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二十四番:橋谷秦

いつも笑みを浮かべている少年の話。

僕はいつでも、どんなときでも、笑顔を忘れないよう心掛けている。

――――大好きだった祖父の為に。



橋谷(はしたに)って、いつも笑ってるよな」

次の授業に使う教科書類を机に並べていたときにふと、左隣の席に座る七海(ななうみ)君が頬杖をつきながら呟いた。

この学校は文武両道で通ってる反面、校則が緩い。髪を染めていない、いかにも生真面目な服装をした子もいれば、染色や脱色で髪を痛め、指輪やネックレス、中にはボディーピアスまでして派手に着飾る子もいる。

「統一性がない」なんて一部の先生は口を渋らせるけど、個性や性格が垣間見れて面白いと、生徒達には好評だ。僕が進学に麻生学院大付属高校を選んだのも、それが理由だ。

ちなみに僕の容姿は例に挙げた前者に当てはまり、七海君は後者。一見タイプが合わなさそうに思われがちだけど、人間の本質は見た目より中身ということ。隣同士とあって、ときどきこうして喋る間柄だ。

「ムスッとしてるより笑顔の方が良くない?」

「まぁな」

茶色に染められた長い前髪を、ゴツゴツしたシルバーの指輪が嵌まる指でかき上げながら、彼は頷いた。高校生にしては彫りの深い顔立ちや大人びた雰囲気からか、その仕草は様になっている。

「でもいつも笑顔ってわけじゃないよ。僕だって怒るときは怒るし、呆れるときは呆れるし」

笑顔でいることを常に心掛けているだけで、表情は笑顔以外にもちゃんと持ってる。

「でもお前のボーっとした顔なんて見たことないぞ」

そのように言われて、自然と首が傾いた。人間なのだから、疲れてぼんやりしたり、「今日の夕飯何かなぁ」なんてどうでもいいことで茫然とするときだってある。

今自分がどんな顔をしてるかも分からないまま、僕は七海君を見返した。

彼は探るような目でこちらを注視した後、合点がいったと言わんばかりに、何度か首を縦に振って一人納得顔だ。

「何?」

「お前、やっぱいつも笑顔だわ」

髪に触れていた右手を今度は無精髭の生えた顎に移して、七海君はニヒルに笑って見せた。

その言葉はつまり、先程僕が自分について考え込んでいたときも笑っていたことを意味する。

どうしていつも笑顔なのか。その答えのある自らの過去の軌跡を脳裏に顧みてみた。……後に隣人に聞いた話によると、そのときもまた、僕はやっぱり笑顔だったらしい。



昔の僕は怒ったり泣いたりと癇癪持ちだったにも関わらず、あまり笑顔を見せる子どもではなかった。

「笑顔って醜いよ。目が細くなって、頬っぺたに余計な皺ができて……。笑った顔が好きっていう人がよく分からない」

小学校に入って間もない頃、祖父にそんなことを言った記憶がある。友達の言う冗談が可笑しくても笑うことが嫌で、腹筋に力を入れて堪えることが常だった。

「笑顔にも色々と表現があるんだよ。お母さんが声を立てて笑う顔と、学校から帰った(しん)に「おかえり」と言いながら見せる顔は違うだろう?」

唇を尖らせ、憮然とした面持ちで僕は頷いた。

「秦、この絵を見てごらん。この絵の女の子は声を出して笑っているね」

祖父は読んでいた少年漫画の一コマを指して問いかけた。そのページには、友達の冗談に笑っている女の子が描かれていた。

「僕達の笑顔と違って、この女の子の笑顔には笑い皺がないね。醜くない」

「そうだけど……なんか嫌だ」

「どうしてだい?」

「だって……」

当時六歳だった僕は、そのとき浮かんだ胸中の感情を上手く言葉にして表すのが難しかった。

薄っぺらい。明るく見えない。笑顔を描いた能面のよう……。漠然と思考だけが機能するものの、決定打といえる的確な言葉が見つからない。

どう答えていいものか散々悩んだ末、結局は言葉を濁して俯くしかできなかった。

「……そうだね。温かみがないね」

祖父の一言に顔を上げ、力一杯頷いて肯定した。

あまりに何度も頷いたのが可笑しく映ったのか、祖父は声を上げて笑った。

声を出し、顔を歪めて笑った祖父の年老いた顔を見ても、醜いとは思わなかった。むしろ顔に刻まれた笑い皺がとても温かく見えて、初めて人の笑顔を好きだと思えた。

「秦。笑顔を忘れてはいけないよ。ときには人を傷付けかねない表現の一つでもあるけれど、救うことの方が断然多いのだからね」



それからというもの、僕は笑顔を一日に何度も見せるようになった。今までは不器用だった声を上げて笑うことも、自然とできるようになっていた。

気が付いたら、周りに見せる顔の大半が笑顔になっていた。

「秦見てたら落ち着くんだよな〜」

「腹の中では何考えてんだか」

「橋谷君って読めない人だよね」

「お前って癒し系だわ」

好評から不評まで、他人から散々言われた言葉の数々。どれも本当の自分のつもりだったけど、それも含めて全て偽りのような気がして、何度も笑顔を忘れそうになった。

「僕は秦の笑顔、好きだよ。以前みたいに可笑しいのにそれを堪えているような顔より、今みたいに笑ってる方が、何倍にも輝いて見える」

でも、祖父の言葉に救われた。おかげで笑顔を嫌いにならずに済んだ。

それから程なくして祖父はこの世を旅立ってしまった。泣きながらも僕は笑顔で、祖父とお別れした。



僕はいつでも、どんなときでも、笑顔を忘れない。辛いときも、罵られて挫けそうになっても。

祖父が好きだと言ってくれた表情が、好きだから。

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