表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
胸を枕に  作者: momo
本編
15/42

15 婚約成立



 ベルトルドが見合い話をもってきてより一月ばかり過ぎた。季節は間もなく秋へと移り変わり収穫期を迎える。麦の刈り取りは終わったころだろうが、これからは冬越しに貴重な食料となる芋類の収穫が最盛期を迎えるのだ。アイラ一人が不在であっても労働力に大した差はないが、それでもないよりはあった方がいい。けれど帰宅の許しは出なかった。当然だ、ようやく眠れるようになり仕事も滞りなくこなせるようになったシェルベステルの方が、国境付近にある小さな男爵領よりも優先されるのだから。しかもアイラがいなくても領主であるリゲルが領民の力を借りながらそれなりにこなすだろう。それでも心配であるのは変わらず憂う日々を過ごしていたそこへ、マリエッタが仕立て人を従えやってきた。


 「えっ、何ですか。まさか花嫁衣裳とか言わないですよね?!」


 マリエッタはベルトルドとアイラが結ばれるのを願っているようでベルトルドの味方だ。騙されて教会で式を挙げる手筈になっていやしないかと思わず身構えると、それならよろしかったのですけれどとマリエッタは楽しそうにころころと笑った。


 「晩餐会のお衣装を仕立てるのですよ、宰相閣下よりお聞きになっておられませんか。」

 「晩餐会って陛下のお誕生日をお祝いするっていうのですよね? それなら聞きましたが、わたしなんかが出席できるわけがないとお断りを。」


 冬を前にシェルベステルは一つ年を重ねる。それを祝いに有力貴族が集い城では盛大な晩餐会が催されるのだ。宰相でありゴルシュタット侯爵でもあるエドヴィンは、領地から出てくるカリーネと一緒に出席することになるのだが、それに一緒にどうかと誘われた記憶は確かにあった。しかし王の側に侍っているとはいえアイラは下級の、しかも田舎貴族のしがない娘でしかない。そんな場所にとんでもない、それにドレスも持っていないと断りを入れていたのだが。


 「ですから閣下がお衣装を贈られるのですよ。」

 「社交の経験もないのに無理ですよ。失敗してエドヴィン様の評判を落としでもしたら後悔してもしきれません!」


 何処に出しても恥ずかしくないようにしっかりと教育は受けさせてもらったので、やろうと思えばできるだろう。けれど社交の経験は一度もないのだ。初めての社交場が国王陛下の誕生を祝う晩餐会など荷が重すぎる。


 「そうおっしゃられましても、わたくしも閣下より命じられてのことですしねぇ。それにお嬢様、閣下のご厚意をお受けした方がよいと思いますけれど。」


 確かにマリエッタに向かって言い訳や断りを入れてもエドヴィンの決めたことに従っているのだからしょうがない。文句ならもう一度エドヴィン自身にいうべきなのだが、マリエッタはゆるく両手を握ってエドヴィンに従うのはアイラの為にもなると主張する。


 「どうしてですか?」

 「晩餐会にはベルトルド様もご出席なさるのです。パートナーは従えずに毎年お一人で参加されていましたけど、あの方のことです。お嬢様を伴うおつもりで準備をなさっているかもしれませんよ。」


 もしそうなったらアイラは逃がしてもらえないだろう。晩餐会に未婚の男女が伴って出席すればどうなるか。周囲は二人をそのような関係=結婚するのだろうと判断してしまう。今現在ベルトルドからは晩餐会に関わる話を聞いたことがないが、アイラは嫌な予感に息を呑むと両の腕をまっすぐに上げ、マリエッタがつれてきた仕立て人の前に立った。


 「どうぞ好きなだけ採寸してくださいっ!」




 領地が気になりながらも目の前のことで手いっぱいのアイラを、ロックシールド男爵である弟が訪ねてきたのはドレスの採寸がされた次の日の午後であった。


 冬を前にした収穫期という大切で忙しい時期に、男爵である弟が領地を空けて訪ねてきたことにアイラは驚きを覚える。領主家族が不在の時に土地や民に何かあったらどうするのか。何かがあるわけでもないだろうが領主には領主の心構えというものがある。弟の行動を不満に思いながらも突然の出来事にアイラは不安を覚え、エドヴィンが用意してくれた部屋へと向かえば、そこにいたのは弟のリゲルだけではなかった。


 どこかで見たことのある面差しの、健康そうな若い女性と中年女性の同行者が一人。誰だろうと見覚えがあるのに思い出せない相手に首をかしげていると、「姉上!」と声を上げた巨体がアイラをすっぽりと覆い抱き潰しにかかる。


