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胸を枕に  作者: momo
本編
16/42

16 揺れる心



 弟で男爵位を持っているとしても、登城を許されているわけではないリゲルが城に留まれるわけではない。久し振りの再会も早々に切り上げ、リゲルとセシルは一年の婚約期間をもって来年の収穫期後に式を挙げることが決定した。すぐそこに迫っている冬では流石に早すぎるとのアイラの主張をセシルも理解してくれた。けれどさっさと嫁にやってしまいたい伯母は最後まで不満そうであったが、姉の言葉には素直に従うリゲルがそれでいいと頷き来年に決定する。


 それまでにアイラは領地に戻り、セシルにロックシールド男爵夫人としてふさわしい知識を与えるつもりだ。その頃にはきっとシェルベステルの不眠も解消しているだろう―――というのがアイラ独自の見解である。もしそうならなかった場合はどうなるのか。考えるだけで怖いのでそっと蓋をし、去っていく三人を黙って見送る。


 修道院行きを決めているアイラとは異なり、セシルからは嫁がねばならないという強い意思が感じられた。これまで機会に恵まれなかったとしても彼女の中には彼女なりの願望もあるにきまっているだろうに、アイラも含めこればかりはどうにもならない事柄だ。多くの妹もいるので出戻る訳にもいかず、何があろうと必死でロックシールドにしがみついてくれるに違いない。恐らく今の二人に恋などといった愛情はないだろう。それでもリゲルはセシルを気に入っているようなので、特に理由もないのに誰からも好かれる弟をセシルも気に入ってくれるはずだ。それにセシルには弟を大切にしてもらえるならそれ以上は強くは望まない。上手く盛り立て仲良くやってくれればいいのだから。



 「どうした。家族が訪ねてきたと聞いたが元気がないようだ。」


 いつもの通り訪れた王の寝室で、何かあったのかと手を握ったシェルベステルに問われる。いつも通りのつもりでいたアイラは少しばかり首を傾げた後に、思い当たるふしがあり苦く微笑んだ。


 「仲が良かったものですから寂しく感じているのかも知れません。」


 呆気なく調ととのってしまった弟の婚約。セシルは条件に合うまたとない相手だ。アイラも釣書の中では一番気に入っていたのに、心の準備ができる前に全てが決定してしまった。弟達を見送り、ベルトルドにはきちんと礼すらする間もなく務めの時刻を迎える。


 「何にしても別れるのは辛いものだ―――すまぬな。」


 寝転んで天井に視線を向けたままシェルベステルが詫びる。特殊な環境に生まれ育ったとはいえ、王は誰よりも信頼し大切に思う兄を自らの判断で死に至らしめた過去がある。そのせいで己を責め不眠に陥ったというのに、この場でそれを思い出させるような言葉を発したアイラは反省して笑顔を向けた。


 「弟の結婚が決まりました。とてもよいお相手をベルトルド様がご紹介くださいまして。喜ばしいことなんです。」


 姉と弟、ただ二人の家族が離れて過ごすことに申し訳ないと感じるシェルベステルに、アイラは励ますように、そして自分にも喜ばしいのだと言い聞かせるように言葉にする。


 「それは喜ばしい。私からも祝いを―――良いだろうか?」


 国王が田舎の男爵家に祝いを贈るような習慣はない。よほど懇意にしているならあるだろうが、今はロックシールドに王から何かを与えられるのは負担になるのだ。けれど何もかも断り続けている身としては、王の申し出をまたもや跳ね除けるのも申し訳なかった。


 「正直に申しましてロックシールドは貧しいです。ですから何かを頂けるのはとても有り難いことですけど、望めばきりがなく。それに今のままでも生きていけないわけでもありません。どうしてもだめだった時期はゴルシュタット侯爵家でお世話になりました。望んでばかりだと失った時はとても辛いものですし。」


