生ける屍の完全敗北
拉致 7日目以降
「あなたが前田 京子さんですね。ご挨拶が大変遅れました。僕は山形 睦夫と申します。どおぞよろしくお願いします」
山崎一曹が山形氏をこれから紹介しようとした、その機先をフワリと外し、自ら一歩前に進み出て、人の良さそうな初老のおじさんが、にこやかに、深々と頭を下げていた。
「いいえ、こちらこそよろしくお願いします。山形さん」
わたしも負けないくらいには深々と頭を下げた。そしてもう少しで、ちょっとした我慢比べになりそうだった空気を、またしてもフワリと外し、山形さんは頭を上げていた。
「はぁ……山形司令、もう、本当に勘弁して頂けませんでしょうか」
「まあまあ山崎さん、もお三年だ。堅いのはそろそろ止めにしましょう。ここらが確かに潮時ですよ」
そう言いながら山崎さんの肩をやさしく叩く山形司令官さんだった。
「すいませんね、京子さん。もうご存じの通り、どおも山崎君は一本気過ぎてねえ、その気質を僕のような狸親父にいいように使われて、いつも損ばかりしている」
「京子さんからも御不興を買ってしまったようですが、その不興は本来なら僕が買うべきものだ。どうかこの狸に免じて、山崎とも仲良くしてやって下さいませんか」
そう言いながら再び頭を下げる御狸親父司令官殿に、わたしも負けじと再度頭を下げ返し、今度こそお辞儀の我慢比べ大会になってしまった。
「はいはい! もうよろしいでしょう、お二方」
数分後、山崎一曹がそんな横槍を入れてくれたおかげでこの勝負は引き分けに終わった、かと思ったら……太ももの裏側の筋肉がパンパンだったわたしは、ちょろっとよろけてしまった。
「ふふふ、まだまだ若い方に負けずに済んで、ちょっと自信が持てましたよ」
とかのたまっていたけど、確かにわたしの完敗だった(笑)。
「では、もう一名紹介させて頂きま──「初めまして。施設科、と言ってもお分かりにならないでしょうが、普段は土方やら機械やらをいじっている、本田といいまーす。よろしくお願いします!」
「本田士長! 全く、あなたまで……」
「山崎さん大丈夫ですよ。本田さんですね、こちらこそよろしくお願いします」
こちらの本田士長さんはその厳つい風体には似合わない、ちょっと軽めなキャラクターをわざと演出しているようにも感じられた。
わたし達は山崎一曹に案内されて、この建物のエントランス付近にあるロビーへと移動した。
そこにはご丁寧にも、昔懐かしい紙コップに注がれたお茶と、謎のお茶菓子が用意されていた。その謎のお茶菓子は、謎の美味しさを兼ね備えていた。レシピ、聞いとけば良かったな。
「まずは改めて謝罪させて頂きたく存じます。此度は私の一存で京子様に無理なお願いを押しつけてしまい、大変、申し訳ありませんでした」
山崎一曹はそう言いながら、先程のわたし達よりも更に深く腰を折っていた。
「はい、謝罪は受け取りました。その件はもうこれでお終いにしましょう」
「ハッ! ありがとうございます」
深く折りたたんでいた腰をピシリと伸ばし、抜き手が見えないほどの早業で、彼女の右手は額の横にピーンと揃えられていた。
「僕たちは京子さんにもう一つ、大事なお礼を言わねばなりませんね」
「吉田 香苗一士!。山田 忍二士!。そして明石 源一郎陸曹長!。以上彼ら三名の最期を貴女方が看取り、手厚く葬って頂いた事に、我々は大変感謝しております」
「「「有り難う御座いました」」」
そう声を揃える彼等は、先程の深いお辞儀ではなく、おそらくは自衛隊の作法に則った形の敬礼を、三人揃ってわたしに向けていた。
斯くしてこの度の「第一次お辞儀大戦」は、わたしの完全敗北という形で、ひとつの決着をみた。
その後彼らは、どうしても手の離せない仕事を抱えている一部の隊員を除く全員で、これから会議を開き、様々な疑問点や問題点を抽出し、ある程度の意識共有を果たした後に、改めてわたしを交えたディスカッションを催したいと乞われ、それをわたしは了承した。
そしてこの時、彼等自衛隊が抱えている最大の問題は、おそらく一般人グループに何かしらの問題があると察してはいたけれど、差し支えなければわたしの軟禁状態を解除して欲しい旨を申し出た。
しかし、わたしの安全を確保する為に、もう少しだけ辛抱して欲しいと断られてしまった。
その代わりに個室の鍵の解除と、サマーちゃんとの面会などは可能な限り取り計らうと約束してくれた。
どうやら山形司令官はわたしの想像以上に好(狸)人物だったけど、想像以上と言えば一般人グループの焦臭さの方が、より想像以上だったようだ。
同日深夜。
わたしの居る個室の窓に、人工の明かりが突然走り抜けた。
注意深く外を見ると、はっきりとは分からないが複数人がもみ合っている様子が見受けられた。
それからすぐに騒ぎは収まったようで、おそらくはLEDによる強い光が、この事務棟から遠ざかり、刑務所の本館方面へと消えて行った。
翌日、翌々日。
多少、自衛官達と一般人グループによる小競り合いの気配を感じるものの、騒ぎはすぐに収まっているようだった。
その他に特筆する事は無かったよう……ああ、そう言えば天城さんはサマーちゃんからの信頼を、ある程度は獲得したようだ。
先日の約束通り、日に一度はサマーちゃんを連れて来てくれるのだけど、この日は「はやく連れてけー!」みたいな勢いで、天城さんの髪の毛にサマーちゃんが噛みついていたそうだ。
「ホントにハゲだけは勘弁して欲し──ハッ! いやいやいや!! キョーコさんの頭はお似合いです!! キョーコさんくらいの美人さんじゃないとハゲはムリですうぅーっ!!」
と、しどろもどろになった天城さんは、目をシロクロさせながら弁明していた。
まあ、とっくに女を捨てているこのわたしだ。今更ハゲ云々に思うところは無いけれど、天城さんのこの慌てっぷりは見ててとっても可愛いかった事はここに記しておこう。
ちなみに坊主頭と呼ばれる剃髪だけど、日本では俗世間との決別とか、煩悩を捨てるなどのイニシエーション的な意味合いが強く流布されている、が。
上座仏教の長老方のお話では、もうちょっと現実的な理由から、仏弟子は頭を丸める必要性があるらしい、との話を読んだ憶えがある。
それは屋外で様々な修業をするに当たって、単に健康面や衛生面を考慮した結果、頭を丸めてしまった方が皮膚病などの病気にもかかりにくく、ノミやシラミなどの繁殖も抑えられるという、とても合理的な判断による意味合いの方が大きいと考えられているそうだ。
わたしも実際に頭を丸めてみて、もう二カ月くらいになるけど、言われてみれば確かにその通りだし、とにかく楽だ。異存はない。
そして更にその翌日。
この刑務所に思わぬ人物が現れ、わたしは……
生きとし生けるものが真に幸せでありますように。




