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胸を枕に  作者: momo
本編
11/42

11 抜刀



 突っ立って側にいるだけでは何も解明しない。まずは基礎から学ぶ必要があると、ベルトルドは人を使いロックシールドへと送った。当然アイラを調べるためだ。記録として手元にあるのは両親の死と、それにまつわる跡目争い。領地を狙って遠縁を名乗る男が五歳のアイラに結婚を迫り、それを使用人の伝手でエドヴィンの妻カリーネが救ったというものだけだ。


 調べにやった者がロックシールドで得た情報はベルトルドに新たな益をもたらすものとなった。アイラが領民の子供たちを寝かしつけているというのは、誇張も何もないそのままの事実だったのである。

 貴族の女性としては絶対に有り得ない行動だったが、男爵家の内情からすると致し方ないようにも思えた。カリーネの元で教育を受けた以外は貴族というよりも庶民に近いのだ。下男下女の仕事も率先してやるし領民との仲も良好で、淑女の嗜みではなく仕事として没頭しているレース編みの技術は、国内でも最上級品として取り扱われている代物だ。


 カリーネが付けてくれた家庭教師に習ったおかげで、女の身でありながら狭い領地を最大限に活用し上手く経営をこなしていた。当時の家庭教師に裏を取れば、男爵家を継ぐリゲルよりも格段に領地経営の才能があったという。無駄を嫌い社交界には一度も出席した経験はないが、ベルトルドにとってそれはどうでもよいこと。自分も社交は苦手だが公爵家の次男として生まれ育ったお蔭で顔は広い。そもそも社交界にばかり精を出され妻に浮気をされる夫は数知れずいるのだ。ベルトルドは宮廷勤めを楽しんでいる。そもそも騎士を辞めるつもりがないので好都合だと考えている我が身に気付く。


 そう、調べてみるとベルトルドにとってアイラという存在は好都合だったのだ。


 ベルトルドに必要なのは爪を研ぐ事しか脳のない美しい妻ではなく、慎ましやかに育っただけの深窓しんそうのご令嬢でもない。夫の不在にも臨機応変に対応し、祖父から受け継ぐ領地を堅実に守ってくれる存在だ。


 何しろベルトルドは生涯騎士としての職を全うし続けるつもりであるから、領地経営ができる妻は喉から手が出るほど欲しい存在だった。ただ今までそんな女性がいるという常識がなかっただけに探そうともしなかったが、まさか向こうから舞い込んでこようとはなんたる幸運。この機を逃すつもりはないとファリィの手紙の件を放置し成り行きを見守った。

 

 相手が真面目なグインであったため大事には至らなかったが、王の寵愛を受ける娘を利用しようと目論む輩であったり、手紙を信じてアイラに不埒な行動に出る輩が出てくる可能性を示唆すれば、王はベルトルドの予想通りアイラを後宮に入れ男の手から守ろうとした。王直々に後宮入りの話をもちかけられることにより、男爵家という貴族位では最も低い地位の令嬢は恐れを成す。彼女が側妃になってどうのこうのという野望を抱いていないのは承知していたので、ここで手を差し伸べれば乗って来る他ないと思っていたのだが……


 「これほどの好条件はなかなかないと思うが?」


 どうして乗ってこないのか。乗って来るどころか全力で否定されている気がするのは勘違いではなさそうだと、ベルトルドは腕を組んで難しそうに眉間に皺を作った。


 「好条件過ぎて怪し過ぎるんですよ。それにベルトルド様はわたしをすすすっ……好きだとかってわけでもないでしょう!」

 「貴族の婚姻は条件で成り立つのが普通だ。愛し合ってなど奇跡に近い。」

 「確かにそうですけどっ、唐突過ぎてお返事できません!」

 「私は君の秘密が知れればいかなる答えでも受け入れるし、貞淑な妻となり家を守ってくれるならけして蔑ろにはしないと約束できる。今宵陛下が後宮にお渡り問題がないなら明日にでも話をするつもりだ。」

 「はぁっ?!」


 冗談じゃない。王はともかくエドヴィンなら良縁と喜んで受けてしまいそうだ。なにせベルトルドの肩書はアイラが望んでも妻になどなれないほどに素晴らしいもので、アイラの望み通りロックシールドにも有益に働くと思えるからだ。


 「ロックシールドの為にも領民の為にもなる。それに君は私が嫌いではないだろう?」

 「それはっ―――!」


 変わり者だと思うが嫌悪する程の対象ではない。思わず言葉に詰まったアイラにベルトルドは嬉しそうに微笑んだ。


 「なら決定だ。祖父も喜ぶよ、ありがとう。」

 「えっ、あのちょっとっ!」


 話はこれで終わりと勝手に終了したベルトルドは楽しそうに扉を開いて部屋を出て行く。いつの間にか部屋の前にはグインがいて、中から出てきたベルトルドを認めるとぎょっとして目を剥いた。そして室内にいるアイラと目が合うと微妙な視線を向けられる。変な誤解をされたに違いないと、アイラは深い溜息を落としてふらふらと椅子に腰を下ろした。急なことが重なったせいでこちらが不眠になりそうだ。 