 それに弟自身にも欲はない。田舎でのんびりといった生活がアイラの家系には向いているのだろう。領民の生活はまた別の問題だ。


 「私は其方に与えられてばかりだな。」

 「そんな事はありません。陛下はクリストフェル大公やエドヴィン様方と全てをかけて、それこそ命がけで悪政に悩むイクサルドの民を救う道を選ばれたのです。」


 当時のアイラは幼すぎて世界がどのような状況だったのか身をもって知らない。ある意味ロックシールドという場所は国境付近に位置する田舎で、もともと貧しい土地柄もあり極端な状況には追い込まれることがなかったのだ。だからこそ五百年近くも同じ土地で歴史を刻んでこれた。政変による影響があったとするならば城に出仕していた父親が捕らえられ、罪を裁かれ処刑されてしまったというだけで。対するシェルベステルは父である前国王と争い、一度でも間違いを起こせば謀反人として処刑されていたのである。それはシェルベステルだけではなく、現王に味方したクリストフェルやエドヴィンも同じだ。


 「そういえば陛下は父をご存じだったとおっしゃっていましたね。亡き父も陛下の役にたっているわたしを誇らしく思って下さるに違いありません。それこそ親孝行です。」


 それなのに何かを頂くなんてわけにはいかないと言えば、王は歯切れ悪く返事をする。


 「何かあれば力になる、遠慮なく申してくれ。私にとって其方はそれだけ大切な存在だというのは覚えておいて欲しい。さて時も過ぎた、そろそろ眠るとするか。」

 「ご配慮ありがとうございます。今宵もどうぞ穏やかに、お休みなさいませ。」


 シェルベステルが瞼を閉じるのに合わせマリエッタが部屋の明かりを落としていく。天幕が半分だけ下ろされた寝台はさらに暗く、優しく握った王の手が闇に染められていく様をアイラはじっと眺めた。


 最初に王と触れ合った時には労働で荒れた手をしていたのに、皮膚の硬さはあってもあかぎれの一つもなくなってしまっていた。前はセシルと同じような手をしていたのにと、どんどん遠くになっていく日常に不安を覚える。一人取り残されていく気分だ。


 翌日になるとアイラはさらに塞ぎ込むようになってしまった。気鬱を隠し弟の婚約に手を尽くしてくれたベルトルドに礼を言えば、人を使って整えさせたという。

 

 「どうしてセシル様を選ばれたのですか?」

 「君が気に入っている様子だったので。」


 首をかしげるアイラにベルトルドは、セシル=ビデーレの釣書だけしつこく触った跡がみられたのだと説明した。気に入ったか気に入らないかのどちらかなので、総合的に見たベルトルドはアイラが彼女を気に入っていると判断して話を進めたのだという。親を亡くし姉を頼ったリゲルの好みが年上と予想を立てていたので、アイラと同じ年齢というのも判断理由の一つになったのだ。ベルトルドの判断に間違いはなく、彼自身もそうだと確信しての行動だろう。


 「ありがとうございました。弟もとても気に入っているようで、ロックシールドにとってもとても良い縁談です。」


 これでベルトルドには大きな恩ができてしまった。思惑に嵌っていくのが怖くて黙り込むと、ベルトルドも口を閉じ沈黙が訪れる。


 ベルトルドにはアイラが塞いでいる理由がわかっていた。突然決まってしまった弟の結婚。婚約者として現れた娘は望むままの女性で跳ね除けることもできない。領地を離れ城に縛り付けられている現在、アイラが弟や領地の為に出来るのは今回の良縁を認めることだけだ。

 もともとはアイラ自身がロックシールドの為に物事を進めようとしていた。それを奪ったのはベルトルドで、けれどもアイラは奪われたとすら気づいていない。実際にアイラ一人で弟の伴侶を探せるかといえば無理だっただろう。だからこそ文句の一つも言えずに、有り難く受け入れるしかないのだ。

 急に決まった弟の結婚と、取り残されそうになる不安。このままいつまでも城に縛り付けられたなら、弟の嫁をロックシールドにふさわしい相手に育てるという役目すらなくなってしまう。きちんと教育を受けただけではなく、労働を厭わないセシルにはそれほど沢山の事を教える必要もないだろう。だからこそアイラは焦り不安に感じるのだ。


