二十五番:橋屋直志
失恋したクラスメイトを慰める話。
この学校には男のアイドルと女のアイドルが一人ずつ存在する。二人とも一年生で、俺と同い年。
男のアイドルの名は谷透。クラスは四組。身長は百六十五センチほどの小柄で、艶のあるストレートの黒髪の持ち主。零れ落ちそうなくらい大きな目をしていて、シルバーフレームの眼鏡がよく似合う。誇張でもない正直な感想、モデルも太刀打ちできないくらい可愛い。性格は自己中で、傲慢な所もあったりするけど、そんな悪印象さえプラスに見せてしまう魅力がある。だから男子の多い学校にも拘らず、ファンクラブが発足した。かくいう俺も、ファンの一人だったりする。
女のアイドルの方は早乙女明良。俺と同じく一組。女子の平均身長の背丈に、華奢な体付き。肩より長い色素の薄い髪はいかにも柔らかそうで、そばかす一つ見当たらない白い肌は、シルク以上の肌触りに違いない。アーモンド型の双眸も、谷と同じく大きめ。曲がったことが嫌いという融通の利かない点もあるけど、優しい性格をしている。俺はそんな彼女のファンでもある。
ファンの中には、かなり熱狂的な先輩や同級生もいる。けど俺にとって二人は目の保養に過ぎない。二人の恋人になりたいなんて浅ましい考え、一度たりとも思案したことはない。自分の容姿に自信を持ってるならともかく、せいぜい十人並というのが自他とも認める俺の評価。
第一二人とも、それぞれ好きな人がいるっていうし。谷が“狂犬”と名高い都築を気にかけているのは周知だし、早乙女がとある中坊と仲良さげというのも、最近小耳に挟んだ。
漫画の世界で例えるなら俺の存在は、都築や見知らぬ中坊を「羨ましい〜」なんて言って悔しがるただの脇役。そう、脇役なんだ。
頭のレベルがやたら高めのこの学校じゃ、俺の成績はせいぜい中の上。中学の持ち上がりで今もサッカー続けてるとあって、ガタイが良いのは自負してるけど、俺より筋肉ムキムキ君なんか他にも沢山いる。さっきも言ったけど、顔も至って普通。髪も染めず、装飾品もジャラジャラ付けてない、冴えない男子生徒。性格だって陰気じゃないけど、野々村や吉野みたいなムードメーカーでもない。そう、本当に脇役並の普通君なんだ。
(それなのに、どうして俺がこんな修羅場に立ち遭わなきゃいけない?!)
机の中に辞書を置き忘れていたことに気付き、部活後に教室へ取りに戻った行動は、別段悪いことじゃないはずだ。というか、明日の小テストの為にも仕方のないことだった。
教室の扉を開けた瞬間に凍った、室内の空気。中にいたのは男子二人に女子一人。云わずと知れた修羅場だというのは、瞬きする間もなく察した。窓の向こうの赤い空が、この場の刺々しさを際立たせているように見える。
(……俺、この場合どうすればいいんだ?)
六つの目に注目され、硬直していた俺から最初に視線を逸らせたのは、この場で唯一の紅一点。彼女は制服を着ていた。この学校は私服校なので、明らかに他校生だと判別できた。紺のブレザーに胸ポケットの花の刺繍からして、夢藤女子高の生徒だろう。
「じゃ、そういうことだから。バイバイ」
彼女は俺の存在を綺麗に無視し、隣に立っていた男の手を取って歩き出した。引っ張られる男には見覚えがある。何組か忘れたけど、確か同学年だ。
「リカは有難く頂戴するぜ」
名も知れない男と女は俺のいる方とは別の、教卓側の扉から出て行った。
残されたのは俺と、もう一人の男子――――クラスメイトの富士見 稜だった。
「……あ、あの、ごめん。場を乱して。俺、忘れ物を取りに来たんだ!」
俺はそう口走り、スベった芸人の如く慌てふためきながら自分の席に駆け寄って、中から英和辞典を取り出した。
富士見とは同じ中学出身だが、三年間一度もクラスが一緒になったことはなく、高校生になった今でも挨拶以外で言葉を交わしたことがなかった。だからこの状況はかなり厳しい。
「ホントにごめ――――」
「俺さぁ、やっぱフラれたんだよなぁ……」
初めて耳にする富士見の弱った声に、思わず言葉を呑んだ。
富士見は俯いたままゆっくりとした足取りで俺の前までやってきて、そして額を肩口に押し付けてきた。
いつもは俺より高い位置にある頭が、今はさほど変わらない場所にある。
「富士見……?」
奴の行動の意味が分からず、しかしこんな萎れた様子の人間を突き放すこともできずに、俺は再び焦り出す。
「俺んちって片親でさぁ……学校終わって誰もいない家に戻んの、憂鬱だった。自分を持て余してた俺に話しかけてきたリカは、親の分まで愛情与えてくれるって言ったのに、嘘ついた。……俺だけを見てくれるって、そう言ってたのに」
掠れた声で呟かれる言葉。語尾を震わせながら紡がれるそこには、悲愴とかやりきれない思いとか、目に見えないものがひしひしと感じられた。
俺と富士見の間を繋ぐ位置が、じんわりと濡れてきている。
どうしていいか分からず、暫し躊躇した後、奴の後頭部を軽く撫でてやることにした。慰めるように優しく。
少しでも早く、富士見の気持ちが落ち着いてくれるように。
「……富士見。こんな時間で誰もいないし、声上げて泣いていいよ。今だけ、俺がお前のこと想っててやるから」
同情で言った俺に、奴は鼻を啜ってしがみ付いてきた。慟哭とまではいかなかったけど、嗚咽を上げて子どものように泣き出した。
肌の上に一枚羽織ったブラウスが、涙で重みを増すのを感じながら、俺は何も言わず、ただポンポンと富士見の頭を叩いていた。そしてときどき思い出したように、赤みがかった髪を撫でた。