 「ちょ……リゲル死ぬしぬっ!」

 「会いたかったよ姉上っ!」


 やめてやめてと悲鳴を上げるアイラの声に、外で控えていたこの日の護衛であるグインがちらりと中の様子を窺う。すると熊のような巨体の男に抱擁されるアイラを認め、助けるべきか一瞬迷うも相手は弟というしまぁ大丈夫だろうと見て見ぬ振りで視線を外した。


 「手紙だけでは心もとなくて本当に心配していたんだよ。元気そうでよかった!」

 「折れるからっ、本当に骨が折れてしまうから離しなさい!」


 女性としてはごく平均的な体つきのアイラだが、弟のリゲルは見上げるほどに背が高く体も大きくて、体は労働で鍛えた硬い筋肉に覆われている。男女の差があるとはいえ本当に姉と弟なのだろうかと周囲からはみられるが、ごつい体をしていても顔はどことなく似ていたし、何よりも二人とも色素の薄いイクサルドでは珍しい漆黒の髪と瞳を持っていた。


 既に成人したとはいえ物心つく四つの頃に両親を二人とも亡くしていたリゲルは、二人きりの肉親であるアイラを母親であり姉であり恋人のように慕って大切にしている。世話になったカリーネの頼みとはいえ、王の側に姉を置き続けるのはリゲルからすると不満しかない。国の状態がよくなったとはいえ、反乱に巻き込まれ父親は牢にとらわれ命を落としたし、母親は父の死が原因で心を弱くし儚くなったも同じなのだ。大切な姉が欲望渦巻く場所で本当に無事ですごしているのか心配でならなかったのである。


 そんなリゲルの心情を察することはできるのだが、可愛い弟から肉体的に与えられる痛みは命の危険を伴った。殴る蹴るの抵抗を見せようやく解放されたアイラだが息も絶え絶えだ。はぁはぁと全身で息をするアイラを心配そうに若い女性と伴われた中年女性が眉を寄せ見ている。


 「お見苦しい所をお見せてして申し訳ありません。アイラ=ロックシールドです。」


 腰を落とし綺麗な礼をとると、二人も慌てたように礼をとる。その隙に乱れた髪をなでながら姉に会えた喜びに頬をほころばせている弟を睨み付け促した。


 「セシル=ビデーレ嬢と付き添いの伯母上ナターシャ様だよ。姉さんの薦め通り結婚することにしたから。」

 「薦めって……けっ結婚?!」


 驚いたアイラは声をあげ慌てて口元を押さえる。顔を上げた二人が訝しげに様子を窺いだしたので、アイラはリゲルの腕を引っ張ると部屋の隅に移動しどういうことかと詰め寄った。


 「姉さんのお気に入りだからってベルトルド=リレゴ殿がご紹介してくれたんだ。こんな条件のいい人がいるなんて驚きだよ。初めは詐欺かなんかだと思っていたら彼女と伯母上がロックシールドまでおいで下さって。彼女も僕を気に入ってくれたっていうし、収穫期が終わる冬には式を挙げるつもりなんだ。」

 

 どうしたの、姉さんのお薦めなんだよねと無邪気に笑うリゲルを前に、アイラの全身からは血の気が一斉に引いた。


 あれだ、思い出した。ベルトルドが持ってきた見合いの釣書にセシル=ビデーレという名があったではないか。全部返却した後はこの件に関して梨の礫だったのでそのまま放置しいてたのだ。本当ならあの中から弟の嫁として選びたかったのだが、率先してお願いしては自分に火の粉が降りかかりそうなのでしぶしぶ返却して終わっていたあの事柄だ。なんということだろうとアイラは二人を振り返る。冬には式を挙げたいだと? 伯母上はきょとんと目を丸くし、当のセシルは不安そうに眉を寄せていた。


 どうやらベルトルドはあの中からセシルを選び勝手に弟の元へと送り込んでいたらしい。セシル=ビデーレのことは釣書を隅々まで幾度も読み込んだのでちゃんと記憶していた。

 

 歳はアイラと同じ十九で、子爵家に縁の傍系貴族だ。爵位はなくともそれなりの教育は受けている。何よりも八人姉妹弟の長女で、妹が六人、最後の最後に幼い弟が一人いるという。真っ先に嫁に行かねば下の妹たちも嫁にいけないという年功序列状態であるのに、アイラと同じ十九のぎりぎり適齢期になっても嫁の貰い手のない女性。顔のつくりは平凡だがそのせいで嫁にいけないのではなく、子だくさんの家を助けるのに働くのが先に立ち、また彼女の実益を兼ねた罠を使った漁に近い釣りが趣味というのもあって男性からは敬遠されていたと思われる。


 下に妹弟が七人いて働き者。ロックシールドには漁をするような湖はないが川はある。狩りはしないだろうが魚が捌けるなら野山で捕まえた獲物を処理するのにも慣れてくれるだろう。彼女も後がない、嫁に来る気があるなら畑仕事も頑張ってくれるに違いないと、目をつけていたあのセシル=ビデーレがどういう訳かベルトルドに選ばれ、リゲルもお気に召したらしく今アイラの目の前で不安そうに立っている。