 シェルベステルの宣言通り、この夜アイラが王の寝室に呼ばれることはなかった。マリエッタは『少し変わった所があるけれど実直で真面目な青年』だからと嬉しそうにベルトルドを誉めそやす。公爵家の次男としてのベルトルドはかつて大変にもてたらしいが、堅苦しいほど真面目で真っ直ぐ過ぎるのを知るや否や、寄ってきた女性たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまったらしい。それもそうだろう。好かれようと美しく化粧して現れた女性に『あなたの様な顔はいくら繕っても見苦しくなるだけ』とか、『化粧の腕は神がかりで元の姿を垣間見ることができない』とか、正直に口にしていては誰でも逃げ出すに決まっていた。

 

 そういえばアイラ自身は罵るような言葉は使われなかったなと思い至り、やはりベルトルドの興味は王を眠りに誘う不可思議な現象にだけあるのだと思い至る。結婚さえしてしまえば、結婚まで行かずとも婚約さえしてしまえば同衾しても世間体を繕える。王を眠らせる秘密が何であるのかを知りたいベルトルドは、アイラに求婚することによって検証の手段を手に入れようとしているだけなのだ。愛や恋といった感情があるわけではない。調べてみて結婚してしまっても邪魔にはならない程度の存在と気付いたらしくやる気を出してはいるが、アイラにとっては迷惑千万。冗談じゃないと蹴りを入れたい所だが、身分的にもロックシールドの人間としてもそれは駄目だ。


 これまでベルトルドの愚行を止めてくれていたマリエッタも、行きつく先に結婚の文字さえあれば彼の味方をするらしい。前回はよかったが今回は訳が違う。寝台に潜り込まれ朝を迎えてしまえば、たとえその事実がなくてもベルトルドに責任を取られてお終いだ。既成事実を作られてはアイラの将来設計が丸つぶれではないか。後宮入りを凌いだと思えばこれだ。まったく運が悪いとアイラは頭を抱え、陽が暮れ眠る時間になるとアイラは身の危険を感じて部屋を抜け出した。抜け出したと言っても護衛はつかず離れずアイラの後をついて来る。幸か不幸か今夜はベルトルドではなくグインだった。わりと切羽詰まり焦っていたアイラはくるりと身をひるがえすと後をついて来るグインを強く睨みつけた。


 「ベルトルド様がとんでもないことを考えついてしまったんです!」

 「それはご愁傷さまです。ですが常人にとってとんでもない事でもあの方にとっては通常ですので。」


 頼れる者がいない状態でどうしようもなく、感情に任せ怒鳴りつけるように言い放てば冷静に返される。


 「わたしはどうすればいいのでしょう?」


 同じ騎士としてアイラよりもベルトルドを知っているであろうグインに訊ねるが、無情にも首を左右に振られた。


 「人生が狂わされてしまいそうなんです!」

 「そうですね。ならば陛下にご相談されては?」

 

 グインの中で王の愛人説は払拭されていないらしい。王の言葉ならベルトルドも従う他ないだろうが、安眠を求めるあまり側妃にと望まれている現状があるせいでそれだけはできない相談だ。


 「本当になんとかならないかしら。カリエステ様にお伺いするのもどうかと思いますけど、何か他にベルトルド様が興味を抱かれるような事柄をご存じありませんか?」

 「凡人にあの人の考えを読み取るなんて無理ですよ。彼が本気で貴方に興味を持たれたのなら尽きるまではどうしようもないと思います。」


 グインの言葉にこれは放置しておけないとますます不安になる。夜風に煽られ身震いすれば、ふと周囲が何やら騒がしいと感じて辺りを見回した。どうやらグインの方はアイラより早く気付いていたようで腰の剣に手を伸ばしている。何か物騒なことがあるのかと更に不安になり自ずとグインに身を寄せれば、邪険にされる事無く守るように背に庇われた。


 「何でしょうか?」

 「―――陛下に何かあったようですね。」


 剣から手を離したグインはアイラを見ずに建物の中を注視している。彼もベルトルドの様に耳がいいのかも知れないと、邪魔をしないよう口を噤んで息を殺し見守った。


 「部屋へ送り届けます。」

 「陛下の所へ行かれるのならわたしも一緒に。」

 「何があるのか分からないというのに、陛下の想い人たる貴方を危険に曝すわけにはいきません。」

 「でも送ってもらっていると時間がかかります。本来のあなたは王を守る近衛です。わたしなら大丈夫、逃げ足だけは早いので心配無用です。それに陛下に何かあったのならわたしも気になりますから。さぁもたもたしてないで行きましょう!」