 そしてそうなるように仕向けたのはベルトルド自身なのだから、思うように物事が進んで満足している。満足しているのだが、ここから彼が踏み出すべき一歩に戸惑いを覚え、そんな自分自身にベルトルドは更に戸惑い疑問に感じていた。


 ベルトルドがするべき事は、居場所を失い塞ぎ落ち込むアイラを慰め心をとらえる事なのだ。アイラ自身にベルトルドを選んでもらうには彼女の心を手に入れる必要がある。それさえかなえばエドヴィンとの約束は果たされ、ベルトルドはアイラの胸に顔を寄せる権利が得られるのだ。それだけではない。近いうちに必要になる自身の妻であり、未来のヴィルヘルム伯爵夫人となるべき存在までも手に入るのである。身分に多少の問題があっても貴族でないという訳でもないし、傍系でもなく男爵家の直系の娘。領地経営にも精通し、騎士を続けるベルトルドが城に詰め側に居ずとも、堕落することなくしっかりと伯爵家を盛り立てていける貴重な存在だ。子は授かりもの故に確実とは言えないが、健康なのだけは間違いなく跡継ぎの問題も大丈夫だろうと予想される。


 だからこそベルトルドは塞ぐアイラに寄り添い、心を手に入れるべきだというのに。その方法もよく知っているのに、何故か手を出すことができない。相手は嫌悪するような身なりをしているわけでもないのに、どうしても嘘くさい言葉を並べて心を手に入れる行為に躊躇が生まれてしまったのだ。それが何故なのか、自分自身の事なのにわからないなんて深い驚きに支配される。同時にこのような経験をベルトルドに与えるアイラという存在に強い警戒心を抱いた。欲求を解消するために躊躇するようなベルトルドではなかったのに、アイラは何もせずにベルトルドの行動を妨げるのだ。彼女はいったい何者で、どういう存在なのだろうと胸を掻き毟りたくなる衝動が起きる。


 不確かな物に興味を示してしまったのだから仕方がない。絶対に答えが知りたくてたまらないという気持ちはしっかりとある。だからこそアイラが欲しくて動いているのだ。立ち尽くすベルトルドはグインに肩を叩かれ交代を告げられるまで、まるで親の仇であるかにアイラの背中を睨み続けていた。


 夕刻になり王の寝所へ行く準備を始めたアイラだが、元気のない様子に不安を感じたマリエッタにより医者が呼ばれ、診察を受けて疲労と診断された。


 日中に十分な睡眠をとっていても、規則正しい生活をしてきた若い娘にとって不寝番は辛い仕事だったのだろうと判断したエドヴィンは、シェルベステルの許しを得て今夜の仕事を取りやめにさせる。用事が無くなったアイラはごろんと寝台に横になるも、午前中は眠って過ごしたので睡魔が訪れるでもなく、また体自体はとても元気だったので暇を持て余していた。けれども心の方は変わらず塞いでいる。仕事がなくなってしまったので余計にだ。弟も領地も間もなくアイラを必要としなくなるだろう。そうしたら修道院に行くと決めていたのに、不用品となったような気分になって胸が苦しかった。いずれ王も一人で眠れるようになる。もしかしたら今夜あたり大丈夫なのではと、喜ばしい事なのに胸が騒いでならない。幼い頃に父と、そして母を失い、使用人には判断を迫られ、弟にとってはしっかりした姉であり母親でもある立場として接するようになっていた。それがアイラの普通でこれまで生きてきただけに、誰にも必要とされないでいることがこれ程に寂しいのだと気付いていてもたってもいられなくなる。


 気付いた時には部屋を飛び出し王の寝室前に立っていた。いらないと言われるのが怖かったのだ。王は、シェルベステルだけは真実の意味でアイラを迎えてくれる。ベルトルドのように目的が果たせられれば不要になり見向きもされなくなるわけではない。ベルトルドにとってアイラは王を寝かしつける原因を突き止める道具であり、自分が騎士職を続けるために必要な役目を果たしてくれる、いだく欲求を満たすだけの存在でアイラ自身を欲しているわけではない。けれど王は違う。眠れない恐怖は穏やかな睡眠が訪れようと心のどこかにあり続ける。王の不眠の原因である出来事は現実に起きた過去で、一生なくなるものではない。不眠が解消されアイラなしで眠れるようになったとしても、いつかその日が来た時の為に呼び寄せる存在としてシェルベステルはアイラを取り扱ってくれるだろう。医師も薬も学者でも駄目で、呪い師も役には立たない。王にとってアイラは身代わりとなれる存在がない唯一なのだ。


