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胸を枕に  作者: momo
本編
31/42

31 最後の妻問い



 膝に乗せた手を硬く握りしめるアイラに、特に常と変わらないベルトルドの声が注がれる。言葉にするのはアイラも知らないロックシールド家と天使にまつわる過去であった。


 「ガウエン公爵は天使に関する多くの品を有していた。そこにあったのは天使と当時の公爵が残した手紙のやり取りや、ロックシールドの初代から現在に至る家系図に、天使が残したという遺品まで。天の国で使われる文字というものも含め、少ないながらもあらゆる興味深い事柄が残されていたよ。」


 本当なら口止めをされていたが、ロックシールドの人間であるアイラになら話してもよいと許可をもらっている。孫娘にと紹介したシェルーム子爵をガウエン公爵は大変気に入ってくれ、終始ベルトルドに協力的だった。ここ最近アイラに関することで二つの縁談をまとめたがけして結婚の斡旋あっせんが趣味でも目的でもない。ガウエン公爵の心をくすぐりながらすべての資料を目にしたベルトルドは一つの結論を出す。確かに天使と呼ばれる存在はいた。けれどそれは羽など生えていないただの人間であると。


 「天使は名を持った一人の女性だ。首を切られない限り死なない肉体を持つというが、何しろ途方もなく昔の出来事なだけに確認のしようもないし、当時の公爵が残した書付が全て事実とは限らない。そもそも彼女の死因は首を切られたからではなく、天寿を全うしてと記録が残されている。公爵と天使が交わした手紙もごく一般的な日常を綴ったもので、天使の筆跡が子供のようにつたないという点しか違和感を感じなかった。」


 グインに渡された偽りの恋文も酷い筆跡だったが、それはアイラの手ではなく悪意を持って書かれたものにすぎない。アイラとの共通点といえば黒髪黒目だけだが、それはロックシールドの血を引く人間なら全てに当て嵌まり、かつ唯一説明のつかない不思議な点でもあるが現在の知識では解明のしようがなかった。


 「当時はロックシールドとも隣接するタフス王国との戦が起きていた。天使はそこで指揮を執っていた王族のもとに舞い降りたらしい。その天使が怪我人を介抱し癒したおかげで戦いに勝利した。そして戦のあとは巡礼の旅に出て人々の病をいやしてまわった記録がある。」


 国中に点在する聖地において天使が起こした奇跡と記録されているが、実際は腕の良い医者であったのだろう。欠損した腕までつないだというのも信じがたいし、もし本当に体から離れた腕を繋ぐことができたとしても、再び元のように動かすことなどできなかったに違いない。そのうち腐り、再び切り落とすしかなかっただろう。


 「天使はいた、だが一人の医術に長けた人間だったと結論付けた。」


 受け継がれる髪と瞳の色の不思議もあるが、アイラやリゲルに子供ができればそこから解ることもあるだろうとベルトルドは続ける。


 「そういうわけで君が陛下に起こした奇跡の解明には至らなかった。だからこうして再び君のもとへ妻問いにやってきたという訳だ。」


 調べたが結局謎は解けなかった。だから妻に問うと言われアイラは顔を強張らせたまま上げる。まっすぐに見据えた碧眼はいつもと変わらず特別な感情の欠片もない。ガウエン公爵の有する品で納得できていたとしたらここには来なかったという訳なのか。なんて勝手な人だろうと、けれどこれこそが貴族というものだと解っているだけに責める気持ちは起きない。だからとて了承する気持ちは少しも湧いてこなかった。


 「わたしはリレゴ公爵家のご子息に相応しい女ではありません。ベルトルド様に求婚されながら、自ら陛下に情けを望むような女です。もしわたしとベルトルド様が結婚したとして、産まれる子が誰の子かわからないというのは不安ではありませんか。陛下の寝所に侍る女だというのはリレゴ公爵やヴィルヘルム伯爵の耳にも入るでしょう。絶対にお許しいただけるわけがありません。」


 正式な申し出を受けては断り切れないが、何故こうも遠回しにアイラの意見を優先してくれようとするのかが解らなかった。どうしても欲しければ正しいやり方で家を通して求婚すればいい。ベルトルドとの結婚はエドヴィンが好ましく思っていないようだが、ロックシールドの当主であるリゲルに直接便りを出すこともできるのだ。リゲルは妻となる女性を紹介してもらっているし、何よりもロックシールドの為になるからと受けてしまうに違いない。不在の姉も良縁を喜んでくれるだろうと了承の返事をしてしまう様が思い浮かんだ。リゲルはベルトルドの求婚をアイラが断り続けているなんて夢にも思っていないだろう。


