミキに近付く害虫は断固阻止!




