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胸を枕に  作者: momo
本編
8/42

8 嫌がらせ




 如何様にしてアイラが王に眠りをもたらすのか。原因は判明しなかったが、その日より王は毎夜アイラを寝所に侍らせるようになった。


 イクサルドの王シェルベステルが男爵家の娘を一人囲ったからといって誰にも文句は言えないし、末端貴族の娘を一人寝室に引きずりこんだとてさして問題にはならない。害があるとするならば国王お気に入りの身分低い娘を養女にし、権力を望む輩が現れる程度だ。だが王もアイラを連れて来たエドヴィンもそうなることは少しも望んでいなかった。エドヴィンにはアイラに無理をさせないとの妻との約束があったし、王に至ってはアイラに拒絶され、再び不眠に悩ませる日々を送る恐怖を思えば自然と大切に扱ってしまう。また王とエドヴィンには誰知らぬ場所で先代ロックシールド男爵と交わした約束があった。身分はそのままにアイラは、王に仕える不寝番の女官としてマリエッタ、ベルトルドと共に王の寝室に侍る。


 アイラがいれば王の安眠は約束される。王が健康を取り戻し政務に励むようになって暫くは平穏な時が過ぎていた。ロックシールドに戻れないアイラは領地経営を弟一人に任せきりにするのが心配だったが、エドヴィンの計らいで頻繁に手紙のやり取りをさせてもらい、エドヴィン自らもロックシールドに手紙を送り領地経営の助言などしてくれるとの事だったのでそれで納得するしかなかった。弟のリゲルも姉がゴルシュタット侯爵の指示で城で働くことになって、世話になったカリーネに恩返しができると喜んでいる。一見何事も上手くっているように見えていたが、城の奥深くではそれを良しとしない女たちが大勢いたのだ。


 王の体調が回復したというのに後宮へはただの一度も渡りがない。いかがした事かと女たちは騒ぎ立てる。病に侵され政務も滞っていた時なら納得できたが、元気になっても夜の訪れがないのは後宮の女たちにとっては死活問題だった。

 王の子を産んだ側妃はこのままでも安泰だろうが、次の王を我が腹で生み出そうと画策する側妃にとっては大問題。このまま時が過ぎ正妃が決まっては実家への顔向けも出来ない。そんな彼女らの耳に王の寝所に侍る年若い娘の話しがもたらされた。しかもゴルシュタット侯爵に縁となれば下級貴族の娘であっても油断はできない。後宮に入れるのも手間に王が若い娘を囲っていると、女たちの園ではアイラが王の寵愛を受けているという噂で持ち切りだ。マリエッタが噂を否定する事実を吹聴しても全く信じてもらえない始末。それでもこの日までは何事もなく平和な日常がアイラを包み込んでいたのだが……王の寝所で番を務め、朝を迎えて庭を横切り部屋に戻る途中にそれは起きた。


 不意にベルトルドに腕を引かれ彼の胸に背中をぶつける。アイラが「何?」と声をかけた瞬間、目の前を何かが通過して陶器の割れる音がした。足元に目をやると小ぶりな鉢が割れ土が零れて花が潰れてしまっている。鉢が降ってきたのだ、空から。頭に落ちていたら怪我だけでは済まなかったかもしれない。青褪めて見上げる。窓辺に置かれた鉢が風で落下したのだろうか。


 「リンティア妃の侍女だったな。」

 「偶然です!」

 「君は意外に悠長だな。」


 助けるために腕を引いたが幸運にも胸に閉じ込めたのを利用し、ベルトルドは鼻を寄せすんすんとアイラの匂いをかぐ。ベルトルドは王が就寝する際に必ずアイラの胸元で深く息を吸い込むのを不思議に思っていた。王の眠りに係わる手掛かりと、隙あらば常に鼻を鳴らすベルトルドからアイラは素早く逃れる。


 「やめてくれませんか、これでも年頃の娘なんです。」

 「安心してくれ、今朝も君から不快な匂いはしない。いつも通り陛下の匂いが染みついてはいるがな。」 

 ベルトルドのこういった何気ない言葉を誰かに聞かれているのではないだろうかとアイラは警戒した。マリエッタから注意は受けているのだ、女の嫉妬は怖い、気を付けるようにと。まさか空から鉢が降って来るとは思いもしなかっただけに、口調はいつも通りでも足が震える。