 「私はどうしても君が欲しいのだよ。」

 「ベルトルド様―――」


 なんて甘く魅力的な言葉だろう、確かに感情のこもる言葉にアイラの心が揺れる。けれど欲しいという感情は得られない答えを求めての欲求だ。貴族の娘ならそんなことどうでもいい、ロックシールドの為にも了承の言葉を紡がなければならないのに、悲しみがこみ上げてきてどうしても頷くことができない。


 「祖父や父を説得する自信はあるし私は構わないよ。それに陛下は手を出してはいない、君は純潔だ。事実を知りもしない愚か者などの言葉に耳を傾ける価値はない。」


 ベルトルドの目的はアイラの体ではなく、シェルベステルに至っては出来た人であったから結果的にそうなったが、アイラがとった行動はけして貞淑な妻に望めるようなものではない。けれどもベルトルドは自分さえ事実を知っていればいいのだと言ってのけ、噂でしか判断できないような愚かな人間のいうことなどまるで気にしないと言ってのけるのだ。ここに愛があるなら迷わず飛び込んでしまう、そんな言葉を容赦なく繰り出すベルトルドを前にアイラは言葉を失ってしまう。


 「ロックシールドには五百年にわたる長い歴史がある。しっかりと守って行かなければならないとゴルシュタットの地で学び、そうあるべきと植え付けたのは君自身だ。私もそれが正しいと理解できる。だからとて君なしで崩れるようなロックシールドではないだろう。リゲル殿に全てを預けるのが心配なのも、決してリゲル殿が他と比べ劣っているわけではなく君が出来過ぎているからに他ならない。」


 広く実りの多い地ではないが、豊かとは言いきれずとも領民は飢えず幸せにくらしている。もっと豊かで様々なものを生み出せる広大な領地をもっていても、領主が出来損ないで貧しく飢える領民を抱えている場所もあるのだ。


 「弟君はロックシールドの地でもやっていける女性を得るし、君にはその女性に経営や内向きの教育を亡き母君の代わりにこなしてもらってかまわない。私なら王の手が付いたと噂される君を得ても利用して権力を手に入れようなどと思わないので、陛下やゴルシュタット侯に迷惑をかける夫にはならずにうってつけだ。」


 初めから言っているのだ、権力には興味がない、興味の対象はアイラなのだと。国王の手が付いた国王お気に入りの娘を得ようと目論む輩は多いが、ベルトルドは権力には興味はないのだ。実力だけで騎士の最高位を目指そうとしているのも幼少期の経験からそれが一つの目標となっているからで、軍部において最高の力を得て威張り腐りたい訳ではない。


 「君は幼少期に両親を失い、一日も早く大人にならなければならない状況に置かれた。そのせいで頼られる立場になければ生きる場所が得られないような気持になっているのだよ。行き着く先が修道院なのは逃げるにうってつけな場所だからだが、逃げ場所として修道院にこだわる必要はないのではないだろうか。」


 受け継ぐ伯爵位に相応しい女性と望んでいるのだ、アイラにとって好ましいことだとベルトルドは語る。親から受け継いだ領地を弟夫婦に任せ役目を終えても不要のごみになるわけではない。次にアイラを必要とする人間の元で頼られ力を貸すのだと、ベルトルドにとってはアイラだけが唯一それをできる相手なのだと主張した。


 「人に頼られる立場にあり続けたいなら尚更だ、私の手を取るといい。私には君が必要だ。私は騎士として一生やって行くつもりだから祖父から受け継ぐ領地を君に任せたい。場所が変わるだけで立場は変わらないじゃないか。口約束が不安なら契約書を作ってくるがどうだろう。」


 ロックシールドに比べヴィルヘルム伯爵家は広大で仕事量も多い。祖父について学んでも不安があるだろうが当然ベルトルドも任せきりにはせずに、必要なら補い手伝うし領地に戻る時間を作る努力もする。黙っていろというなら廃れさせない限り口出しはしないし、全てを放り出して押し付けるのでもない。何なら事細かな契約書を作成してもいいとの言葉にアイラは呆れと怒りが入り交じり、喉に閊えた息を何とか吐きだした。


