生ける屍の通行止め
旅 42日目(39日目分)
あれほどあった鹿肉の燻製も数日前に底をついていたところで、ありがたいことにスイカ以外にもジャガイモ等の食材が手に入ったわたし達は、この日も酷道をゆるゆると進んでいた。
そんなわたし達の目の前を。
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わたし達
図にするとこんな感じで、古いマイクロバスが通行止めのバリケードと化して、わたし達の行く手を阻んでいた。
ピッタリと誂えたかのように道幅とほとんど同じサイズのマイクロバスが横向きになって道を塞いでいる。高さも約3メートル程あって、ちょっとした防波堤みたいだ。
崖とバスの隙間を確認すると、およそ10~20センチくらいしか余裕がない。わたし達が通り抜けるのはとても無理だけど、狭い所が大好きなニャアが少し興味を引かれていたのには、ちょっと笑った。
とにかく思わぬ立ち往生をくらったわたし達は、この状況をどうするか話し合った。
「アタイとキョーコさん、カンちゃん、それとニャアも多分、何とか自力でこのバスを乗り越えられそーだけどさ……サマーと、カンタカ号は、ちょっと無理だよな」
「そうね。でもこんな所でサマーちゃんと別れるなんて、それはないよ」
「うん。けどさ……今までも、車を使ったバリケードなら、そこら中で普通にあったけどよ、ここまで完璧なのは、ちょっとなかったよ、な」
「う、ん……んん! ちょっと待って、エリカさん。そうよね、このバスって自然や偶然で、ここにピッタリ挟まったワケじゃないよね」
「普通に考えたら、生存者が自分達の手で、ここにこのバスをこの状態で設置したハズ」
「ああ、……そりゃあそうだろうけど、それなら“どうやって”横向きにしてバスを置けたんだ?」
「それなのよ。こんな狭い道で何回ハンドルを切り返したって、こんな風にバスを真横にするなんて、絶対無理だし」
「でもさ、ここにこうやって現物がある以上、誰かが置いたのは間違いねーんだろうけどさぁ、コレ、マジでどうやったんだ?」
この時点ではまだ、この謎を解くことが出来ないでいたわたし達は、どこかにヒントがないかと改めて辺りを見回すと、ここまでに時々目にしていた、横60センチ、縦90センチ、そして厚みが2、3センチくらいの鉄板が敷かれている事に注目した。
おそらくこの鉄板の用途は、路面上に陥没して出来た穴を塞ぐ為のモノだろう。
それにこうした鉄板は、アポカリプス以前の日常でも、道路工事等の現場を通りかかった時なんかに、割とよく目にするモノだった。
そしてこの鉄板は、バスの下からわたし達の方に向けて、およそ10数メートルほど敷かれている。
もしかしてこの鉄板の上なら、意外と簡単に横滑りするのかもしれないと思いついたわたし達は、ダメ元でバスの横っ腹から力一杯、手で押して見たけれど、当選ビクともしなかった。
ここから一旦引き返して迂回ルートを変更する事も少し考えたけど、そう簡単に諦めるのはまだ早すぎる。……とは言え。
一体どうしたものかと散々頭を悩ませていたわたし達の前方から、いきなり罵声が飛んできた。
「オッ、オンナァァアアッ?!!」
「オンナかっ!!、オンナやっ! オンナやあぁぁっ! オxxコやあぁぁっ!! なんちゅうことや」
「う!、ウオオオっ! トラかっ! トラやっ! トラっ! トラまでおるっちゅうんかっ!!」
いつの間にかバスの屋根の上に居たその声の主を確認したとき、わたしは猿の妖怪かと、一瞬本気で思ってしまった。
「なんちゅうーっ! なんちゅうことやあぁっ!! くそ! くそ、くそくそくそおおっ!! もう! たまらんんんがなっ!」
たくさんの深皺が刻まれたその顔を、興奮した猿のように真っ赤にしながら、あられもなく叫び狂う小柄な老人は、正に、森の悪霊か、妖怪じみていて……わたしは勿論だけど、あのエリカさんまでもが、その表情に底知れぬ嫌悪感を滲ませていた。
「ヤッたる……ヤヤヤヤっちゃる、ズズズウエェッタルルルイににに、ヤヤヤヤッたるうううえええぇぇぇ!!」
そう絶叫する妖怪エロザルこと、御クソジジイ様は、やおらズボンをずり下げて、何やらお粗末なモノを取り出した、その時。