 「あの……突然のことに驚いてしまいまして。セシル様も伯母上様も驚かれたでしょうけれど、失礼な態度をどうぞお許し下さい。」


 取り敢えず話をせねば。ここまで来ておいてこの態度、逆の立場なら悲しすぎるとアイラは二人に心から詫びて席をすすめた。何がどうなったのか詳しくは会話の中で探っていこうと胸を押さえる。結婚するという弟の言葉を聞いてかなり動揺してしまっていた。


 「初めましてお義姉様、セシルでございます。」

 「父方の伯母にあたります、ナターシャでございます。この度は良縁をいただいてほっとしておりますのよ。」


 中肉中背の、中年らしい体つきのナターシャは結婚は既に決まったこと、ここで覆すのは許さないとでも言いたげに、和やかに微笑みながらも目が少しも笑っていない。これは敵意丸出しというわけではなく、なにがあっても長子として生まれたセシルを嫁にやるのだと決めている感じだ。後が控えているだけに意気込みは理解できるが、嫁ぐセシル自身はどうなのだろうと、アイラは自分の身に置き換え案じることで動揺を押さえようとする。


 「リレゴ公爵家の方によるご紹介です。釣書も拝見いたしましたが、セシル様はロックシールドにとって望ましい女性だと感じております。」

 「弟の嫁は次々と女ばかりを産み落として。ようやく男子が生まれたのですがそれまでに女ばかり七人も。放っておかれたセシルはまるで男のように育って肌も焼けて少しも女性らしくないように見えますでしょう? ですがこれでも本当に心根の優しい娘で、妹弟の面倒もよくみる働き者の良い子なのですよ。」


 母の悪口を言われたからだろう、セシルからは「伯母さんっ」と諫める声が上がるが、ナターシャはセシルを売り込もうと口を閉じない。


 「お屋敷の周りの畑も見せていただきました。土いじりは未経験ではありますが器用な子なのですぐに覚えますわ。人付き合いも得意ですし領民との距離もあっという間に近づいて、お義姉様に代わり誰からも慕われる男爵夫人になります。」


 後はすべてセシルにお任せ下さいと豊かな胸をたたくナターシャに、アイラは複雑な心境を抱きながらも心を隠して微笑みを返した。


 「弟が決めたのであればわたしからは何もありません。セシル様―――」

 「はっ、はい!」


 膝をナターシャからセシルに向けると大きな返事が返ってくる。緊張してるのだろう。相手は男爵家、緊張するような身分でもないのだが、ふんぞり返られるよりはいいと、アイラは膝の上で固く握られたセシルの手を取って観察した。働く者の荒れた掌だ。セシルは恥ずかしそうに俯くが、少し前までは同じようだった自分の手を思い出し嬉しくなる。


 「弟は少しばかり子供っぽい所がありますが、あなたさえ良ければ嫁いで支えてください。どうかよろしくお願いいたします。」

 「お義姉様そんなっ。リゲル様はとてもお優しいです。あのっ、こちらこそよろしくお願いしますっ!」


 立ち上がると深々と頭を下げたセシルに「よろしく」と頷く。アイラの隣では彼女ならアイラも気に入ると思ったんだと、女たちの心の内などまったくおもんぱかれない陽気な弟がケラケラと笑っていたので、アイラがキッと睨み付けると意味が解らなさそうに首をかしげていた。


 「あなたが幸せになれるのならとても良い事だわ。」

 「なに怒ってんだよ。」

 「呑気でいいわねってことよ。いいわねリゲル、これからは一人じゃないんだからしっかりと頑張るのよ。」

 「もともと一人じゃないよ、姉さんも一緒じゃないか。これからだってそうだろ?」

 「リゲル―――」


 この弟は本当に何もわかっていないのだろうか。セシルがロックシールドに嫁ぎ女主人としてやって行けるようになればアイラは邪魔な存在になるのだ。同じ年齢で近しい立場にあるセシルの方はきっと理解しているし、隣で存在感を漂わせているナターシャに至ってはお任せくださいと胸まで叩いた。嫁がぬ姉がいつまでもいたら迷惑だというのを匂わせているからこそセシルも肩身を狭くしている。ここでアイラが駄目だと声を上げれば、姉思いの弟はそれに従うと解っているのだ。


 「そうね。わたしは何時までもあなたの姉には変わりがないわね。」

 

 どこで何をしていようとアイラはリゲルの姉だ。


 さてこれでベルトルドの突きつけた問題の一つが解決したことになる。アイラはうすら寒いものを感じつつも、心配そうに見守るセシルに笑顔を向けておいた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