 「お助けいただいてありがとうございます。」

 「ゴルシュッタット侯には私から報告させてもらう。護衛の質も上げた方がいいかもしれない。」


 ベルトルドは不寝番に付き合うため日中は常にアイラの側にいるわけではない。部屋を守るのは当然ながら、外出の際はベルトルド以外の騎士が護衛に当たる場合もある。こういった特別扱いが更なる嫉妬を生むのだが、アイラに怪我でもされたらとエドヴィンだけではなくシェルベステルも深く気にかけていた。


 「わたしなんかに大袈裟ですよ。」


 大袈裟などではない。ベルトルドがついていたから良かったのもの、一歩遅れていたらどうなっていたか。無傷であったせいでアイラは事の重大さを正確に捉えていなかった。


 「陛下のお心を安定させる為と、侯なら直ぐに動かれるだろう。」


 報告を受けたエドヴィンはベルトルドの言葉通りすぐに対応した。護衛が増やされるだけではなく、選りすぐりの王の近衛の中からも人選されたのである。それと同時に命の危険を伴う嫌がらせはなくなったが、代わりに女性特有の陰湿ないじめが始まった。


 初めは他愛無い子供の悪戯のような物だった。仲良くしましょうと側妃の使いとしてやって来た侍女が贈り物を渡してくれる。綺麗な箱のリボンを解くとネズミの死骸が一匹入っていたりするのは上流階級の娘が行う嫌がらせの典型で、カリーネが教えてくれたことがそのまま起きたので最初は感嘆したものだ。

 次いで蛙の死骸。持ってくる侍女が怯えている様子があると、中に入っているのは生きたネズミや蛙だと予測がつくようになる。死んでいてはどうしようもないが、生きている物は離れた場所で逃がしてやった。

 

 カリーネの元で上流階級の躾や生活、家庭教師をつけてもらい領地の経営までを学ぶ生活を送ったが、基本は田舎で生まれ育った鄙者ひなものだ。ネズミや蛙、蛇など怖くないし、自分でも捕まえられる。畑仕事に精を出せばどこでだって目にとまるそれを恐れていては仕事にならない。ただ懐かしいなぁと思う程度であったのだが、持ってくる侍女の方にばかりダメージがあり、アイラに全く懲りた様子がないと解ると敵はすぐにやり方を変えてきた。


 不寝番を終え部屋に戻って扉を開くと大量の蛙が跳ねていたのには流石のアイラも声を上げて驚く。さぁ寝ようと戻った先の寝台で緑色の蛙が跳ねているのだ、徹夜明けでは流石に怒りも湧いて当然だ。ベルトルドにも問答無用で手伝ってもらい、不要な箱に一匹残らず詰めて後宮の皆様にと送り返せば、今まで静観だったアイラから反撃を受けたと後宮の側妃たちは騒ぎ立て王に告げ口する始末だ。自分たちがしてきたことは棚に上げ、アイラから酷い目にあって心が落ち込んでいる、王の慰めが欲しいので夜の訪れをまっていますと切実に。

 

 王も自分が後宮に通わない自分のせいで、側妃らから役目を果たせないと不満を上げているのは解っていた。若い娘に不寝番をさせていようと後宮に通い、側妃と枕を共にしていればこれ程大きな問題には発展していなかった筈なのだ。


 だが死すら願う不眠を経験した王は、夜の帳が降りると再びの恐怖に身を震わせる。役目と同衾するつもりで後宮を訪問しても、夜の匂いを感じると側妃と戯れる余裕などなくなってしまい、吐き気すらもよおすのだから仕方がない。心因的な問題とわかっていたがどうしようもなかった。アイラに対して依存傾向にあるというのにも、王自身が気付いていたがこればかりはどうしようもないのだ。申し訳なく思いつつも、側妃らからの嫌がらせを大して不快に感じず、今度は何が起きるか楽しみですと笑ってくれたアイラの言葉だけが救いだった。