「うぴゃう!」
という、おかしな喘ぎ声を上げた御エロジジイ様は、半ば白目を剥きながら、全身をビクンビクンと激しく痙攣させた。
その瞬間、わたし達は、最悪の液体が飛び散るものと思って後退ったが、幸い、妙な液体が飛び散ることは無く、その代わりに御クソヤローなジジイ様の身体が、バスの屋根から転落していた。
おそらくは、極度の興奮状態から脳卒中とか心筋梗塞でも併発したものか……とにかく何らかの致命的な内出血で、この愚かな老人は即死したように思う。
そして第一世代化が起こる時に発生する、あの異臭が辺りに薄く漂うものの、それ以外は遺体に妙な動きもなく、どうやら仮称ゾンビ化は免れたと見てよさそうだった。
それにしても、だ。
いきなり現れ。妄言を垂れ流し。いきなり死する。
これは逆カエサル(来た、見た、死んだ)だとでもいうのだろうか。
しばらくの間、呆然としていたわたし達は……人間とは、一体どこまで愚かになれるのか? という意味で、ひとつの到達点を、まざまざと見せつけられたような思いがして、微かな怖気を背中に感じていた。
このまま遺体を放置するのも憚られ、とりあえず埋葬くらいはしようと遺体を持ち上げるとその矮躯から、ジャラジャラといういやらしい音が聞こえた。
これ以上、この御クソ様の余計なところに触るのは本気で願い下げにしたかったけれど、もしかしたらあのバスを動かせる手掛かりが何か見つかるかもしれない可能性を考え、一旦この御エロジジイ様の持ち物を改めてみる事にした。
この御クソジジイ様は沢山のポケットがついた腹巻きをシャツの下に着込んでていた。そのポケットの中身をひとつずつ改める。
・クシャクシャのお札が合わせて五十万円前後。
・パスポート三通、免許証二枚、保険証五枚、各種キャッシュカード三十数枚、年金手帳七冊。そして何らかの証書類多数。
・これらは全て、各々の名義がバラバラである事から、他人の物を着服していた模様。
・各種宝石、貴金属類が多数。明らかにガラス製のオモチャも結構含まれている。
・用途不明な鍵多数と、印鑑多数。
・何らかの恨み言がくどくどと書かれたメモ帳が一冊。その中にバスに関する手掛かりになりそうな記述はナシ。
・やはり用途不明な30センチほどの鉄パイプが一本。そしてこれだけが唯一、欲望まみれの遺品の中で妙に浮いていた。
わたし達は鉄パイプと鍵束のみを取り上げて、対向車がすれ違う為に設けられたであろう待避スペースまで遺体と遺品を運び、この類を見ない、見下げ果てた愚か者の埋葬を沈黙の内に済ませた。
それからわたし達は、昨日一日を過ごしたスイカ畑のある民家まで一旦後退した。
そしてこの日の一連の出来事で、わたしの心に芽生えた薄汚い感情を滅するために、ただ座った。
我が心に荒れ狂う感情を、ただ観察し、心が乱れる様をサティする度に、意識をただ呼吸に向けなおす。
御クソなエロジジイ様に対する嫌悪感が自分の心を汚す様を何度も明確にサティしながら、その都度、意識を呼吸に向けなおす。
やがて、あの愚か者を「おじいさん」と抵抗なく念じられるまで心が落ち着いてきたところで、わたしは自らに問いはじめた。
わたしにも未だ欲望はある。あのおじいさんにもまた欲望はある。
では、何を持ってわたしは、あのおじいさんと自分とが隔たっているというのか。
と問う。
わたしは欲望が我が身を貶めて、中毒を招き、大きな苦しみをもたらすしか出来ない毒であることを理解している。
しかし、あのおじいさんには、欲望を持つことこそが、苦しい事だという現実すら認めることが出来ない。
この事を持って、わたしと、あのおじいさんは隔たれている。
と答える。
それは傲慢ではないのか。
と問う。
それ、とは何か。明確化せよ。
と答える。
わたしが理解しているというのならば、理解出来ていない人々を諭さないことは、傲慢ではないのか。
と問う。
理解とは他者から与えられるモノではない以上、諭すだけで他者が理解を得られるという、間違えた前提を持つ事こそが傲慢である。
と答えた。
このようにしてわたしは、スイカ畑の片隅に座し、自らの心をなんとか御していた。
生きとし生けるものが真に幸せでありますように。




