14 お見合いばなし
不寝番後の睡眠を終えたアイラは昼前に寝台を出る。近頃ではシェルベステルの手を握るのにすっかり慣れてしまったせいで、王の許しにとんでもないと遠慮しながらもうつらうつらし、終いには寝台に頭を預けて眠りこけるという日も多くなっていた。ベルトルドやマリエッタは一睡もせずに仕事をこなしているのに。三人の中で一番若いはずなのに疲れのせいもあるのか、王の寝台に添いじっと動かずに一晩中起きているのが難しくなってしまっていた。
「このままじゃ駄目よね。」
アイラの緩んだ気持ちもだが王自身もだ。いずれはアイラなしでも眠れるようになってもらわなければ流石に困る。アイラとて何時までもここにいる訳にはいかないのだ。シェルベステルは寝入った間も硬く握りしめた手を離してはくれない。まずは寝入った後に手を離すことろから始めて行くのがいいだろうか。エドヴィンに相談してみようと着替えを済ませ、食事に出ようとした所で荷物を抱えたベルトルドが訪ねて来た。
「一人に絞る必要はない。気に入った女性がいたなら複数選んでくれ。決まったら私が総合的に判断し話をまとめよう。」
目の前に並べられたのは厚い革張りの表紙に綴られた肖像画と釣書。お見合い用の物だがどれもこれも十代と思しき若い女性ばかりだ。
「なんですかこれ?」
どうしてこんなものをと、テーブルに並べられた釣書を開いた状態でベルトルドを見やれば、不快そうに眉を寄せる。
「馬鹿は使いやすいので嫌いではないが、君に馬鹿でいられるのは困る。それとも何かの冗談か?」
「面と向かって馬鹿と罵られるのはいい気分ではありませんので止めて下さい。冗談かと聞きたいのはこちらです。わたしにこの女性たちとお見合いしろとでも?」
口にした途端アイラははっとして目を見開く。空いた扉から何が起きているのだろうと、グイン=カリエステが興味深気に覗いているのが視界の隅に映るが構う余裕はなかった。
「まさか弟にですか?!」
「他に誰がいる。」
当然だとベルトルドは肖像画にはかまわず釣書だけを開いて並べ始めた。
「君との婚姻についてゴルシュタット侯には許可をいただいた。しかし既成事実は不可で君の了承が得られるのが条件だ。君の了承を得るためにはまず弟君の結婚、そして嫁いだ女性にはロックシールドの生活をこなしてもらう必要がある。残るは陛下の問題か。」
「修道院はっ?!」
冗談はやめてほしいと修道院行きを主張すれば冷たい視線に一瞥された。
「私が君を妻にすると決めたのでね、俗世を捨てるのは諦めてもらう。」
「あなたにそんな権利はないはずです!」
リレゴ公爵の次男だがアイラとの繋がりはシェルベステルに関わる事のみ。護衛をしてもらっているがアイラが望むのもおこがましい天に近しい身分の人間。本来ならベルトルドがアイラなどを目に止める奇跡など起きやしなかったはずである。確かにロックシールド男爵家などリレゴ公爵家がくしゃみをすれば肺炎で死んでしまうような立場だが、それでもベルトルドにアイラが修道院に入るのを拒む権利はないはずだ。きっとリレゴ公爵とヴィルヘルム伯爵も下級貴族の田舎娘を息子の嫁として認めはしないだろうと、ベルトルドを取り囲む状況を知らないアイラは常識をもって想像する。
「君が頷けば得られる権利だ。私は必ず君を頷かせるよ。」
「頷きませんからっ!」
公爵も伯爵も認めないだろうがベルトルドの強引さに嫌な予感しかしない。有難いことにこの場においてアイラの後見が話の通じるエドヴィンでよかった。頷きさえしなければベルトルドに娶られるのは避けられるのだから。
