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胸を枕に  作者: momo
本編
9/42

9 手紙



 グイン=カリエステは今年で二十三歳になる王の近衛だ。子爵家の次男で、貴族の特権を利用せずベルトルドと同じように従騎士から修業を積み剣を学んだ実直で真面目な青年。顔の作りは何処にでもいる平凡な男性だが近衛の制服に身を包む彼は自信に溢れ凛々しく、表立って騒がれずとも若い娘の心を掴むだけのものを持ち合わせていた。


 不寝番を終えたアイラが部屋で休んでいる時間、グインが扉を守る当番になる事がある。それを狙ってファリィから預かった手紙をこっそり差し出せば、社交辞令で笑顔を湛えていたグインの顔が一瞬で曇った。


 「私にですか?」


 彼もアイラが王の不寝番だというのを信用していないのだろう。毎夜王の寝所に招かれるアイラをそういう女性だと思っているに違いない。王の夜を世話する女にどういった類の好意を持たれたのか、怪しむ様子がありありと伝わって来た。


 「パリス様にお仕えしている侍女からお預かりしました。」

 「パリス妃の侍女から?」

 「ファリィ=ギール嬢をご存じありませんか?」


 知っていると頷いたグインだったが差し出された手紙を受取ろうとはしない。とても強く警戒されているのだとわかりアイラは寂しくなった。王との間に人目を忍ぶようなことがなくても周りはそう見るのだ。それが王の近衛であっても詳しい事情を知らなければそうなってしまう。でもファリィの事とそれは別問題と気持ちを入れ替える。


 「彼女からカリエステ様への手紙です。どうか受け取って下さいませんか?」


 手紙をひっくり返してファリィの署名を見せると、しぶしぶといった感じながらもなんとか受け取ってくれた。王が毎夜寝室に連れ込む女から好意を寄せられるなんて迷惑以外の何物でもなかろうが、アイラは王の愛妾でもなければグインに好意を寄せているわけでもない。すべてはこの手紙が証明してくれる。役目は終えたと腰を折ればグインは目礼してくれた。


 それから数日は何事もなく過ぎた。幾度かグインと顔を合わせる機会はあったが、アイラはベルトルド以外の護衛とは必要でない限り話をしない。どこでどう王の秘密を口にしてしまうか分からないというのもあったが、ベルトルド以外の護衛も任務に忠実で無駄口をたたく人間は一人もいなかった。そんなある日、アイラは再びファリィに呼び止められる。その日もマリエッタはおらず側にいたのはベルトルドだけだ。アイラはベルトルドに了承を得てから小走りでファリィに歩み寄った。


 「グイン様からお返事はありましたでしょうか?」


 問われ返事はないと首を振ればがっくりと肩を落とされ、あまりの気落ちした様にアイラも気の毒になってしまう。


 「婚約者との未来を望まれるのであれば、このままでいた方がいいのではないでしょうか。」


 グインがファリィの事情を何処まで理解しているかなんてわからないし、アイラは手紙に書かれた内容を確認したわけでもない。返事を受け取ったとしても、それを糧に婚約者に嫁いで想いが消える訳でもないだろうし、後生大事に持っているのを夫となる人に見つかっては不貞と勘違いされるかもしれない。返事がないという事はそういう事なのだと割り切り、お終いにするべきなのではないだろうかと考えるアイラに、唇を噛んだファリィは封をした新たな手紙を差し出した。


 「これで最後にいたします。迷惑なら迷惑とお返事いただいても構いません。だからどうか―――」


 切ない乙女を前に拒絶はできなかった。アイラは受け取った手紙をこっそりグインに渡すが、途端に彼の表情が険しいものへと変わり眉を寄せられる。返事をもらうまでもなく明らかに迷惑そうだ。


 「最後の手紙です。どうか気持ちだけでもお受け取り願えませんか?」

 「貴方は何故このような危険を犯されるのです?」

 「え?」


 思わぬ質問で返され、アイラは漆黒の瞳を丸く見開いた。手紙の橋渡しが危険な行為だとは思えなかったが、ふと相手が誰なのかと思い至る。後宮の、パリス妃の侍女なのだ。王の近衛に心を通わせるのは何か大きな問題があるのかと思ったが、もしそうならベルトルドが何かしらの助言をして―――くれるだろうか?


