十八番:庭野吉春
自分に自信を持てない少年が、彼女に不安をぶつける話。
打ったメールを何度も見直し、文章におかしな部分がないことを確認してから送信ボタンを押す。紙飛行機が飛ぶ画像から元の待ち受け画面に戻るまでを静かに見守り、そしてようやく折りたたみ式の携帯電話を畳んでポケットに仕舞った。
絵文字も顔文字も入れず、文字だけを二行分。所要時間は五分。これでも早く打てるようになった方だ。
「なっちゃんにメール?」
幼馴染兼親友で、五組のクラス委員長でもある福山亨の質問に、一つ頷く。
「いいよなぁ、彼女持ちは」
「つーか、見るからにオタク系のこいつに何であんな可愛い彼女がいるのか……俺、未だに摩訶不思議で仕方ないんだけど」
前者が冷泉院葉月先輩、後者の失礼な発言が僕と同じクラスの瀬戸内大輝だ。いつもなら葉月先輩のお兄さんで生徒会副会長の鶇先輩もいるのだけれど、明後日の体育祭の準備で忙しいらしく、この場にはいない。
「オタク系はないだろ。人を見た目で言うな」
亨がそう非難し、葉月先輩は拳を作って瀬戸内の頭を軽く拳骨で叩いた。
でも瀬戸内の言うとおり、僕ははっきり言って見目が――オタクはさすがに言いすぎだけど――良くない。
身長百六十五センチのチビで体もガリガリだし、運動音痴。近隣の高校の中では一、二を争うほど学力が高いといわれる麻生学院の生徒とはいえ、中学のときは上の中だった成績も、この学校では真ん中より下。髪の毛は櫛を通してもボサボサだし、眼鏡に関しては牛乳瓶の底並に分厚い。それに優柔不断でどんくさい。……嘘でも長所を即座に言えないあたりが悲しい。
「で、なっちゃんに何てメールしたんだ?」
机の上に置かれたポテチを摘みながら、瀬戸内が問いかけた。
「今日買い物に行く約束してたんだけど……雨だから、どうしようか……って」
「……だ〜、もう!男だったら自分で決めろよ。女に訊くんじゃなしに」
「吉春が内気な分、なっちゃんが積極的なんだし、僕はそれでいいと思うけどね」
亨はそうフォローしてくれたけど、瀬戸内の言うことは尤もだと思う。
(……奈津は、こんな消極的な僕のどこを好きになったんだろう?)
未だに訊けない不安をぼんやり考えていると、奈津専用のメール着信音がポケットから鳴った。携帯電話を取り出して、内容を確認する。
「……え、うそっ?!」
平べったい画面に記された簡易な文章に、僕は慌てて鞄を持って椅子から立ち上がった。
「吉春?」
「奈津、もう校門に来てるって!」
口早にそう告げて、僕は生物部の拠点である第二理科室を後にした。
「行動力のある彼女だなぁ」
のほほんとした葉月先輩の言葉が、後方から聞こえた気がした。
「ハルちゃ〜ん」
赤い傘を右手に持ってツインテールを揺らしながら、二駅向こうにある夢藤女子高校に通っている千登勢奈津は手を振っていた。
僕も手を振り返して奈津の元に行くと、二人並んでショッピングモールの方角へ歩き出した。
「三日ぶりだねぇ、ハルちゃん」
奈津は最初にそう切り出して、この三日間にあった出来事を話し始めた。学校や家族、友達のこと。僕はいつもみたいに相槌を打ちながら聞いている。
梅雨の時期とあって、雨が激しい。じわじわと蝕むような湿気も出るから、ストレスが溜まって体調も崩しやすいと、今朝の新聞に載っていた。
奈津の嬉しそうな声に度々返答しながらも、胸の内では奈津が具合を悪くしたりしないか心配だった。
奈津は僕と違って弁が立つし、体を動かすことが好きだから元気に見られがちだけど、実は気温の変化で体調を崩しやすい。衣替えで薄手の長袖や半袖が当たり前になりつつある中、今日も奈津は重ね着をしている。
モールに入り傘を閉じながら隣に視線を巡らせてみれば、奈津の肩口が濡れていることに気付いた。「ちょっと待って」と断りを入れ、急いでハンカチを取り出して制服に染み込もうとしている水滴を拭き取る。
「あ、ありがとう、ハルちゃん」
僕より身長の低い奈津は顔を上げてにっこりと微笑んだ。
奈津の笑顔にホッとしたものの、ふと先程学校で思い浮かんだ疑問が頭を擡げ、ちょっとだけ顔を歪めてしまった。
そんな些細な反応に気付いたのか、奈津はキョトンと小首を傾げた。
「……あのさ、奈津はこんな僕の一体どこが好きなの?」
いつも不思議に思ってて、訊きたいという気持ちは大きかったけど……本心では訊きたくなかったこと。しかし我慢できずにとうとう口に出してしまった。
(実は遊びだったの……なんて言われたらどうしよう……)
想像するだけで背筋が冷たくなる。
冷たい手で心臓を鷲掴みされたような後悔を覚え、思わず目を逸らしてしまったけど……訊いたのはこっちだし、目を合わせないのは失礼だと胸の内で叱咤して、意を決して再び奈津と正面から向き合った。
「ハルちゃんはさ、確かにビジュアル系でもなければ、特に何かに長けてるってわけじゃないよ。でも、ハルちゃんは優しいもん。本当に些細なことだって気が付いてくれるし、私のことを真っ向面から見てくれる。……亨君や瀬戸っちが何で春ちゃんと一緒にいるか、考えたことある?」
想像と違い、奈津の表情には、憐憫も嘲笑も浮かんでいなかった。
それだけでも僕には意外なことで、ぽっかり口を開けたままの状態で首を横に振る。
奈津は小さく苦笑し「ならば教えて進ぜよう」ともったいつけてから言った。
「ハルちゃんがね、“春”みたいに優しくて温かい人だからだよ」
「恥ずかしいこと言っちゃった!」と、頬に両手を当てて体をくねらせながら、羞恥で耳まで赤くなってたけど、僕はそれ以上だ。
爪先から髪の毛の先まで、一瞬にして熱が篭もる。鏡を見なくても、変な顔をしてるのが丸分かりだ。
だから今までにない動揺を悟られたくなくて、堪らず俯いた。
奈津はにこにこ笑いながら、僕が普段の僕に戻るまでずっと、手を握っていてくれた。