「不毛な問答は終いだ。さぁしっかり釣書を読んでくれ。着飾るしか脳のない貴族女性と異なり、どの女性も明朗快活で破天荒な経歴の持ち主だ。しかも教育はきちんと受けている。ロックシールドの女主人になる要素は十分だと思うが?」
「それはっ―――まぁ、本当。確かに……この女性なんて友達が領民ばかりだっていうのは興味が引かれますね。」
驚きのあまりついていけないが、釣書に記された内容にアイラの頭が冴えて行く。流石というべきか、深窓のご令嬢と呼ばれる類いの女性は一人もおらず、身分に固執せず天真爛漫そうな内容がアイラの目を惹きつけた。誰も彼も十七のリゲルに釣り合う年齢で、下は十三から上は十八まで揃っている。けれどごく一般的に言うなら隠しておきたいような内容ばかりだ。特に得意が木登り皿洗いなんて知られるのは、労働を嫌う貴族社会からは蔑まれ嫌がられる内容である。アイラとしては利発よりもこらえ性があり努力家で、無駄遣いを嫌う質素な女性がロックシールドの女主人には向いていると思っているのだが。そして何よりも健康で頑丈なのがいい。
「ベルトルド様もこの中からお一人選ばれてはいかがですか?」
「アイラ嬢、私は冗談で貴方に求婚しているのではない。本気の想いを茶化すのは如何なものかと思うが?」
「お気を悪くされたのなら謝ります、ご無礼をお許しください。けれどその求婚が相手に迷惑だとはお考えになられはしませんでしたか?」
「ロックシールドにとっても陛下にとっても良縁だと思うが?」
確かに言葉だけならその通りなのでアイラは口答えできずに言葉を飲んだ。そこでようやくこちらの様子を窺っているグインに目を向ける。扉の外を守りながら二人のやり取りを探るべくしっかりと聞き耳を立てているのが解り、アイラは恥ずかしさからほんのり頬を染め俯いた。それを目ざとくベルトルドが捉える。
「彼に助けを求めても無駄だ。カリエステは面倒事に首を突っ込むのを嫌う質だ。」
「別にカリエステ様に縋ろうなんて思ってもいませんよ。そういう関係でもありませんし。」
そんなつもりはないのだが、いざベルトルドが姿を消すと仕事中のグインを手招きしてしまう。グインも迷う様子を見せたものの、ベルトルドが持ってきた見合いの女性たちがいかなるものか興味がわき、扉を開けたまま部屋に入ってきた。
「どう思います?」
肖像画を開いたグインに釣書を差し出すと、文字を目で追ったグインが眉を寄せてアイラをまじまじと見た。
「君もこのような生活を?」
「ロックシールドは貧しい領地です。土地を開拓したり道を作って隣の国から都への近道を作れば商人たちから通行税も取れるのでしょうが、何しろお金がないので。屋敷の周囲は全部畑に変えて自給自足ですから、土を耕せる彼女なんてとてもいい感じなんですよね。」
釣書の女性は趣味で作物の品種改良も行っていた。自ら畑を耕し土を作る。種を植え収穫までの世話が楽しいのだと直筆の手紙まで添えられていた。いったいこれをベルトルドはどうやって手に入れたのだろう。
「ごく一般の貴族からすると敬遠されるが―――弟君はおしとやかな女性が好みとかいうのはないのだろうか。」
領地のためとはいえまるで好みから外れる女性を妻に迎えるのは苦痛にもなる。趣味が釣りと記された釣書で目を止めたグインは、それとなく貶さぬよう訊ねるも、アイラは大丈夫だと大きく頷いた。
「成人しても弟はまだまだ子供で。一緒に畑仕事をすれば泥団子をぶつけて遊びに誘ったり、邪魔なので机仕事に追いやれば、まぁ真面目にはやるのですが、その後もまた狩りや木登りを。あ、木登りは実をとるのに重宝するしわたしも得意ですからいいのですけど、それを女性にも求めるような弟なので。きっと普通のご令嬢より変わった方の方が好みなんじゃないかと。」