 「契約書だなんて―――ベルトルド様ならわたしの意向なんてお構いなしに話を進められるのにどうして。」

 「そういう訳にはいかない。君との婚姻は互いの納得あってのこととゴルシュタット侯と約束をしているのだから。」


 ゴルシュタット侯爵がつれてきた娘だ。ロックシールドの問題だとしても、今もこうしてエドヴィンの屋敷に身を寄せているアイラはゴルシュタット侯爵の支配下にある。何かあればエドヴィンが責任を負う、預かるとはそういうことなのだ。だからこそアイラも王やエドヴィンの邪魔にならないよう、誰の誘いにも乗らずに引き籠っているというのに。


 「わたしが嫌だと言えばあきらめるのですか?」

 「そういう約束だ。」


 ほらやっぱりそうだとアイラはこみ上げる涙を堪え体を震わせる。君が必要だとか心を揺する言葉をつかいながら少しもわかっていない。


 「では、あきらめて下さい。結婚はお断りします。」

 「陛下との一件は気にしていない。他に理由があるなら教えて欲しい。」

 「あなたは条件ばかりで心をくださらない。条件なんていらない、心が欲しいんです。」

 「そんな不確かな物を求めてどうするんだ。私は君をただ一人の人として大切に扱うし、生まれた子供は間違いなくヴィルヘルムの後継ぎとなる。これ以外にどうやって心を示せばいい。」


 感情で語るアイラの言葉はまるで受け付けないようで、あくまでも事務的なベルトルドにアイラはゆっくりと左右に頭を振った。


 「わたしが陛下に抱かれてもいいのでしょう?」

 「そのような状況になれば君に拒否する権利はない。私は不可抗力を責めるような男ではないよ。」


 まさにその通り、王に望まれるならアイラに拒否する権利はない。それを不貞と責められてもどうしようもないが、そこを理解してくれる夫はどれほどいるだろう。夫婦の愛が強いなら続けていけるかもしれないが、アイラとベルトルドの間にあるのは形にならない不確かな感情で、それはけして交われないのだ。嘘でも悲しいというべきなのに、何処までも正直すぎる人だとアイラは小さく息を吐く。


 「ごめんなさい、やっぱりどうしても無理です。」


 何の迷いもなく即答される言葉に、アイラを囲む見えない重石が幾重にも積まれたような気持になった。この人に言葉は通じない、正論で全て返され、心が何かを全く理解してくれないのではアイラの方が心が病んでしまいそうだ。シェルベステルの不眠の原因も心から理解などしていないのだろう。兄を失ってより心を病んだ王を、ただそうであったのだと目に留めただけに違いない。


 今にも泣きだしそうな表情で口を引き結んだアイラに、特に変わった様子を見せないベルトルドがいつもと変わらない声色で問いかけた。

 

 「君は心という不確かな物を望むが、わたしはそれがよく理解できない。勉強不足だな。だが今の時点で君は私を好きなのだろう、それではいけないのか?」


 思わぬ言葉にアイラは濡れた漆黒の瞳を見開きベルトルドを凝視する。確かにそうだが、いったいどこからそんな自信が来るのか驚きしかない。


 「女性は好いた男を得る為なら、ある程度の困難などものともしないで突き進んでくるじゃないか。君は特殊だからあてはまらないとしても、私が好きならとやかく考えずに手を取ればいいものを。私が他の女性を愛でても君の心は痛まないのか。愛していると囁いて欲しいなら幾らでも言葉にしてやれる。断りこれきりになっても後悔しないのかともっとよく考えた方がいい。」


 淡々と紡がれる言葉にアイラは絶句するしかなかった。ベルトルドの言うことは実体験を踏まえた尤もなものなのだろうが、文字通りで全てが済めば悩んだりはしない。好きで好きでたまらなくて、沢山の女性を侍らせるような男でもそれでいいと望む女性もたしかに存在するだろう。側にいられるなら愛などいらないという人だっている。けれどそれはいつか振り向いてくれるという希望を持っているからだ。その希望があるならアイラもベルトルドに飛びついたかもしれない。けれどその希望すら抱かせないのが今目の前にいるベルトルド=リレゴという青年だ。


