十三番:田口勇
ペットと死別した少年の話。
ユウジは僕の五歳の誕生日に買ってもらった柴犬で、当時は生まれて間もない子犬だった。
その頃の僕は動物――――特に犬が欲しくて仕方がなかった。切欠は車のCMで、家族と一緒に車から降りた瞬間の駆け出す姿に心惹かれた。
だからプレゼントしてくれた父に何度も礼を言ったのを覚えている。
僕の名前が“勇”だから、二番目って意味を込めて“ユウジ”。名前はすぐに決まった。
ユウジは怯えたり威嚇することもなく、僕に懐いた。僕が傍に寄るだけで舌を出し、尻尾を千切れんばかりに振って、体中で喜びを表していた。頭を撫でてやると「クゥ〜ン」と、もっと撫でてと言わんばかりに鳴く。知らない人が来ると吠えるけど、一度その人の匂いを覚えるとそれはなくなる。だからよく来る宅配便の人なんかに「賢い犬ですね」なんて言われると、僕は自分のことのように鼻高々だった。
もちろん躾だって覚えさせた。“お手”も“おすわり”もすぐに覚えた。食事の前だって“待て”をさせてから食べさせた。
僕の趣味は散歩。普段は学校に行くから、早朝と夜の二回、ユウジと一緒に歩く。休みの日は青いフリスビーを持って河原に行き、傍の原っぱで遊んだ。
そうやって楽しんでいるうちに、いつの間にか近所で犬を飼っている人達も集まってきて、僕は色んな犬やその飼い主と友達になっていた。
「セバスチャン、最近元気ないね」
僕は隣に座っている一つ後輩の少女に声をかけた。彼女が飼っているのはゴールデンレトリーバーで、名前はセバスチャン。名前が印象的だったから、すぐに覚えた。
「元気がなかったから、獣医さんに診てもらったんです。……そうしたら老衰が始まってるって」
彼女は沈んだ声で答えた。その表情も案の定、曇っている。
「……そっか……」
落ち込む少女に何て答えたらいいのか分からず、僕はそれだけしか言えなかった。でもやっぱり、返事した僕の声も暗いものだった。
僕も彼女もまだ若い。だから老衰なんて想像できないけど、犬の寿命が人間よりも短いことは知っている。
……ユウジも、自分が弱っていくのが分かるのだろうか?
「セバスチャンが死ぬのは悲しいけど、でも仕方のないことなんですよね。命あるものはいつか消える。……だから私、セバスチャンの残り僅かな時間を今まで以上に大切にしようと思うんです」
無理矢理作った笑顔なのは明らかだったけど、そんな彼女の表情は儚くて、しかし魅力的でもあった。
その彼女と交際するようになったのは、それから少し経ってからのこと。
……皮肉にも、セバスチャンの死ぬ前日だった。
セバスチャンの死を電話で知った僕はすぐにユウジを連れて、彼女の家に駆け込んだ。
電話してくれた彼女の母親に庭へ案内されると、彼女はセバスチャンの犬小屋の前で泣き崩れていた。犬小屋の横に、大きな木箱が置かれている。……セバスチャンの亡骸が入っているのだろう。
「勇先輩……!」
僕の気配を察した少女は、顔をクシャクシャにして縋り付いてきた。
ユウジのリードを握り締めていた手はいつの間にか緩んでいたらしく、ユウジがゆっくりした足取りでセバスチャンの亡骸が入った箱の前に座り込み「クゥ〜ン」と小さな声で鳴いた。
僕はただ、泣き縋る彼女の頭を撫でて、セバスチャンの箱と、そしてユウジを見つめることしかできなかった……。
ユウジに覇気がなくなってきたのは、もうすぐ春が訪れようとしていたときのこと。風船のように見る見るうちに萎んでいくユウジに、僕は何の力にもなれず、ただただいつものように傍にいてあげることしかできなかった。
「勇先輩。今度勇先輩の家に泊まりに行っていいですか?先輩の家の庭で、ユウジと三人で星を見ましょう」
セバスチャンの分までユウジを可愛がってくれる彼女に感謝し、それを承諾した。
そして約束の日。空には雲一つ浮かんでいなかった。そんな夜空を、僕達は縁側に座って、まだ仄かに白く染まる息を吐きながら仰ぎ見た。
天の川より綺麗だと思った。
「七夕の、天の川より綺麗ですね」
彼女も同じ感想のようだ。もしかしたらユウジも、同じように思っているのかもしれない。
「ユウジ、もし今日が七夕だったら、ユウジは何を願う?」
僕はユウジの頭を撫でながら訊いた。
ユウジは僕が何か訊くと、すぐに「ワン」と返事をする。……なのに、返事が返ってこない。
訝しんで右手の先にあるユウジを見ると、ユウジは顔をこちらに向けて目を閉じていた。しかし、息を吸ったり吐いたりしている様子が見られない。
触れた先にある体は、まだ温かいのに……。
ユウジを挟んで隣に座っていた彼女は、いつの間にかユウジとは反対側の僕の隣に移動していて、僕の肩に顔を埋めていた。その肩が、小刻みに震えている。
嗚咽を上げることなくただ茫然と、僕は一筋の涙を零した。
それは、冬の中に薄っすらと春を匂わせた、とある夜のこと――――。




