生ける屍の一切皆苦
旅 65日目
あれこれ思い出しながら一日中文章を書いていると、本当に、言葉って不便だなあと思ってしまう。
それでも日数的には、ほぼ半分の記述が終わった事だし、もう一踏ん張りだ、頑張ろう。
拉致 11日目以降。
中野議員と山形幕僚長、そして数名の自衛官達は、東京を脱出してから約三、四カ月をかけてここまで西下して来たそうだ。
そして、東京は、既に核攻撃を受けているという、絶望的な知らせまでもを、彼らから受ける事となった。
そんな状況で中野議員達が旅をしていた目的地とは、勿論「原始山」なのだろう。
だが、彼らはただ目的地を目指すだけに留まらず、道行く先々で出会った生存者グループの動向を絶えず調べながら進んでいたとの事だった。
この刑務所の噂を聞きつけて到着したという中野議員たちは現状を目の当たりにすると、素性を隠す事もなく、自分たちの生活物資のほとんど全てを放出して、まずは炊き出しから行ったそうだ。
その際に、この期に及んでもまだ、自分さえ助かればいいという目に余る人々を見つけ次第、断固たる態度で排除したそうだ。
それと同時に、炊き出しを食べ終えた者達から順次仕事を割り振って、生き残っていた人々に休む間など、全く与えなかったそうだ。
「もう明日、食べられるモノは何もない!。死にたくない人は今すぐ働け!!」
この日、中野議員は周囲から何を言われても、何を聞かれても、この台詞を力強く、高圧的に、一日中繰り返していたらしい。
そんな中野議員の激は、ただ不満を漏らすだけで何も行動を起こさない者を容赦なくあぶり出し、衆目に晒し、皆が自発的に動けるように、そして和を乱すものは皆で排除出来るように、ワザと、そうなるように誘導していたのかも、しれません……と、天城さんは漏らしていた。
その一方で、山形幕僚長は自らも現場を歩き回り、応急処置の心得を持つ“部下の指示”に従いながら、黙々と救護作業に勤しんでいたらしい。
この話を聞いた時、言い方は少し悪いけど、これは典型的なアメとムチ。または、いい警官と悪い警官。あるいはマットとジェフという構図のネゴシエーションを、その場に居た全員に仕掛けているのではないか? と、わたしはそう思った。
それにしても、まさか中野議員が敵役を買って出るというのは、さすがに意外だった、としか言いようがなかった。
そんなかなり強引なやり方ではあったけど、その翌日から刑務所のムードはかなり変わってきたそうだ。
それでも中野議員は手綱を緩めるつもりは無かったらしく、次々に新しい仕事を見つけ出しては、それを老若男女の隔てなく、手当たり次第に割り振り、その後の微調整は山形幕僚長が順次細かくケアしていたらしい。
そうして一週間が過ぎた頃、中野議員は自衛官の主だった人々を集めて会議を行ったそうだ。
そして天城さんは、食料確保の任を帯びて外出していた為、その会議には参加出来なかった。なので後日、大まかな内容を又聞きしたところによると。
曰わく、「離散せよ」というのが中野議員の主張だったそうだ。
離散せよ、というのは一応、環境負荷を考えての意見だったそうだ。
一カ所に生き物が集中し過ぎれば、その場にある食料はすぐに食いつぶされる。
例えば、1キログラムのお肉を二、三人で分け与えれば三日間くらいは持つだろう。
仮に、1キロ平方メートルの土地でとれる食料が1日に1キログラムしかとれないのならば、その場所の生存定員数は、4、5人が限界だ。
だから今までのように、100人で1キロのお肉を分け合うような愚は避けるべきで、この期に及んでもまだ、本当にみんなで助け合おうと言うのなら、離散する事だけが、お互いの本当の助けになる!。という考えだ。
それならば……一般人をただ放り出す事には出来るだけならないように、ある程度のサバイバル訓練を課す事が望ましく、そして皆が少しずつ自立した後に、行く行くは物々交換を基本とした“市場”としてこの刑務所を機能させるのはどうか、と山形幕僚長が立案し、その案が採択された。
このように中野議員が一見過激なビジョンを強く提示し、山形幕僚長がそのビジョンのハードルを少しだけ下げた対案を出して、皆がそれを了承するという形の“出来レース”を、彼らは何度も何度も繰り返していたそうだ。
やがて、その過激な言動がたたり、徐々に居場所が無くなった中野議員は、もともと一緒だった数名の自衛官達と共にここを去り、山形幕僚長と本田さんの二名が、皆に乞われる形でここに残留した、との事だった。
それから。
中野議員がこの刑務所を後にした約10日後、大阪は核の光に包まれたそうだ。
その後、中野議員達がどうなったかを知る人はいない。
ここまで書き記して、思う所は当然いろいろあるけれど、又聞きの又聞きから得たわたしの妄想などを、一々ここに書き残すことは差し控えようと思う。
そして現在の状況だけど、民間人の間ではまたしても、暴動の機運が高まりつつあるらしい。
その切っ掛けは、やはりアキラくん親子三人の離脱が原因だったようだ。
「私たちの家族は殺したクセに、何故、アキラくんの弟は殺さないのか?!」
民間人側の不満とは、この一点に尽きるのだろう。との事だった。
人間はありのままの事実だけでは、決して動かない。
ありのままの事実を自分勝手に“解釈”した妄想から生まれる感情によって、人は自から動く。
度し難い。
いつかエリカさんも言っていたけど、感情とは、事実そのものではなく、事実を勝手に解釈したその結果として、心に生じるものだ。
そんな解釈(妄想)によって心に生まれる感情というものの本質は、狂気でしかない。
一切皆苦。
わたし達の生とは、全て苦しみの上に成り立っている。
その様々な苦しみの状態変化を自己解釈しながら、わたし達の心には様々な感情が生滅している。
これは勿論ブッダの教えだけど、これはただの知識としての教えではない。
誰もが自分の心から目を背けず、常に観察をし続ける事で検証し得る、“智恵“の教えなのだ。
堀師も記していたが、殺す事で得られる幸せなど、そんなものが本当に、あろう筈も無いじゃないか。
そんなのは動物ですら分かる、ごく当たり前の事だ。
しかし感情に溺れる人間(わたしも含めて)にとっては、客観的な事実などは問題外となる。
復讐で得られる幸せなどない、という当たり前の事実は、やれ理想論だ、綺麗事だと揶揄されて、ただ感情の赴くままに更なる復讐という不幸を積み重ねる事だけを、切に望む。
そうやって、安易に感情に流されながら事を起こし続け、それでも、自分のした事を棚上げにして、図々しくも「幸せになりたい!」と、そう叫ばずにはいられないのが、わたし達凡夫の人生というものだ。
……愚か、な。
この日、わたしは自分の心に芽生える狂気を、深く瞑想していた。
生きとし生けるものが真に幸せでありますように。




