22 眠りの露見
自分で拒絶しておいていったい何にショックを受けているのだろう。逃げるように全速力で走ったアイラが行き着いたのは一度だけ訪れた教会だ。上がる息をなだめるように胸をさすり額に滲んだ汗を拭う。夜会の場と異なり明かりのないここは薄暗く、扉をそっと押せば鍵はかけられておらずすんなりと開いた。色硝子が月の光を通すがほとんど見えない。踵の高い靴は走る途中で脱げていたので裸足のまま冷たい床を奥まで進み、黒い羽を広げる天使を見上げた。
「本当に不思議な力があるのなら、ベルトルド様の心もわたしに向けられたのかしら。」
言葉にして自虐的に微笑む。人の心をおかしな力で操ろうなんてどこまで追い詰められているのだろう。それでも他所の男に抱かれるようなことがあれば嫉妬くらいはしてくれるだろうか。結婚の承諾をすれば他の女性の所に行けないようにもできるのだろうか。
「あんな変態のどこがいいの。」
下世話な言葉で否定してみるも気持ちは消えない。ずっと昔、それほど多くを考えられなかった頃、カリーネが読んでくれた絵本の影響で王子様が迎えに来てくれるのだと小さな頃に夢に見たことがある。ベルトルドが持つ金色の髪に碧い瞳はまさに物語の王子様だが、けしてアイラの王子様にはなり得ない人だ。
心がなければ修道院に行くよりもベルトルドの申し出に了承しただろう。けれど気付いてしまった。アイラはベルトルドに惹かれてしまっているのだ。その相手に求められるも心はいらないと拒絶され、不寝番を続ける中で王に抱かれても仕方がない、ロックシールドの為にもなるのにと不思議がられては心がきしんでとても駄目だった。
どこがよかったのだろう、顔は良いがそんなものには惹かれない。地位や権力だけに惹かれるには相手を知りすぎた。初めて会った日、王の為に着替えようとしたアイラのドレスの紐を解いてくれた時の距離は異性を相手に初めての距離。その後は夜這いと勘違いするような行動をとられ、間近に吐息を感じて驚きながらも頬を染めた。振り返ると匂いを嗅いだり指を味見したりといった驚くべき変態行動も何故か楽しかったと感じてしまう。上空からの落下物から腕を引いたりと常に守ってくれて、時には部屋中を跳ねる蛙を一緒に集めたりして。四方八方に跳ねる蛙をどのようにすれば効率良く捕まえられるかと悩むベルトルドに、身分も忘れ体を使えと叱りつけたりもした。
「あれは楽しかったわね。」
思い出してくすくす笑うと涙が零れた。頬を流れる涙をぬぐいもせずに闇に紛れる天使を見上げていると人の気配を感じる。違うと解っていても期待せずにはいられないが、違うと知るのが怖くて自分からは振り向けなかった。
「ここにいたのか―――思ったよりも速い。」
乱れた息を整えながらグインが入ってくる。硬い床を踏む音を耳にしながら涙を拭い、頼りない月明りでは気付かれないだろうとゆっくり振り返った。
「足には自信があるんですよ。」
「脱ぎ捨てるのはどうかと思う。見せて。」
跪いたグインが何処で脱ぎ捨てたかもわからないアイラの靴を床に置いて見上げる。促されドレスの裾からそっと足を出すとグインは遠慮なくアイラの素足に触れた。
「ロックシールドではご婦人が裸足で走り回る習慣があるようだ。」
「葡萄を搾るときはみんな裸足です。あとは時々―――大人になってからはたまにですよ。」
足の裏を確認したグインは笑いながら手を放した。裸足で地面を駆けても皮がむけたりするような軟な状態ではないと解ったらしい。泥が付いたままでは靴の内側が汚れるので無理に履かせるようなことはしない。
「あれは彼女の方から手を出した。ベルトルド殿は心得ておられるから、たとえ酩酊していても自ら手を出したりはしない。」
「味方するんですね。」
「事実だからね。それに君も傷ついているようだから。」
グインの言葉にアイラは瞳を瞬かせてから苦笑いを漏らして下を向く。
「知っています。ベルトルド様はあの方に利用されようとしていた。でも拒絶もされなかったからあんな状態だったんじゃないですか。」
「それは―――君が私と二人きりだったからじゃないかな。あの人は興味がある事柄になるとまるで周囲が見えなくなる。私と君がいる部屋が気になって自分が服を脱がされているのにも気が付けなかっただけだろう。」
だからあの娘は何の反応も示さないベルトルドに怒って声を上げていたのだ。
「ああ、先日カリエステ様はどうかと陛下が仰ったから。」