 「いけないことなのですか?」


 もしかしてファリィの婚約者というのはグインの同僚か、もしくはとても高い身分の方なのかと考えを巡らせる。だがグインから返ってきた返事はアイラの予想から大きく離れたものだった。


 「貴方は王の想い人ではありませんか。それなのに一介の近衛に恋文など、ご自身が与える影響と立場をよくお考え下さい。」

 「立場って、恋文はファリィ様からの物ですよ?」

 「保身のためにファリィ=ギールの名をかたるのはお止め下さい、彼女への冒涜です。私とてこのような手紙を受け取っているとなるとどうなるか。私に対するあなたのお心が偽りないのなら此方の事情もお察し願いたいものです。」

 「えっ?」

 「失礼いたします。」

 「ちょっとっ?!」


 ばたんと、目の前で扉が閉じられ置き去りにされる。何がどうなったのか、グインはファリィからの手紙をアイラからの物だと勘違いしてしまっているようだ。しかもアイラがファリィの名を騙り王に秘密で恋文を……これはおかしいぞと、アイラは渡し損ねた手紙をじっと見つめた。


 「嫌な予感がする―――いいえ、嫌な予感しかしないわ。」


 でもと、ファリィの様子を振り返ればとても嘘をついているようには思えない。残された手紙を開封してしまえばすぐに判明するのだろうが預かった恋文だ。ファリィの偽りないグインへの想いが綴られていたらどうなるのだろう。自分宛でない手紙を開封するのはいけない事だが、このまま凝視していても中身はが透けて見えるわけでもない。ベルトルドを真似て匂いをかいでも紙とインクの香りだけしかしなかった。


 アイラはどうしたものかと腕を組む。グインに誤解されたままなのも気分が悪い。王とのことで誤解を受けるのは仕方がないとしても、後宮の侍女の名を騙り王の近衛に恋文をかいて迷惑をかけている恋多き女なんて札を貼られるのは、アイラだけではなくロックシールド男爵家の名も穢してしまう。それはいけないとアイラは閉められた扉を大きく開いた。


 「グイン=カリエステ様っ!」


 扉の前で番をしていたグインが名を強く呼ばれ驚きに目を見開いて振り返った。


 「先日お渡しした手紙、拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」


 勝手に開封するのは憚られるが、グインに渡された手紙をグインに見せてもらうのなら許容範囲だろう。本当なら他人の恋文を覗くのはいけない事だが、汚名返上の為にも必要だと判断して願い出た。


 「酩酊めいていでもされ筆をとられましたか?」

 「ですからあの手紙はわたしが書いたものではなく、ファリィ様からお預かりしたものです。その場にはベルトルド=リレゴ様もいらっしゃったので、彼にお尋ね下されば偽りでないと証言して下さる筈です。」

 「リレゴ殿は貴方に夢中だともっぱらの噂です。貴方に都合のよい証言を吐くやも知れない。」


 アイラが齎す不思議な現象に強い興味を持ったベルトルドは、何かの糸口にならないかとアイラについて執拗に調べを進めていた。それが噂になっていたのだ。なんてことだとアイラは口を引き結ぶ。