 驚きに言葉を返せずにいると扉が開かれカリーネが入ってくる。ベルトルドは立ち上がりそつなく礼を取った。


 「ゴルシュタット夫人、この度は急な訪問をお許しいただき感謝申し上げます。」

 「こちらこそ可愛いアイラを守って下さったそうで、お礼申し上げます。」


 夜会用に美しく着飾ったカリーネがにこにこと微笑みながら着席する。立ち上がったベルトルドにも椅子をすすめ扇を開いて意味ありげに翡翠色の目を細めた。


 「それで、ベルトルド様。アイラから色よいお返事は頂けたのでしょうか?」


 挨拶早々の単刀直入の言葉にもベルトルドは動じず碧い瞳をカリーネからアイラへと移すも、たった一つの答えを待つ瞳に色や情は宿っていない。


 「私が興味を惹かれるだけあります、彼女は本当に難しい。今しがた最後の問いかけをしたところです。」

 「あらそうでしたの。それでアイラ、あなたはどうするの?」

 「わたしは―――」


 思わずカリーネの顔色を窺ったアイラに大丈夫だと、カリーネからは偽りない笑みが返ってくる。


 「したいようになさい。それがあなたの幸せにつながるのよ。」


 頷かなければ一生興味を抱いてくれるのだろうか。簡単に忘れられたと思っていたのにここまでやってきたのは忘れてなんていなかったからだ。けれどそれはアイラが求める言葉を甘く囁いてくれるためではなかった。アイラは貴族の娘として失格の烙印を自ら押し、漆黒の瞳でベルトルドを捕らえる。


 「わたしのようなものでは伯爵家に相応しい貞淑な妻は務まりません。失礼を承知で申し上げます。ベルトルド様の求婚にはお応えできません。」


 色を失った唇から発せられた言葉がベルトルドの胸に突き刺さる。至近距離で射ぬかれたような感覚に陥り胸を押させたベルトルドにカリーネから案じる声が漏れた。


 「お胸をいかがなさいましたの、大丈夫かしら?」

 「―――ええ、大丈夫です。少しばかり違和感を覚えたのですがなんでもありません。」

 「てっきり失恋の痛手に胸を抉られたのかと思いましたけれど違いましたか?」

 「失恋? そのような痛手を受けた経験がないのでわかりませんが、おそらく違うでしょう。」

 「まぁそうですの。恋に破れた経験がないだなんて羨ましいわ。それではベルトルド様、御用事はすみましたわね。お引き取りついでにそこまでエスコートして下さいませ。」


 問答無用でアイラとベルトルドを引き離すようにカリーネが立ち上がる。これ以上話し合ってもどうにもならないのでアイラはほっと息を吐き出しながらカリーネの動きを追った。


 年齢を感じさせない無邪気さで差し出されたカリーネの手をベルトルドが取る。年齢の差はあるものの身分的にも釣り合いのとれた者同士、まるで美しい絵画を見ているような気分になりアイラはじっと二人を見つめていた。

 美しく堂々としたカリーネはアイラの憧れであったし、拒絶してもベルトルドを好きだという気持ちは変わらない。隣に立つのが自分ならどうだろうかと想像し想い描くも、みすぼらしく感じられ、脳裏に浮かべた途端にアイラは二人から視線を反らしてしまった。そんなアイラをカリーネは視界の端にとらえ小さく笑いを漏らす。どうしたのだろうと振り返りかけたベルトルドだったがカリーネに腕を引かれ止められた。


 「ねぇ、ベルトルド様。」


 誘うように甘く囁くカリーネの声。老若に関わらずそのような声色を嫌うベルトルドだが顔に出さずに出方を窺い、カリーネはそんなベルトルドの心内を見透かすように目を細めると楽しそうに再び笑いを漏らした。


 「あの子が欲しければご想像なさることです。」

 「何をです?」


 腕を引かれ耳元で囁かれる。


 「陛下のご寝所で、あの子が愛でられる様を。」


 これが唯一カリーネがベルトルドに出来る助言と囁かれ腕を解放された。有り得ない現実だと口を開こうとしたが、アイラを庇うように後ろに隠し妖艶に微笑むカリーネがベルトルドの言葉を押し止める。


 「目に見えて、手で触れるものだけが全てと思っている限りは解けない問題でしてよ?」


 ふふふと笑うカリーネの後ろでアイラが礼儀正しく腰を折っていた。ベルトルドも同様に礼を取ると無言のままゴルシュタット侯爵邸を後にする。煙に巻くような笑いを浮かべるカリーネの言葉に秘められる意味を見落としてしまわぬよう、周囲を遮断し考えに耽っているとベルトルドの胸を再び痛みが襲った。







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