 そうしてアイラが不寝番として一月が経過した頃。ベルトルドに伴われ王の寝所より戻る途中にアイラは一人の娘に声をかけられる。彼女は側妃の中で唯一王子を出産したパリス妃の侍女で、ファリィという名だとベルトルドが耳打ちしてくれた。パリス妃は王子の母としての余裕か、側妃の中で唯一アイラに意地悪をしてこない妃である。


 「無礼をお許しください。わたくしはパリス妃の侍女をしております、ファリィ=ギールと申します。本日はアイラ様に折り入ってお願いしたいことがあり、お声をかけさせていただきました。」

 「初めましてファリィ様、アイラ=ロックシールドです。」 


 互いに腰を折り挨拶する。アイラより年若く可愛らしい印象の娘だった。ファリィはベルトルドを気にしながら二人で話せないかとアイラを誘う。


 「アイラ様が後宮の女を警戒する理由は解っています。ですがどうかお聞き届けください。本日はわたくし個人のお願いがあってまいりました。」


 可愛らしく眉を寄せ潤んだ瞳で懇願するファリィを前に断る理由を失う。植木鉢を落とされたのは記憶に新しいが、パリス妃の侍女であるファリィはそれにかかわりがないはずだ。話だけでもと訴えるファリィに頷くと、アイラはベルトルドに声が届かない位置まで離れた。話を促すとファリィは頬を染め、おずおずとお仕着せのポケットから手紙を取り出す。


 「これを……グイン=カリエステ様にお会いした時に、こっそりとお渡し願えないでしょうか。」

 「グイン=カリエステ様?」


 手紙を受け取りながら名を繰り返す。王の近衛で時々アイラの護衛をしてくれる青年だ。封筒を見ると宛先は書かれていなかったが裏にはファリィの署名がある。ファリィの様子からもしかしてとアイラの鼓動が高鳴った。


 「恋文ですか?」

 「いけない事だは解っているのです。垣間見るだけと自分に言い聞かせ心に秘めておりましたが―――後宮より王の足が遠のいてしまって、お姿を拝見するのも叶わず……」

 「あなたはその……貴族のご出身ではないの?」


 相手のカリエステは王の近衛だから貴族出身者だというのは解っている。ただし貴族で腕が立つなら爵位もちではない次男三男なのかもしれない。対する側妃の侍女なら同じ程度の身分であるはずだ。身分違いというのは考えにくい。


 「ギール子爵家の傍系ですが、親の取り決めで婚約しているのです。」

 「まぁ、そうなんですか。」


 寂しそうに微笑む様子にアイラは胸を打たれた。貴族の婚姻は家の為に行われるものがほとんどだ。アイラの場合は持参金が準備できないのもあって婚約者など存在しないが、本来なら十を過ぎる頃には家の為になる縁談を親がまとめているものである。結婚が嫌だからと家に残り続けるのは評判を落として迷惑になるし、修道院に入るにしても相応の支度金が必要になる。貴族の娘で下働きに耐えられるのはアイラのように育った者だけだ。神の世界もお金が全て。ファリィは結婚を前に側妃の元で侍女として行儀見習いをしているのだろう。そこで彼女は恋する相手を見つけてしまったのだ。恋をしたとしても令嬢が選択肢を持てる場合はほとんどない。


 「お渡しするのは構いませんが、あなたは辛くなりませんか?」

 「いいえ。お姿を拝見できなくなってから、せめて気持ちだけでもお伝えしたくなって。それに叶わないのはわかっています。でも、もしお返事をいただけたらそれを糧にできますもの。」

 「ファリィ様―――」


 健気な想いに胸を打たれる。恋する相手にも婚約者がいるのかもしれない。切ない思いに感化され、アイラは手紙を預かりファリィと別れた。


 「グイン=カリエステには結婚を約束した娘はいなかったはずだが。」

 「本当ですか?!」


 ベルトルドの情報にアイラは声を上げたが直ぐに肩を落とした。想う相手に決まった相手がいなくても彼女にはいるのだ。こればかりは仕方がない。


 「それにしてもベルトルド様は本当に物知りですね、地獄耳ですし。近衛でないのだから後宮には出入りされていないでしょうに、後宮の侍女にも詳しいなんて。」

 「女性の声は高いから拾いやすい。それに私は一度目にした情報は忘れないんだ。」


 ベルトルドは忘れるという事を知らない。普段は気に留めていなくても、必要になれば目で見て聞いたあらゆる情報を思い出すことができた。興味の湧いたことはとことん追求したくなるのはそのせいだろうかとアイラは考える。まあいいやで済ませられないからこそ覚えているのかもしれない。記憶力は羨ましいが、彼の見境ない探究心はちっとも羨ましいと感じなかった。

