表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
胸を枕に  作者: momo
本編
17/42

17 好きと気付く




 夜の闇に紛れ庭園に立つ。日中は人の出入りの多い立派に整えられたここも、闇の深まる時間ではまるで人気がなく、しんと静まり返り寂しさを覚える場所に変わっていた。城の中にあっても犯罪に巻き込まれるのではと不安になる静けさだったが、何処に足を向けても無言でついてくる護衛ベルトルドの存在がアイラを不安や恐怖から守ってくれる。けれど今は一緒にいるのは複雑な心境だった。


 「弟の結婚を調えて下さった事には深く感謝しています。でも……だからってやっぱりわたしはベルトルド様との結婚は望めません。」


 今はまだ家を通して正式な申し出があった訳ではない。そうなれば格下の者から断ることは不可能だ。ベルトルド自身の目論見がどうあれ、これが恩ある人に示す態度ではないだろうとはわかっていた。アイラとの婚姻を望むベルトルドは、全てロックシールドにとって益になるよう提案し動いてくれている。けれどアイラは断れなくなる前にあえて今それを口にしたのだ。


 「わたしは修道院に行きます。そうするのだとずっと前に決めていたのですから。」


 何時からそう思うようになったのかは覚えていないがそうするのだと決めていたのだ。それが覆されるとしたら、恩あるカリーネに結婚を薦められたときだけだろう。


 「それはロックシールドにとって不利益になると解っていてもか?」


 ロックシールドを思うならばベルトルドの条件を飲むべきなのはわかっている。領主の姉で、家の為にもそうするのが最善だとも。アイラのレース編みの技術も修道院にくれてやる必要はないのだ。ただお金のない身では何かしらの代わりが必要だから身ごと飛び込むだけで、技術だけを置いていけるならそうしている。けれど迷いながらも決定的な現実がアイラの前に曝されてはとてもではないが容認できない。


 「ベルトルド様は人を愛したことがないのですね。」


 当然アイラとてそうだ。けれどそれは男女間の特別な愛についてのみ。親や弟を愛する家族への愛は持ち合わせているし恩あるカリーネへの愛も深い。けれどベルトルドからはそれすら垣間見えないのだ。


 「妻として大切にすると仰っていたのに。なのにベルトルド様は自分の妻が他の男の人と目の前で愛し合っても、わたしと陛下が寝台の中で夫婦がする行為をしても、目の前でそれを見ても何とも思わないんですね。」


不寝番と夜伽はわけが違う。夫となる人が目の前で妻と第三者の男とでなされる行為をどの様な気持ちで見守るのか。シェルベステルはそんな事はしないだろう。けれどベルトルドはそうあっても不快に感じるどころか嫉妬すらしないに違いない。彼の興味が何処にあるのか解っていたが、妻として大切にすると言っておきながらまさかあんな気持ちでいたとは衝撃だった。


 誰にも必要とされない寂しさに動揺してシェルベステルを頼った先にあった、ベルトルドが抱く真実の言葉を知って、弟の結婚やそれにかかわる不安が今は一気に吹き飛んでしまっている。


 「愛はなくても貞淑な妻を望んでいたのではないのですか。本気の想いを茶化すなとも仰いましたよね。」


 ヴィルヘルム伯爵位を継ぐベルトルドには跡継ぎを残す義務があるからこそ貞淑な妻をと望んだのだ。そこに恋心や愛情といったものは存在しなくても貴族社会は成り立つもので、その下層にいるアイラでも十分に解っていた。

 欲求の追及、領地経営に跡継ぎ問題。それがアイラを妻に迎えることで一気に解決するし、国王の不寝番としてアイラが抱える問題も片付いてしまう。損得で繋がりはしても、ベルトルドが求めるのは王の愛人として妻を差し出し権力を手にしようとしているものではなかったはずだ。それなのに王は何と言ったのか。アイラが不寝番であるのは変わらないのだ。そこにアイラを差し出し王に抱かれるようなことがあっても構わないのだと。それはベルトルドの目の前で行われても不思議でない行為だ。王の子を妊娠した場合は自分の子として産ませるのか、それとも王の愛人として差し出すつもりなのか。

 夫と王に望まれるなら妻としては受け入れるしかないものだろうが、アイラはそのような考えに納得できるような育ち方をしていない。身も心もどろどろとした貴族社会に染まるのではなく、あるべきものとして学んでも、仲の良い両親の記憶やカリーネに与えられた愛情を身をもって知っているのだ。 


