25 国王と最後の夜
急な呼び出しがあるかもしれないからと、いつものようにマリエッタが腰紐を後ろできつく結んで準備を整えてくれる。このような前準備は不吉を望んでいるようだが、準備をしておくと無駄になるという例えもあるからとの理由でマリエッタは手間を惜しまない。験を担ぐつもりで、一度眠りにつけだけで大喜びした前回とは逆の行動をとったのだ。
マリエッタが部屋を出るのを見届けたアイラも同様に部屋を出る。ベルトルドに知られるのを恐れ早めに王の寝室へ向かうと特に何事もなくすんなり通されシェルベステルが迎えてくれた。
「本当に来たのだな。」
少しばかり驚いたような表情をされたが雰囲気は歓迎してくれているようだ。シェルベステルは護衛としてアイラと共に入室したグインに向かって、翌朝迎えに来るように言ってから退出を命じる。眉間に皺を寄せていたグインだが、王の命令に腰を折ると素直に部屋を出て行った。
「今夜一晩側に居させて欲しいとはさすがに驚かされた。聞き間違いかと思うたぞ。」
今朝シェルベステルに褒美をと言われ、アイラは遠慮なく希望を申し出た。けれどそれは金銭や品物ではなく王と一晩過ごす権利だ。驚きながらも受けたシェルベステルだが期待半分に待ちわびながらも、アイラの真意が言葉の意味通りでないのは始めから解りきっていたのだが。
「抱いてもよいのか?」
「―――陛下がお望みなら。」
恐れ多くもイクサルドの国王を利用しようとしているのだ、純潔を捧げなければならないことになっても仕方がないという覚悟がアイラにはあった。それ程アイラの決断は強い。好きな相手がいてもその愛が得られないのなら徹底的に、いっそのこと絶対的な権力者に奪われるのなら仕方がないのだと言い訳もできるというもので。狡賢く浅はかであったとしても自分で決断したことだ、何が起きても自分の責任と、腰を落としてシェルベステルに頭を下げる。シェルベステルはそんなアイラの手を引いて寝室に入ると押し倒すのではなく、ゆっくりと天蓋付きの寝台に腰を下ろさせ優しく問いかけた。
「身を投げ出すほどの何がある?」
顔を白くし硬く口を引き結ぶアイラの前にシェルベステルが膝をついて覗き込む。手は握り優しく包み込んだまま、愛しい女性に乞うように心を開くよう望んだ。
「陛下、わたしは―――」
「よいのだ、私を利用したいならすればよい。それで其方の心が軽くなるのなら掌で転がされようと怒りはせぬ。」
「そのような恐れ多いっ……申し訳ありません。」
国王を利用など恐れ多いと言いかけるも、事実そうであるのに変わりがなく、アイラは恥ずかしさのあまりシェルベステルと目が合わせられなくて眉を寄せ俯く。そんなアイラの手をシェルベステルは慰めるように二度やさしく叩いた。
「何があるのか教えてはくれぬか。其方は自分の身を投げ出し私を助けてくれた。一国の王としてではなくシェルベステルという一人の人間として其方の力になりたいのだ。」
志を同じくする大切な兄を失い心が折れてどうしようもなくなっていた時に、国王だとかいう肩書は関係ないのだと、アイラはシェルベステルを一人の人間として見て抱き寄せてくれたのた。だからこそシェルベステルはイクサルドの王ではなく一人の男としてアイラに問いかける。
「心の内に秘めてばかりだと辛いぞ、吐き出してみよ。吐露するだけでもどんなに楽になるかを私は其方に教えられたのだ。」
硬く握りしめたアイラの手をシェルベステルの暖かい掌が包み込む。薄い茶色の瞳を合わせ優しく語りかけてくれる様子にアイラの瞳も潤んだ。
「ベルトルド様に心を寄せてしまいました。あの方の心が得られないと解って、それが辛くて―――」
一国の王を自分の感情一つで利用していいはずがない。けれどどうしようもなくてあがいた結果がこれだ。申し訳ありませんとの謝罪は吐息となって吐き出される。アイラの告白にシェルベステルは息をのんだがすぐに吐き出し「そうか」と呟くように答えると、アイラの隣に腰を下ろして腕を回し肩を抱く。それは辛いなとアイラへの想いを秘めるシェルベステルもまた心を痛めた。
「あれは少しばかり変わっておるからな。先日の一件が気になっているのなら私も悪かった、心から謝罪する。其方を傷つけるつもりはなかったのだ。ベルトルドは妻を他所の男に差し出したりするような人間ではない。」