 不寝番が無くなったとはいえ護衛は必要だ。無言で後を追ってきたベルトルドを一度だけ振り返ると、アイラは扉を守る騎士に入れてくれるように頼んだ。


 時刻はすでに深夜を過ぎている。王の寝室の扉を守る騎士は眉を寄せながらも確認を取りアイラを中に入れてくれた。寝室に続く扉を開くと王は寝台ではなく机に向かい書付をしていて、アイラを認めると手を止め体を向けた。


 「今夜は来ない予定ではなかったか?」


 王の安眠を願う。けれど眠っていない王の姿に安堵して息を吐き出したアイラはその場に膝をついてしまった。


 「具合がよくないのであろう、無理をするでない。ベルトルド、彼女を―――」

 「陛下はっ、陛下にお眠りを!」

 「このような状態の其方に手を握られても心配で眠れるわけがなかろう。ベルトルド、彼女を部屋に送り届けよ。」

 「お願いです陛下―――」


 王の命令を受けたベルトルドの手が届く前に、アイラは側に寄った王の寝巻の裾を取り握りしめた。驚いた王の薄い茶色の目が見開かれる。


 「どうした、何があった?」


 流石に何かあったのだとシェルベステルも気付く。口には出さないが心を寄せる娘に縋られて嬉しくないわけがない。ベルトルドを避けようとする様子からも二人の間で何かあったのだと推察でき、ベルトルドに視線で問うもこの場で返事を求める訳にもいかず、王はアイラを立たせると自らの寝台に腰を下ろさせた。


 「ベルトルド、席を外せ。」

 「恐れながら、彼女の名誉の為にも残していくわけには参りません。」


 その為にベルトルドは護衛として王の寝所に入るのだ。今はマリエッタもいない。アイラの身の証明ができるのはベルトルドだけだ。


 「無体はせん。それに―――」


 王はゆっくりと立ち上がりベルトルドと真正面から向き合った。


 「私が彼女を抱こうと変わらず彼女に求婚するのであろう?」


 王はベルトルドがアイラに興味を示し求婚したというのを耳にしている。エドヴィンより報告も受けており、いかなる理由があろうとアイラを手の内に囲える権利を有するベルトルドを羨ましく感じていたのだ。だからこそわざと吐き捨てる。情による想いは自分の方が強いのだと、シェルベステルはベルトルドにそれでもいいのだろうと確認するように告げた。


 目の前で王に抱かれようと醜い嫉妬などしないと言い放つベルトルドにみすみす渡して良いものなのか。醜聞を避けるためには最も有効な処置であるし、貴族社会の婚姻としてはごく普通の事。けれど愛する女性を得たことがない、得られない立場にあるシェルベステルには、自分を含め、あまりにも身勝手で自己中心的な、アイラの心を無視したものだと苛立ちしか覚えない。


 「退けベルトルド。」


 答えないベルトルドに王が命令を放つ。静かだが王としての言葉にベルトルドは従う他なく、けれどどうしてもその一歩を退けることができずに立ち尽くす。王に逆らうのはリレゴ公爵家の人間であっても許されるものではない。解っているし出来ない行為ではないのだ。なのに動かぬ我が身にベルトルドはとても深い驚きに心を乱し眉を寄せた。そこへ割って入るかにして声が上がる。


 「陛下、申し訳ありません。今日のわたしはおかしいのです。どうか無礼をお許しください。」


 自分のせいでベルトルドが責めを受けていると気付き、アイラは慌てて二人の間に入り頭を下げた。王に頼ろうとするなんていったい何をしているのかと己を恥じる。ベルトルドばかりか国王までも巻き込んで本当に何をしているのか、どうかしていると涙目になり必死で謝罪した。


 

 

 




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