 「わたしは夫の前で他の男に抱かれても平気でいられるような女ではありません。」

 「君は何か勘違いをしていないか?」


 静かに怒りを露わにするアイラをベルトルドは冷静な目で見下ろしていた。


 「確かに君が王に抱かれるような事態になろうが、私が君を望む気持ちに変わりはない。だからとて妻を望んで他所の男に抱かせるような趣味はまるでないのだが。」

 「陛下が望めば容認するのでしょう?!」

 「強く望まれるなら仕方がないが、それは君にとっても栄誉なことだろう。」


 聞いてはいたのだ、こういう人なのだと。けれど現実にこのような状態で突きつけられた求婚者の感情はアイラには全く理解できないものだった。


 「わたしはたとえ少しの愛がなくて結婚しても、夫となった人が他の女性を抱くのに不快感を覚えます!」

 「利害が一致しての婚姻においても不快感を覚えると?」

 「そうです!」


 夫が外に愛人を持つのはよくあることだ。もちろんそうならない事例も多々あるが珍しくはない。ベルトルドは声を上げるアイラを無表情で見下ろしたまま「不快感」と繰り返し胸を押させた。


 「私は他所に女を持つ気はまるでない。君に貞淑を求めるのだから私もそうあるべきだと解っている。だが陛下が君をお望みになられるとしたら私には止める術がないし、権力者を前にそうあらねばならない君の状態も理解できている。だからこそ許せると前もって公言しているだけだ。」

 「もしそんなことになってもベルトルド様は心を痛めはしないでしょう?」


 問えば意味が解らないとばかりに眉を寄せられ、やっぱりそうだと解ってアイラは泣きそうになった。


 「陛下が無理矢理そのような事をなさらないのはわかっています。でも仮定としてそうなった場合、ベルトルド様は見たままを現実として受け入れる。わたしが心を痛めても気持ちを分かってはくれないでしょうし、ベルトルド様も心は痛めない。ことが終えたらただ日常に戻るだけで、普通の夫が妻に抱くような感情をベルトルド様は示してはくれないのでしょう。」


 愛のない利害関係だけの婚姻だとしても、それはアイラにとっては大きな問題だ。ベルトルドは感情ではなくあるべきものを見たままにとらえる。


 「どのようにして夫婦になったかは問題ではなくて、どのような夫婦になるのかが問題なんです。ベルトルド様との未来を想い描いても辛いものしか見えてこない。わたしとベルトルド様は根本的に違うんです。お互いに理解なんてできないのに、損得だけで夫婦としてやって行ってもいずれ破綻します。きっとヴィルヘルム伯爵もお喜びにはなられません。」


 愛のある結婚なんて望まないし、ロックシールドの為になるなら自分を殺して結婚だってできる。けれどそれだけだ。ベルトルドはアイラを得て王を寝かしつけたアイラの奇跡が判明したなら、彼一人が満足して興味をなくしてしまう。そしてアイラには伯爵家の妻としての役目だけが残される。伯爵家というのは荷は重いが領地経営が嫌いなわけではない。けれど修道女になる未来を捨て自分に何の興味もない夫の為にどこまで我慢ができるだろう。初めから破綻した夫婦生活をおくるためにベルトルドに付き合うのはとてもじゃないが我慢ならない。


 「成程。それは君にとってとても重要な事なのだな。」

 「とても重要です。」


 ロックシールドの為に心を殺せと言われるならそうするが、今現在のロックシールドは高望みしなければそれなりにやっていけているのだ。勿論アイラの犠牲があればなおよいが、結婚前から他の男と肌を合わせていいという考えの持ち主に嫁いでまでとは思えない。本当に少し前、弟がやってくる前までなら容認できただろう事柄に、アイラは自分でもどうしてだかわからないがベルトルドに惹かれていたのだと気付かされる。だから何の愛情も与えてもらえない現実が悲しくて受け入れたくないのだ。


 こんな変わった男のどこがいいのだろう。口を閉じていれば見た目も爵位も申し分なく多くの女性が寄ってくる。けれど一度口を開けば心に思う真実を遠慮もなく開放して敬遠されてしまうのだ。それでもアイラは口を閉じるよりも開いているベルトルドに惹かれたのだろうに、自分にとって不都合な真実を辺り構わず吹聴しているのだと知って苦しいほど胸が痛んだ。

 アイラは無条件に人を愛せる訳ではない、愛を返してほしいと願う。けれど無償の愛を捧げることもできるのだ。好きになったからどんな扱いを受けてもいいからとも思えるだろう。しかしベルトルドの胸に飛び込んでは行けなかった。ベルトルドはほんの少しもアイラへの愛を抱いていないのだ。欲しいなら嘘をつけばいいのに馬鹿正直に愛がないと、他の男に抱かれても文句はないと公言する。