弟の婚約が調い不要になる恐怖に心が乱れた時だ。アイラは王を頼って寝室を訪れ、シェルベステルは頼られた嬉しさとアイラの落ち込む理由を直感しベルトルドを追い出そうとした。その時にアイラの前ではけして言ってはいけない言葉を口にしてしまったのだ。たとえ自分がアイラを抱いてもベルトルドは彼女を妻にするのだろうと。国王という身分にあるからこそ欲しいのに得られない心を寄せる娘。その娘を政略という言葉一つで得られるベルトルドに嫉妬して腹を立てていたせいで、あんな心無い言葉をアイラの目の前で発してしまった。シェルベステルはアイラの心を無視した発言をしてしまったと後悔していたのだ。
シェルベステルから見たベルトルドは、誰かを心から愛することなどないと思えるような男だ。国政に興味を持ち、民の為に国を治め繁栄させるという面に力を尽くすなら、まさに一国の王として迷いなく突き進み栄華を極めるだろう。けれど一歩間違えば誰も抵抗できないだけの策を練り、悪政の限りも尽くせるだけの器量までも持ち合わせている。
だからとて人の道に外れた何かをするとかいう訳ではないが、関心を持った物事に対しての欲求がとんでもなく強い男なのであるのは間違いがない。自らの体を酷使し苦労して騎士となり今も立派に勤めあげているのも、幼少期に抱いた疑問が始まりなのである。しかも騎士となったから終わりではなく、何もかもに恵まれた生まれである己がどこまで行けるのかという、自分自身との取引のような感覚で騎士を続けている節もあるのだ。騎士に憧れてなったわけでも騎士の職業につかなければならなかったわけでもないが、それなりに楽しんで騎士をやっているようだ。
けれど感情という事柄についてはまるで興味を示さない。人付き合いも深いほうではなく親睦を深めるというよりも、利用するときに必要になるからといった考えの方が強かった。そして特に女性に対しては辛辣な態度をとる。女性というものに興味を持ってもそれは医学的な事柄に関しての確認であって、確認が済めば用が無くなってしまうのだ。女性から心からの愛を囁かれても全く理解できない男ではあるが、貴族の結婚においては愛情など必要ないので特に問題になるようなことではなかった。
そのベルトルドに心を寄せていると聞かされたシェルベステルは複雑な心境に落とされる。幸せな家庭を築く未来は想像できないが、それでもアイラの心が本気なら応援するべきだ。残念に思いながらもせめて力になってやろうと取り繕うも、肩を抱いた娘はゆっくりと頭を振って拒絶した。
「現実はどうあっても、陛下の情けを受けるのはロックシールドの利益になります。ベルトルド様には栄誉なことだろうと言われました。確かにそうです。本当にベルトルド様の言葉は正しくて、貴族の娘として家の為にもそうあるべきなのに―――心があの方に捕らわれてしまってからは、政略だとか家の為だとかという常識に抵抗が生まれてしまいました。」
ベルトルドの求婚を受け入れないアイラの方がおかしいのだ。男爵家の行き遅れ間近な娘と、公爵家の次男で伯爵となることが決まっている国王の側近くに仕える立派な騎士。ロックシールドへの援助も惜しまないというし、どこからどう見てもアイラの玉の輿だ。この縁談に不満を抱いて断るような娘はアイラくらいのものだろう。
「政略の為の婚姻があるのなら、それも仕方がないと受ける気持ちはありました。でもあの方を好きだと自覚したせいで受け入れられなくなってしまいました。けして得られないと解っているのに、心からの愛が欲しいなんてどうして思ってしまったんでしょう。」
苦しさに俯くアイラをシェルベステルは哀れに思い見つめる。情の深い娘だとはわかっているが、そのせいで政略にとっては邪魔にしかならないものを望んでしまったのだ。
「心とはままならぬものだな。」
許されるだろうかと戸惑いながらもシェルベステルはアイラを胸に抱きよせる。心が弱り何かに縋りたくてたまらない状態のアイラも王の腕に抗うことなくされるがままだ。ここで心の内を告げれば逃げられてしまうだろうとシェルベステルは悟り、狡賢くも今をしっかりと記憶に残したくて想いを隠す。