 

 「ベルトルド様にも婚約者の方がいらっしゃるんですか?」


 踏み込んだ質問だが匂いを嗅がれる付き合いだ、聞いても失礼に当たらないだろう。互いの身分に差はあるが二人はいつの間にか打ち解けている。それに公爵家の次男なのだからいても当然だろうと予想しての質問だったが、その予想に反しベルトルドは首を横に振った。


 「意外ですね。」

 「爪を研ぐことしかできない無能に用はないので破棄させてもらっただけだ。」

 「えっと―――」


 ベルトルドが妻に求める能力はとても高そうだ。最速アイラは失格を言い渡されていたが、それはアイラからしても同じこと。いくら知りたい欲求が勝るとはいえ、若い娘の寝台に潜り込んだり匂いを嗅いだりする男は全力で遠慮したい。そうではないと言われても臭いと言われている気分になるからだ。ベルトルドが無能と呼ぶ女性らとてベルトルドの生まれに惹かれても、彼の普通でない部分を知れば余程でない限り遠慮するに決まっている。けれど婚約を破棄された側の女性はたまったものではないだろう。不貞や余程の理由がない限り、家同士が取り決めた婚約が取り消されるなんて事にはならない。まぁ婚約破棄された女性自身にとっては、無意識に変態行為に陥る夫を持たなくて良かったのかもしれないが。


 「君は今、とても失礼なことを考えているだろう?」

 「心を読むのもお上手ですが、ベルトルド様の方こそ失礼なことをしている自覚がありますか。今だって必要以上に近いですよね、匂いを嗅ぐつもりでしょう?」


 すっと一歩離れると長い足が一歩寄せられる。


 「私は君の力が何なのか、その答えが知りたいだけだ。」

 「偶然ですよ。すべての物に答えがあるとは限りません。」

 「このまま答えが見つからなければ、再び君の横に寝ころんでしまいそうだ。」

 「やめて下さい。そんなことしたら次は遠慮なく蹴落とさせていただきます。こう見えても脚力には自信があるんですからね。」

 「女性の蹴り程度で私がどうこうできるとでも?」

 「遠慮しませんよ。殿方の急所なら心得ておりますから。」

 

 アイラが口角を上げて得意そうに鼻を鳴らすと、ベルトルドは苦虫を潰したように顔を顰めた。


 「君は男爵家のご令嬢だろう、なんてことを口にするんだ。」

 「その男爵家のご令嬢になさったことをよく思い出してください。マリエッタさんが止めてくれなきゃ今頃わたしを嫁にしなければいけないところでしたよ。」

 「万一の場合は全力で修道院入りを応援させてもらおう。」


 悪事を目論むかに碧眼が光りアイラは思わず身震いした。


 「爪を研ぐしか出来ないご令嬢に何かされましたね?」


 嫌な予感がしたが、ベルトルドは仮面を被ったままの微笑みで無言で返す。ベルトルドの婚約破棄は相手側の不貞が原因だ。それは公の事実であるのでマリエッタにでも聞けばすぐに解ってしまう。隠す必要はない。だがそうなるよう仕向けたのはベルトルドだ。罠にはまった元婚約者だが、周囲の非難を浴びはしたが今は幸せに暮らしている。


 「うすら寒いものを感じるんですけど、まぁいいです。ベルトルド様、物覚えの良さには感嘆いたしますが、このことだけはどうかお忘れくださいね。」


 婚約者がいるのに他の男に恋をしているのが公になればファリィはどうなるのか。アイラはファリィから預かった恋文を隠すように胸に押し付けた。叶わぬ恋だとしても、信用して預けてくれた想いを応援したかったのだ。






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