領地に置いてきた弟を思い浮かべる。成人しても本当に子供なのだが、狩だけは古参の猟師に劣らぬ腕前を持っている。体も見上げるほど大きくなったが、それでもアイラからすれば小さな弟で、だからこそしっかりしたお嫁さんが欲しい。体が大きくなっても子供っぽい所もあるが不思議と誰にでも好かれる弟だ。相手の女性も受け入れてくれるだろう。
「成程ね。だとするとベルトルド殿が持ってきた見合いはどれもこれも最適というわけだ。いったいどうやってこのような情報を仕入れたのだろうと疑問だが、君を手に入れる為に動いたのは間違いない。」
「わたしを手に入れる為―――」
確かにアイラを手に入れる為に動いたのだろう。アイラの為ではなく、ベルトルドの欲求を晴らすために全力を注いでいるのだ。集められた女性たちの釣書を見てもその本気度が伝わってくる。親たちは娘の醜聞を隠すのに必死になるところだ。それをこのように露見させ釣書にしたためさせるのだから、本当にどうやって仕入れてきたのか疑問ばかりだった。
「ここまで本気になった彼から逃れるのは無理だな。どうしてもベルトルド殿との結婚が嫌なら諦めて別の主張をした方がいいと思うが?」
「別の主張は……」
アイラは並べられた釣書に視線を落とした。これだけロックシールドに有益となるであろう女性たちの釣書は二度とお目にかかれないだろう。一人二人ではないのだ。これだけ集めるのにどれほどの手を尽くしてくれたのか。ベルトルドが自ら動いてしてくれたことには変わりない。彼はアイラが結婚できないと主張した理由を一つずつ、本気で壊していこうとしている。
「彼自身が嫌なのは十分理解できるが、この話はロックシールドからすると良縁だ。それをこれほど拒絶する君も私には理解できない。君自身に口外できない大きな問題があるならさっさと白状しておいた方がいいと助言するよ。それがあったとしてもベルトルド殿の事だから既に把握しているだろうけどね。」
ロックシールドに有益な見合い相手を多数紹介してもらい、良い所取りでさよならという訳にはいくまい。弟がこの中から妻を得て、領地経営に問題が無くなり王の不眠が解消された暁には、自分はいったいどうするのだろうか。ベルトルド本人もだが、グインもいうようにベルトルドとアイラの婚姻はロックシールドにとっては良縁以外の何物でもないのだ。ベルトルドの実家である公爵家と彼が継ぐ伯爵家にとっては何の益にもならない、もしかしたら害になるかもしれないが、それでもロックシールドにとって良縁なら、領地の繁栄と弟の為にも貴族の娘らしく、有り難くお受けするのが筋だというのに。
「興味があるのはわたしではなく謎だけなのよね。」
その謎が解けてしまったら―――心の奥深くに渦巻くものが何なのかをアイラは知っている。醜く自分勝手な感情はとても恥ずかしくて隠し通したいものだった。けれどそれが表に出る時が近づいて来ているをの確実に感じて、釣書を持つ手に力が籠る。
「アイラ嬢?」
黙り込んだアイラをグインが心配そうに覗き込んだ。彼はベルトルドと異なりごく一般的な女性に優しい普通の騎士だ。いかなる感情を持っていようとも落ち込んでいる女性を前にすれば心配するし、泣いている女性がいたなら優しく慰めてやれる。本心ではアイラを王を惑わす悪女と思っていたとしても、騎士として女性に対する態度はきっちりしているのだ。
そんな表向きな態度とベルトルドの何が異なるのか。ベルトルドは正直で、正直すぎるから考え込んでしまうのだろうか。ベルトルドが自分の欲を隠して初めからアイラに優しく、騎士の手本のように淑女として扱っていてくれたなら、彼の求婚に戸惑いながらもころっと騙されて手を取っていたのかもしれない。