 「一人で戻れますからここで失礼します。おやすみなさい。」


 このままではいけない、泣いて無駄な問答を続けてしまいそうだ。せめて心の整理をしようとアイラは部屋に戻るために押し黙ってしまったベルトルドを横切るも、不意に腕をつかまれ引き留めらた。


 「いもしない神の花嫁になってどうするつもりだ?」

 「いらっしゃいますわ、見えないだけでちゃんと神はいます。このイクサルドに御使いが舞い降りたのをベルトルド様もご存じでしょうに。」


 現実主義なベルトルドからすれば神など存在しないのだろうし、いないといえばいないのだ。アイラも空を舞う天使がいるなんて本気で思っていない。

 かつては神殿に連なる神官たちが国王と権力を二分した時代もあったが、神の御使いである天使が王の元に舞い降りてより神殿の権力は衰退し信仰だけが残った。現在のイクサルドでは神よりも舞い降りた天使の方を信仰する力が強い。


 「あれは何百年も昔のお伽噺だ。実際に舞い降りたのは天使ではなく人で、背中には羽など生えてもいなかった。」


 五百年も昔に起きた国防に関わる危機に天使が舞い降りイクサルドを救った。伝承と共に絵本にもなり子供から大人まで誰もが知る信仰の対象は、かつてベルトルドが興味を抱いた出来事の一つだ。当時の国王により城内にはその天使に祈るための場所が作られ、現在は教会として残されている。天使と呼ばれる存在は背中に羽も生えていなかったし、空も飛ばないし血も流した。多くの人々を救ったのは医療に精通していたからだ。何もかもを奇跡と呼ぶのは、当時英雄と呼ばれた男と天使が夫婦となってより所在が知れなくなってしまったからと推察する。実際に文献にも二人が何処でどうしているかなど記されてもいない。本当に天使なら役目を終えれば天へ帰ったはずだ。そうしなかったのならただの人であり、事実を誇張しただけとベルトルドは結論付けた。 


 「罰当たりな方。」


 否定されるのはわかってわざと言ったのだ。意地悪く見上げれば少しばかり困惑したような表情のベルトルドを見れ、ほんの少しだけ胸がすっとする。


 「だからあれは信仰心の強すぎた当時の王が―――何を言っているんだ。存在しない具現化された信仰を論じ合うなど無駄な事をしてしまった。」

 

 強く握りすぎていると気付いたベルトルドが手を離せば、アイラは二度と捕まるまいと数歩距離を取る。


 「女性というものは感情を伴うものと分かっているのだが、合理的に考えてみてはくれないだろうか。」

 「嫌ですよ。そうしたらあなたの思う通りになるじゃないですか。」

 「別に嫌っているわけではないのだからそれでよいと思うが?」


 アイラが最も大切に思う領地の為にもなると漏らされ、我儘を言っているだけの子供のようだと非難されている気持にも陥る。


 「―――どこからその自信が来るんでしょうね。」


 本当に、嫌になるくらいその通りだ。好かれている自信はともかく、それが解るならどうしてアイラの主張を理解できないのかが不思議でならない。


 「簡単だと思ったのだが、君を得るのはなかなかに難しい様だ。問題を解決するだけでは許してもらえないとは意外だった。」


 さてどうしたものかといった感じでベルトルドは腕を組む。権力や身分を笠に無理矢理どうこうしないのは彼の良い所なのだろう。きっと相手が自尊心溢れる大貴族であったなら、馬鹿にされたと嫌がらせを受けるなり、無理矢理嫁がされるなりするのだろうがベルトルドにはその発想がない。また女性の好む言葉や態度で陥落させる方法をとろうかとも考えてはいたが、考えると胸の奥が重くなり実行を止まらせるのだ。そんな事をして得てはいけないという感情が何処からともなくやってきてベルトルド自身を悩ませる。そもそも事の発端であるシェルベステルとの小さな問答も、仕事というだけではなくどうしてだか寝室に二人きりにしたくないという突発的な衝動に駆られて抵抗してしまったのが原因だ。アイラの身の潔白を証明する人間が必要でベルトルドのとった行動は正しいのに、それは仕事というだけではなかったように感じる。事の問題であるシェルベステルとアイラが肉体的に情を交わす行為も、先ほどはよく解らない感情が湧き上がったのに、冷静な今なら王の情けを受けるのはアイラの為にもなると言えてしまうのだから難しい。


 「私はいったいどうしてしまったんだ?」


 どこか悪いのだろうかと、組んだ腕を解くと胸を押さえてから掌を見つめたベルトルドに、アイラはわざとらしいほど深く頭を下げてさっさと庭園を後にした。気付いたベルトルドが慌てて後を追ったものの、目の前の護衛対象が消えてしばらく気付けなかったなど初めての展開に動揺が増す。ベルトルドにとっては初めての困惑であった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