生ける屍の異常行動
拉致 12日目以降。
そう言えば結局じかに訪れることはなかったけれど、あの刑務所には小さな図書館もあったそうだ。
少し興味を引かれたわたしは、確かこの日、図書館に一度行ってみたいと天城さんにお願いしたんだけど、今はまだ民間人側の雰囲気が不穏だという理由で断られてしまった。
その代わりにと、以前の職員達が使っていたレクリエーションルームのような部屋に案内された。
そこには結構大きな本棚が二つあり、古い雑誌(ラーメンの特集本が多数あり、かなり目の毒だった)、マンガ、小説等々、娯楽性の高い本で埋め尽くされてていた。
この本棚を利用していたのが主に男性であった事は、残されていた本の傾向からおよそ察せられたけれど、そう言えばこの手のマンガや小説をまともに読んだ事がなかったわたしは、興味本位から何冊かを適当に選び、一日かけてじっくりと読んでみた。
その結果、わたしは軽い絶望感を覚えた。
当時の世間では確か草食系男子がどうのこうのと言っていたような気がするけれど、そんなのはやっぱりごく一部の事だと思い知る事になった。
とにかくこれらの(わたしですら聞き覚えのある)人気の少年マンガや小説とは、如何にして読者の浅薄な欲望を煽り、多くを売上げるかにのみ血道を上げているような作品ばかりだった。
まあ、たまたまこのマンガを購入した人の(好戦的な)趣味が大きく反映していただけかもしれないけれど、それにしてもヒドい内容のモノばかりだった事を思い出した。
暴力と性欲。
これらの小説やマンガには基本的に、それしか、描かれていなかった。
これらの作品の主人公達は、そのほとんどが10代の少年少女達で、大抵の場合何らかの魔法やスキルと言った“能力”を備える事となり、その荒唐無稽なズルい力を使って敵をやっつけるというお話がほとんどだった。
仲間達と力を合わせ、多少は努力らしい事を重ね、合間合間にあざとい半裸の美少女ヒロイン達とのキャッキャウフフをやたらとねじ込み、巨大な悪や神をも打ち倒し、たまーにピンチに陥れば、子供じみた感情を爆発させて、都合よく新たな能力に目覚めて、云々閑雲……という、あまりにもバカバカしいお話たちに、わたしは何度も何度も目眩と吐き気を起こし、最後には一周回って、何か変な笑い声を「ビュフヒッ!」とか、漏らした。
要するにこれらの作品は、未熟者が未熟者のままで抱く愚かな願望を……愛だの、夢だの、希望だのと偽り、結局は暴力で欲望を満たすという類の、幼稚なおとぎ話だ。
わたしがこれらの下らない作品達を、我慢の上に我慢を重ねてまで読んだその理由とは、やはり堀師の日記にある。
堀師がオタク文化を好んでいた事は、師の日記を読めば明らかだ。
でもまあ、堀師の日記に記されていたタイトルの作品は無かったようにも思うけれど……それでも! だ。
こんな愚かなモノまでも、もし本当に堀師が好むと言うのなら、わたしが堀師に出会えた暁には多大なる感謝と共に、この件についてじっくりとお話を伺い、必要であれば小一時間ほどのお説教をも辞さない覚悟を決めていた。
なんちゃって、ね。
翌日。
「──と言う事で、京子さんの日記に記述されている通りなら、貴女方は43日間の野外活動で、9名の異常行動者たちと遭遇した事になります」
「この事実と、これまでに私達が経験してきた記録とを照らし合わせると、貴女方の遭遇率は異常なほどに少な過ぎる、と言わざるを得ません」
本田さんは初対面時に見せてくれた軽いノリを引っ込めて、この会議の進行を真面目に勤めていた。
この会議に出席していたのは自衛隊側から6名、そして民間人側からは3名、あとはこのわたしを含めた総勢10名で行われた。
やはり全員参加は不可能だったようだ。
「そこで私達が最初にお聞きしたいのは、この差異に関する京子さんなりの知見をお伺いしたいのです」
「先ほども申し上げましたが、ここに出席している者は皆、貴女の日記を熟読しています。そして貴女がデータ不足なまま憶測や妄想を語る事をヨシとしない人物である事も承知しております、が」
「これほどまでに明確な差異が起こっている以上、何らかの条件が強く影響していると考える事は至極、妥当な考えだと思います。しかし私達ではいくら頭を絞っても、ロクな仮説すら思いつけませんでした」
「ですので、現状のデータ不足は重々承知の上で、まずは京子さんの忌憚のない意見を聞かせて頂きたいと、今ここに居る全員が合意しております」
「京子さん、是非とも、お願いします」
そう本田さんが言い終えると、皆さんの視線が全てわたしに集まり、そして各々が同意を示す仕草を見せていた。
「分かりました。では、わたしの私見を述べさせて頂きます」
「わたしは怒りという感情が、この差異に強く影響していると考えています」
室内に動揺めいた空気がザワザワと広がり、わたしはそれが収まるのを少し待ってから、再び口を開いた。
「勿論、わたしの心にも怒りは芽生えます。但し、わたしや、わたしの友人は自分の心に怒りが芽生えたら、それを消す努力が出来ます。そして普段から怒らないよう常に気を使っています」
「異常行動者達との遭遇率が大きく異なる原因として、わたし達自身と皆さん自身に何か違いがあるとすれば、まずはこの一点が大きく違っていると、わたしは考えています」
「怒って何が悪いか!! ゾンビに皆が喰われてるんだぞ! そんなの怒って当然じゃないかっ!!」
そう怒声を上げたのは、民間人側の男性だった。
そしてこの部屋の空気が一瞬にして変わるが、わたしはその言葉をしばらくの間、無視した。
「おいっオマエ! 何とか言えよ!!」
「よせ!」
そう言いながら立ち上がり、わたしに向かって動こうとしたその時、川田さんが一声かけ、視線だけでその男性を押し止めていた。
その男性もまた彼女の実力をよく知っているせいか、その場で忌々しそうにわたしを睨み付けながらも、大人しく元の席に着席した。
わたしは自分の喋り方や言葉遣いを出来る限り穏やかなものにするべく、サティした。
「今、奇しくもそちらの男性が実演してくれた訳ですが、怒り、という感情が一つ生まれてから、この部屋に居る皆さんの心に起きた感情の成り立ちや伝播性、感染性を、ここで改めて確認してみましょう」
「一つの怒りの感情が生まれると、その場に居る全ての生き物にそれが伝わり、感染し、その怒りに同調するか、戦うか、逃げるか、という反応が連鎖的に、皆さんの心の内に現れた筈です」
「そこでまずわたし達は、自分達の心に生まれる“怒り”こそがわたし達の、真の敵であり、わたし達自身を内側から滅ぼす猛毒であることを理解しています」
「そしてあなた方は『怒って何が悪い』と、そちらの方が仰られていた通り、怒ることが絶対的に悪い事だという認識がありません」
「こうした精神的態度の違いが自ずと行動や仕草などに反映されて、それを異常行動者達はわたし達と同じように、反射的に識別しているのではないかと、わたしは考えています」
「ふ、ふざけるなっ!! 怒りもせず! 黙って食われろとでも言うのか!!」
「黙って食べられろ等と、わたしは言っていませんし、そんな必要もありません。ただ食べられないよう必要な対処するのに怒る必要は全く無い、とだけ申し上げます」
「屁理屈を言うな!!」
「屁理屈はアンタよ!」
と、その隣に座っていた女性が、その男性を窘めていた。
この日行われた長い会議は、まだまだ始まったばかりだ。
生きとし生けるものが真に幸せでありますように。