「私が?」
「わたしの結婚相手にと。」
はっきり見えずともグインの顔が歪むのを感じてアイラは小さく笑いを漏らす。
「大丈夫ですよ、解って下さいましたから結婚させられるなんて事にはなりません。」
それに自分は修道院に入るのだと、壁に描かれた天使を仰ぎ見ながら呟く。
「君はベルトルド殿が好きなのだろう?」
本当にどこがいいのか解らないがと、グインは正直な言葉でアイラに訊ねる。
「ロックシールドを守るためなら何だってできると思っていたんですけど―――感情が絡むと難しいんですね。」
ベルトルドがアイラを欲しい最たる理由は王を眠らせた仕掛けについてで、騎士を続ける為に領地経営ができるとかは付属に過ぎない。黒い天使にまつわる話を聞いて興味が失せたのかどうか。常に考えているような感じがするのであきらめたという訳でもないのだろう。またそれを嬉しく思う我が身が憎らしい。
嘘でもいい、どうして君の心が欲しいと言ってくれないのか。恋愛経験もない田舎貴族の行き遅れ娘、そうしたら簡単に騙される。アイラを手に入れたいのならそうすればいいのだとベルトルドも分かっているだろうに。欲求のためなら手段を選ばない人だと思っていたが、嘘がつけないと言う事なのだろうか。
どんなに気まずくても宴が終われば不寝番があり、ベルトルドと顔を合わせなければならないのだ。当初とは信頼関係も異なるが、それでも彼の身分だから王の眠る寝室への立ち入りが許される。アイラ一人では不寝番ではなく伽のお相手と判断されてしまうのだ。
気まずいのはアイラだけなのだろうか。あんな事があったばかりなのにベルトルドはいつもと変わらず、マリエッタも何も聞かずに支度を整えてくれた。疲れたからと先に寝室に入っているという王を気遣い小さくノックしてから扉を開く。
シェルベステルは窓辺に置かれた椅子に腰かけ、開け放たれた月夜に照らされる外界に体を向けていた。熱気に覆われた宴と異なり夜風も冷たい。風邪をひきますよと覗き込めば、瞼を落として寝息を立てるシェルベステルの姿にアイラは息を呑む。
「どうした?」
異変に気付いたベルトルドが近づく。敷物に消される足音が永遠に近づかなければいいと願いながら、アイラは眉を下げ泣き笑いのような表情でシェルベステルを見守った。
「お休みになられたのか。」
側に寄るベルトルドの体温を感じ、アイラは小さな溜息を落とす。不眠に悩む王に訪れた健やかな眠りは喜ばしいことだ。なのに心の奥ではついにこの日が来てしまったと胸を痛める自分がいることにアイラは落ち込んだ。もう必要ないのだ。妻を迎える弟にも、そして眠りが訪れたシェルベステルにも。そしてロックシールドに利益を生まない我が身は近い将来確実に邪魔な存在になる。
状況に気付いたマリエッタが掛布を渡してくれたので、起こしてしまわないよう座ったまま眠る王の体にかけてやる。夜風が入り込む窓も閉めると王の眠るすぐ側に腰を落とした。
「陛下がお目覚めになるまでここにいます。」
不寝番は今日で終わりだ。複雑そうに眉を寄せたマリエッタが頷き部屋の隅に控えると、ベルトルドは二人の姿が確実にとらえられる場所へと移動する。驚く様子も見せないベルトルドの考えていることなどアイラにはまるで解らなかった。
*****
「お目覚めですか?」
朝日が敷かれたカーテンを通して室内に入り込む。瞼を揺らし薄茶色の目が明かりを取り込んで赤みを増した。
「私はどうしてこのような場所に―――」
呟いたシェルベステルだがすぐに状況を察した。宴に疲れ椅子に深く腰掛けたのだ。そのまま眠りに落ちてしまったらしくアイラ達に目撃されてしまった。寝室にはアイラの他にもベルトルドとマリエッタが控えている。しまったと思うがもう遅い、秘密は露見したのだ。
「おめでとうございます陛下、よくお眠りになられておりました。」
祝いを述べるアイラの表情が悲しそうだと感じるのは願望の現れだろうか。シェルベステルは一つ頷くと心の乱れを悟られぬようゆっくりと立ち上がる。
「世話になったな、其方等のお陰だ。」
若い娘を縛り付けている自覚があり、この眠りこそが偶然という言葉を紡ぐことはできなかった。これ以上はアイラにとっても負担になると、ロックシールドの状況を知るシェルベステルは嘘を貫くのをやめる。もしこの出来事が紛い物で再び不眠が訪れればアイラはロックシールドから駆けつけてくれるだろう。心優しい娘を騙して一生手元に置くわけにはいかない、その日が来たのだとシェルベステルはアイラの手を取る。