 「ではっ、取りあえず手紙の拝見だけでもお願いします。わたしがあなたに恋していないと証明できれば、それはカリエステ様にとっても喜ばしいことになるのですよね?」

 「それはそうですが―――」


 口籠るグインは注意深くアイラを観察する。何かよからぬ企みをしているのではと窺っていたが、あまりにもしつこく食い下がられるので仕方がないと了承し頷いた。


 手紙は宿舎の鍵のかかる引き出しにしまっているという。護衛としての任があるので後日あらためてといわれるが、アイラはついて行くから今すぐにとグインを急かした。


 王と噂のある女性を個人的な空間に立ち入らせることはできないといわれ、アイラは宿舎の入り口で待たされる。人目もあるしほんのわずかな時間なので大丈夫だと判断したのだろうが、それでもグインは近くにいた騎士にアイラを頼んで行ってくれた。物珍しい存在なのか、通りかかる騎士らがいちいちアイラに目を止めると仲間内で何やら囁き合っている。居心地悪く感じながらグインが戻るのを待っているとベルトルドが顔を見せた。


 「ここで何を?」

 「ちょっと……わたしの不貞を疑われる問題がおきているんです。」


 誤魔化してしまおうと思ったが、知りたがりのベルトルドに隠し事をすればしつこく付き纏われるのは経験済みだ。なので正直に告白すれば、ベルトルドは瞳を瞬かせた後で眉を顰めると、護衛として側にいた騎士を後は引き受けるからと追い払う。


 「不貞など、そもそも君にはその相手がいないだろうに。まさか妻のある男性に手を出したとか?」

 「冗談はやめて下さい。四六時中付き纏われてそんな時間があると本気で思ってるんですか。」

 「思ってはいないよ。でも―――君は魔法で陛下を眠らせるから。」


 聞かれるのはまずいのでベルトルドがアイラの耳に唇を寄せ囁けば、間の悪いことにグインが戻って顔を顰める。


 「貴方の様な人が陛下と張り合う理由が分からない。」

 「私の方こそ、どうして君にそんな事を言われるのか。まったくもって少しも理由が分からないね。」


 冷たい碧眼がグインを捉えていたが、彼の持つ手紙に目がいくとベルトルドはふっと鼻を鳴らして口角を上げた。


 「ああ、成程。ファリィ=ギール嬢に踊らされて腹を立てているのか。」

 「踊らされる?」


 怪訝に眉を顰めたグインに、ベルトルドはわざとらしく驚いて見せた。


 「君も近衛なら後宮の騒ぎは知っているだろう。」

 「後宮で行われることは見ざる聞かざるだと把握しているでしょうに。」


 近衛として王に従い後宮に踏み入るのも仕事の内だ。だが女の園で何が行われていようと、王が何をしようと、近衛らは見なかったこととしてとらえる。他言無用は当然だ。


 「君がどうしてアイラ嬢の護衛を任じられるのか、少し考えれば解ることだと思うが?」

 「陛下の大切なお方だからでしょう。」


 何を言っているんだと、言葉遣いとは反対にグインはベルトルドを睨みつけた。


 「そうだね。後宮の女性は後宮という囲いの中でしか王が女性を愛でるのを許さない。外にいるアイラ嬢を排除できるのは陛下御自身だけだ。護衛に監視された彼女をどうすれば王から引き離せるか。画策するのは当然だろう。」


 少し考えれば解るだろうにと、ベルトルドの視線を辿ったグインの目が自ら手にする手紙に落ちた。


 「これはアイラ殿がファリィ=ギールの名を借りて私に宛てた手紙です。後宮の女性の名を語る理由も全て記されている。」

 「拝見させてください!」


 両手を差し出すアイラにグインは一つ頷くとその手に乗せてやる。封筒には間違いなくファリィの署名があった。封印が切られた封を開くと女性らしい薄い桃色の便箋がほのかに好い香りを放つ。アイラは手紙を取り出すと、少しばかり緊張しながら丁寧に開いた。他人の恋路を覗く不届きに心がざわつくが、意を決し読み進めれば別の意味で心がざわつき驚かされる。


 出だしは他の女性の名を騙る非礼に始まり、その理由を誰かに見咎められては二人とも罰を受けてしまうからと述べている。その後はひたすらグインに向けた恋情が切実に、情熱的に綴られていて、アイラは憤慨と羞恥を含め顔を真っ赤に染めた。