 今宵は後宮へ赴くと疲れたように言っていた王が気になった。シェルベステルはアイラに嫉妬する後宮の女性たちを黙らせるために赴いてくれたのだ。グインが視線を向けて様子を窺っていたのは後宮がある方角なので嫌な予感が過る。アイラの言葉にグインは迷いながらも、本来は王を守るべき近衛の任に付く身。何かあるようなら問答無用で部屋に送り届けると言いながら早足で向かい、アイラも後れを取らずについて行った。


 後宮への入り口は不届き者が入り込まぬよう女性の騎士が二人で守っている。彼女らは近衛であるグインを見知ってはいるが、例え近衛であろうと王と共にでなければ後宮への入室は許可されない。アイラは女性ではあるが後宮の住人でも、まして側妃方の侍女でもないので当然阻まれる。だがちょうどそこへ現れたのがパリス妃の侍女ファリィだった。ファリィは可愛らしい顔を恐怖に歪め涙と鼻水を流しながら近衛を一人従えている。


 「陛下に何があった?!」


 近衛を目に止めたグインが同僚に声を上げると同時にファリィがアイラに飛びついた。


 「お願い、パリスさまを助けてっ!」


 真っ青な顔で飛びつき声を上げたファリィに何があったのかと問うが、泣き出して手が付けられなくなってしまいアイラは彼女を連れて来た近衛に顔を向ける。


 「陛下はパリス妃に大変お怒りになっておられる。彼女ファリィ貴方アイラならと―――私はゴルシュタット侯を呼びに行く!」


 常に王に付き従い護衛の為に後宮入りした近衛の言葉によりアイラの入場が許され、入り口を守る女性騎士も火急の時と判断したのか、アイラの護衛と訴えるグインも入場を許された。蹲って泣くばかりのファリィはどうしようもないのでその場に残して先を急ぐ。パリス妃の部屋はグインも知っていたが決まりなのか女性騎士が先導した。


 豪華に飾り立てられた廊下を進んだ先で見知った王の近衛らの背を認める。振り返った彼ら全員がアイラに視線を向けた後で、道を開けつつ視線を室内へと戻した。自然と促される様に向かった先の部屋は廊下よりも一段明るいが、それでも闇の中に燭台が灯されているだけなので薄暗く、甘く鼻にまとわりつくような匂いが漂ている。その中ではシェルベステルが軽く足を開いて真っ直ぐ立ち、右手に剣を握って床に蹲る女性の首に剣先を突き付けていた。ほんの少し動けば細く白い首筋に刃が触れるが、突き付けられた女性は死の恐怖にがたがた震え自ら柔肌を剣の刃に触れさせてしまいそうだ。


 いったい何が起きたのか。真っ直ぐに立つ王は無言ながら纏う雰囲気が別人と見紛う程に恐ろしい。薄茶色の瞳は鋭利な刃物の様で何処までも冷たくパリス妃を射抜いていた。


 その恐ろしい視線に射抜かれたパリス妃といえば腰が抜けたのか毛足の長い絨毯の上で蹲り、震え蒼白になって化粧を施しているにもかかわらず唇は色を失くしている。男を誘う為だけに作られた、肌が透ける緩やかな夜着は肩からずり落ち、心許ない合わせが開いて豊かで白い胸が曝されているが隠そうともしない。恐怖で出来ないのだ。ざっと辺りを見渡せば酒瓶が倒れ赤い液体が絨毯に吸い込まれていた。けれども酒とは異なる甘く香る強い臭いにアイラは顔を顰め、王を誘うために香が焚かれたのだと気付いた。シェルベステルはこの臭いに怒ったのだろうか。


 それにしてもとアイラは静かだが周囲を慄かせる怒りを宿したシェルベステルへと視線を向ける。王の冷ややかな視線はパリス妃を捉え明らかな殺意を抱いているのだ。睡眠不足による愚行ではない。民を苦しめた愚王を廃し王位に就いたシェルベステルが女性を相手にどうしてと、だが相手が絶対的権力者たる王である為に近衛も手を出せずにいる。だからエドヴィンを呼びに行ったのか。パリスを助けてと縋り付いたファリィの様や、アイラが来た時の近衛たちの様子からも自分が期待されているのだとアイラは悟った。


 けれどどうするべきなのか、何がどうなってこの結果なのかまったく解らないアイラとしては手の出しようがない。もしかしたら激昂した王に自分が殺されてしまうかもしれないと感じ、けれど剣を向けられているのはパリス妃だと己に言い聞かせる。今夜シェルベステルがここへ出向いたのはアイラの為でもあったのだ。恐らくこの現状に自分もかかわっていると予想し、アイラは意を決して口を開いたのだが。


 「あの、陛下?」


 呼びかけに驚いたのだろう。本来ここに存在しない筈の声に驚いたシェルベステルの肩が弾け、手にした剣がパリス妃の乱れた髪を一房切り落としてしまった。


 「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!」


 声にならない悲鳴を上げたパリスはその場に倒れ込むと、白目をむいて意識を失う。シェルベステルは剣を手にしたまま驚愕に目を見開きアイラと視線を合わせた。






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