「世話になったな、褒美を取らせる。」
今度こそ断るなと微笑むシェルベステルを前に、アイラはぐっと奥歯を噛んで息を吸い込むと王の耳に口を寄せ何事か囁いた。それを拾った王は驚き目を見開いてアイラを凝視する。
「いけませんか?」
「―――いいや。其方の望むようにいたそう。」
生気のない漆黒の瞳に違和感を感じ、言葉の意味通りに取ってしまい熱くなりかけたシェルベステルの体が急速に冷える。そのような娘でないのは初めからわかっていたはずなのだ。けれど淡い期待に触れた心は複雑で、アイラにこのような言葉を言わせたであろう原因にシェルベステルは強い視線を向けた。唇の動きも声も認められなかったベルトルドは、王の視線を真正面から受け止めるも眉一つ動かさない。何を囁いたのか気になり動揺しながらも周囲に悟らせはしなかった。
アイラが部屋に戻るとマリエッタが着替えを手伝ってくれるのだが、今日に限ってはそれを断り、マリエッタが廊下の角を曲がるのを見届けたアイラは、グインの当番が来るまで扉の前に立ち護衛を続けるベルトルドの腕を引いた。
何をするつもりだろうとされるがまま部屋に引き込まれるベルトルドの様子が何故かおかしくて、アイラは思わず吹き出しそうになるのを堪える。不快に感じたら相手が女子供でも容赦なく言葉で傷を負わせるのだと聞くが、こういう態度では相手に勘違いさせても仕方がないのだろうと思うと笑いが漏れてしまった。昨夜の娘も上手くいくと思ってしまっただろうに、相手が何の反応も示さない幽霊のような状態ではたいそう腹がたっただろう。実際にこの後ベルトルドが自分に何の興味も抱かず、人形のように立ち尽くしていたらいたたまれないだろうなと想像する。
「わたしは近くロックシールドに帰ることになります。」
「そうだろうね。」
ベルトルドは端的に答えるだけで、離れるのが悲しいとか寂しいとか、若い娘が喜ぶようなことは何一つ口にしない。
「わたしは天使の末裔らしいですね。そんな夢物語を陛下と宰相閣下は信じていらっしゃる。そんなわたしにベルトルド様はまだ興味がありますか?」
「私は奇跡を信じないと言ったのを覚えているか。そんな類で誤魔化されはしないが、ロックシールドに何かがあるのは間違いないだろう。陛下を眠らせた原因が何なのか、その他に至るまで余計に興味がそそられた。」
それは良かったとアイラは微笑むも目は少しも笑えない。ベルトルドは頭がいいだけでなく勘もいい、少しの事も自分の興味につながるなら見落としたりしないだろう。アイラは注意深くベルトルドを見つめながら手を放した。鼓動が速くなり触れていると心を読まれてしまいそうだと感じたのだ。
「陛下がお眠りになられてショックだったのだろうが変な気は起こすな。」
「ショックだなんて―――良かったと、心から思っています。」
「どうだろうね。君は人に頼られることで己を保ってきたような女性だ。」
胸を射られた気分に落とされる。
正直、アイラは誰かに頼られることでしか自分の居場所を確保できない。そんなことはないと弟は否定してくれるだろうが、受け継ぐべき領地は弟の物で、どれほど必死になってもアイラにはまったく受け継がれない代物なのだ。間もなく二十に手が届き、行き遅れと呼ばれる年齢になってしまうと外聞もよくない。
「それでもベルトルド様との結婚はお断りさせていただきますよ。」
ロックシールドに帰るのだし、騎士を続けるベルトルドではアイラを口説きにくる時間もないだろう。現実的に無理な話だ。
「弟君の結婚は決まり陛下の憂いは取れた。後は花嫁にロックシールドのしきたりを伝授するだけだ。君が私に嫁ぐのは領民の為にもなるのに今は全力で否定しているな。それは何故だ。どうすれば君を手に入れられるのか、言ってくれれば全て叶えよう。」
望みを問われたアイラは触れるほど側にいるベルトルドを見上げた。
「愛していると、心から愛していると言ってください。」
「そんな不確かな物でいいのなら幾らでも口にするが?」
「心からですよ?」
「―――愛している。」
戸惑いながらもベルトルドの口が愛を紡いだ。初めての言葉にアイラの顔がくしゃりと歪む。心からの意味が本当に理解できないらしいと思いながら、アイラは両手をゆっくりと広げた。
「さあどうぞ。匂いでも味でも、お好きなだけ調べて下さって結構です。」