愛を求めるなら国王の側妃という立場に置かれるのは辛いものになるだろう。シェルベステルが愛を囁いてもアイラの心はベルトルドにあるのだ。受け入れたとしてもそれは国王という最高権力者を前にした敬愛でしかない。後宮という制度をとっている現在、側妃の誰か一人だけを特別扱いするわけにもいかないし、アイラに力を持たせるにしても今度はゴルシュタット侯爵家を巻き込むことになってしまう。エドヴィンは権力の集中を望まないし、シェルベステルも誰か一人だけの臣下に権力を集中させるのはよくないことだと解っているのだ。シェルベステルの不眠が改善された今となっては無理に囲うこともできなくなてしまった。
「ここで一晩過ごしたとてベルトルドがあきらめるとは思えぬが―――今一度口添えいたすか。」
何とか力になってやりたいと策を練るシェルベステルを前に、城の内にある教会での出来事を思い出したアイラはもう沢山していただいたと首を振る。
「お役目を終えたのですからロックシールドへ帰ります。」
「ならば何故―――いや、そうか。領地へ戻るのか。」
それならどうしてここに来たのかと問いかけたシェルベステルは口を噤んだ。他の男と一晩過ごした程度であきらめるようなベルトルドではないが、アイラの中では王の寝室で過ごした事実こそがベルトルドに対する策となるのだろう。アイラは深く訊ねないシェルベステルの優しさに感謝して涙を零す。
ベルトルドから貰った『愛している』の言葉は偽りで、心など何処を探しても込められていなかった。あくまでも興味はアイラがシェルベステルを眠らせるに至った原因の究明であり、アイラ自身を求めての行動ではない。体を重ねるように一緒に眠ったけれど、二人の間には男女の関係に関わることすらまるでなく、本当に添い寝をして終わってしまったのだ。もう二度と触れ合うこともない。
「私は其方に手を握られると眠りに落ちてしまう。だから気にするな。遠慮なくいつまでも、気が済むまでここにいて構わぬ。」
シェルベステルの優しさがアイラの心を抉る。優しい国王を利用した我が身の浅ましさに、不寝番という特別な役目を賜った身がどれ程の位置に存在するかを心のどこかで計算していたのだ。優しい王はアイラの狡猾な考えを知っても拒絶はしないと、唯一の存在だと解っていたからこの場所を選んだ。
もう間もなく弟には姉という存在は不要になる。ベルトルドはアイラと添い寝をしたことにより目的を達成しただろうし、価値のない女が逃げたとしても追ってはこない。最後にシェルベステルだけは何があってもアイラをないがしろにしないと解っていて、同時にベルトルドが納得しなかった時の為の言い訳として使うつもりなのだ。ベルトルドに心を寄せるも、彼との婚姻は悲く空しい人生の始まりになる。それが怖くて国王という存在を利用し逃げだすのだ。とんでもない女だとアイラは申し訳なさに唇を噛むも後戻りはできない。
「其方も参れ、一人で横になるのは心が痛む。」
「いいえ、どうかこのまま。最期の夜です、見守らせてください。」
「最後などと申すな。」
寂しくなると、下心なく共寝に誘うシェルベステルの申し出を恐れ多いと断るも、毎夜手をつないで眠りに誘った身としては多少なりとも壁が低くなっていたのだろう。穏やかに微笑むシェルベステルはアイラの腕を引いて寝台へと引き上げると横になっても手を離さない。戸惑いがあったアイラもされるがまま、けれどさすがに横たわるには至らず横になった王の側に横座りで対応した。
王の手に初めて触れた時は枯れ枝のようであったのに、今は年相応の手触りを取り戻している。痩せて細くなっていた体にも肉が戻りこけた頬もふくらみが戻って端正な顔つきになっていた。自傷の跡も綺麗になくなっていて健康を取り戻したのだと一目でわかり、本当に良かったとアイラは瞳を潤ませた。
「城を辞してもイクサルドの繁栄と、陛下の穏やかな眠りを願い続けます。」
「贅沢が許されるなら、其方には毎夜こちらに来てほしいのだがな。」
悟られぬよう本音を吐いたシェルベステルに、アイラは濡れた瞳のままではあるが頬をほころばせると、野に咲く花を思わせるような優しく控えめな、目にしたもの全てを心安らかにさせる微笑みを浮かべた。