アイラはなんでもないと首を振って釣書を置く。手を出すのが恐ろしくもあるが、ベルトルドが弟の為に持ってきてくれた見合い話は良い条件ばかりなのだ。彼女たちにとってロックシールドは嫁ぐのに好条件とは言い難く、これを蹴ってはリゲルが嫁を得る機会を一生失ってしまうかもしれない。
「一つわかったのは、カリエステ様のような一般的な方はわたしを選ばないということですね。」
釣書を読んで顔を顰めるグインはこのような生活をしている女性を妻には望まないだろう。恐らくそれが世間一般だ。そうすると釣書の女性たちも嫁ぎ先に恵まれず困っているに違いない。もしくはアイラのように修道院行きを決断している女性もいるだろう。ベルトルドの行動はそんな女性の一人を救うことにもなるのだろうか。アイラも結婚を望んでも本当のことを釣書に記せばもらってくれる先があるかすらわからない。そんな風に考えていると、言われたグインは少しばかり戸惑ったような仕草を見せたので、アイラは何だろうと首を傾げた。
「わたし何か変なことを言いましたか?」
「いや、そうではない。ただ……君が王の愛妾と思い込んでいて悪かったと思っただけだ。」
「違うって言ったのに信じてくれてなかったんですか?」
見知らぬ相手でもなく、これほど近くで護衛されているのに未だにアイラが王の愛妾だと思い込んでいたとは驚きだ。もし本当にそうなら愛妾らしく王からの贈り物が届いたのを目撃したり、女の我儘で周囲を巻き込み騒動の一つや二つ起こしていてもいいだろうに。それらしく見繕ってはいるが普段着ているものも城に上がる人間としてはけして良い品ではない。
「まぁ、そうだな。だが先日パリス妃の件が起きたときの陛下の態度で違うと知った。」
王の方には気持ちがあるようだが、アイラに至っては甘さと言うものがまるで見受けられない。側妃を目にしても嫉妬や羨みの一つもないのでは、完全に何もないと流石に解る。
「君は恐らくだが、とてもいい性格をしているのだと思う。陛下もそこを気に入っておられるのだろう。実家の都合で労働に精を出すのを恥と感じる必要はないし、私も君が畑仕事をしていると聞いて驚きはしても、鄙者と蔑んだりはしない。今では反対に健気な女性と感じている。」
しっかりしているのは幼少期に親を失ったせいだ。カリーネの手を借り教育を受け成人させてもらったが、周囲に気を使い、特に弟や領民のことは何時も気にしていた。
「だからとて君に惚れるわけではないが。」
「誰にだって趣味はありますもの。」
言外にわたしも同じだと告げれば、意味を正確に理解したグインは面白そうに口角を上げた。真面目な彼にしては珍しい表情にアイラも同じように返すも、すぐさまへの字に曲げる言葉をグインが口にした。
「弟君の件が片付けば次は君か。人間あきらめが肝心ともいう。ベルトルド殿で手を打っても君なら上手くやって行けるだろう。」
王を手懐けるだけではなく、あのベルトルドの興味を一身に引き付けるだけの女性なのだ。一般人にはそれほどの魅力を感じ取れなくともアイラにはそれだけの物がある。そう力説するグインの言葉にアイラの気分は一気に沈んだ。
「ですからっ。あの方の本当の興味はわたしではなく、陛下を眠らせた偶然を謎と勘違いしている所にあるのです。」
「それを含めた君なのだろうに。まぁ私がベルトルド殿の肩を持ってもしょうがない。全ては君が決めることだからね。」
ぐっと腹に力を入れた拍子にお腹が鳴る。沈黙が訪れた一瞬後、腹が空いたなら食堂へ行くかと誘われ、アイラはベルトルドが来る前にしようとしていた事を思い出した。