 「わたしっ、あなたにも陛下にも恋なんてしていません!」


 声を上げたアイラをグインが押し止める。周囲には他に人もいるのだ、王の愛妾であるアイラが声を大にそんな事を言っては王の耳にも入ってしまうと慌てた。


 「貴方の心がどうあれ、王が望むのなら貴方も王と同じように心を持たなくてはならない。」

 「陛下の側には不寝番として上がらせていただいているだけです。わたしと、マリエッタさんとベルトルド様の三人で陛下の眠りをお守りしているんです。若い娘が不寝番などおかしいと勘違いされても仕方がありませんが、陛下はこの程度の田舎娘に手を出されるような方ではありません。それにわたしはあなたにも恋をしていない。ここに書かれているのは何もかもが出鱈目だわ!」

 「私は貴方からこれをいただきました。貴方が書いたものではないという証拠は?」

 「わたしの字はこんな下手糞ではありませんからっ!」


 声を大にしたアイラに、グインだけでなくベルトルドも目を見開いた。封筒に記された文字はとても美しく流れるように書かれた文字だ。けれど中の恋文はアイラの文字を似せる所か、悪意を持って崩されたのがすぐに解る。まるで手習いを嫌う子供が無理矢理書かせられたような文字に、上から覗き込んだベルトルドも思わずといった感じで失笑した。


 「これは女性の字ではない。」


 これほどお粗末な恋文に引っかかったのかと視線で問われ、グインは苦虫を噛んだように顔を顰める。


 「変わった所が陛下のお気に召したのかと……」

 「知られても咎められぬようにしたのだろうね。追及しても相手は後宮の女たちだ、ただの悪戯で済まされるだろうな。」

 「人の心を弄ぶなんて悪質だわ。」

 

 少なくともとんでもなく下手糞な文字をアイラの筆跡とグインは信じたのだ。文字はともかく心に訴える文章にグインが靡きでもしていたらどうなっていたか。護衛は信頼で成り立つような部分もあり、必要とあらば無断で部屋に立ち入ることもある。部屋への侵入はベルトルドがいい例だ。もし万一にもグインが本気にしてアイラの部屋に忍んで来たらどうなっていたか。状況からして恐らく罰を受けるのはグインだ。これはただの悪戯では済まないと考えるが、女性の集まりとはこんなものだとカリーネから教えられていたのを思い出したアイラはげんなりしてしまう。


 「悪質だけれど企みに引っかかったのはわたしです。カリエステ様には大変なご迷惑をおかけしました。」


 申し訳ありませんと深く頭を下げればとんでもないと首を振られた。グインは文字が下手糞と憤慨するアイラの様子に偽りなしと判断したのだ。誤解が解けてよかったとアイラは胸を撫で下ろすと、都合よく現れ隣に立つベルトルドを見上げる。


 「それでベルトルド様は、手紙の内容をあらかたご存じだったという訳ですか?」

 「さぁ、どうだろうね。」


 恨みがましく睨みつけると上から見下ろされた。ベルトルドはファリィが現れた時点で何かを企んでいると感じたに違いない。手紙を託される様子も会話も聞かれているし、頭の良い彼が手紙の内容を予想できない筈がなかったのだ。こうして事の顛末の場に居合わせるのも彼の計画通りなのかもしれない。


 「教えて下さればこんな事にはならなかったのに。」

 「問えば答えたが、忘れろと言って君はそれを隠しただろう。だから口を挟まなかっただけだ。」


 確かに忘れろといったのはアイラだが、悪意のある策を予見しながらわざと見過ごすなんて酷いじゃないか。文句を言いかけたアイラだったがすぐに口を噤んだ。ベルトルドという人間はこういう性格なのだ。踊らされたアイラとしてはむかつくがしょうがない。これも勉強と無理矢理納得しつつも、アイラは悶々としたままグインに伴われ部屋に戻った。

 

 



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