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生ける屍達についての日記帖 : Data of the living dead   作者: 230
生ける屍達の日記帖 二冊目
79/90

生ける屍の優勢法則




旅 41日目




 妖怪が現れた。


 いや、まあ、そうは言っても、本当に妖怪だった訳じゃないんだけどね。ただまあ、かなり妖怪じみた御エロ・ジジイ様が……これ以上はナイだろうという衝撃の出オチを果たされました。


 ま、とりあえず五日分も貯まってしまったこの日記を、いつものように時系列順で書き記そうと思う。




 37日目




 ニンニク臭をプンプン撒き散らすわたし達は、いよいよ酷道に進入していた。




 今までもそれなりに道路のアップダウンはあったのだけれど、やはり里山の谷間を縫うように走る酷道の坂道は半端じゃなかった。

 それでもまだ登り坂はなんとかなっていたけれど、最初に通りかかった下り坂で、かなり厄介なトラブルが発生した。


 そのトラブルとは、下り坂の進行中にカンタカ号の過重が、サマーちゃんの腹帯を前方に押し上げてしまった事だった。


 今までエリカさんは、そもそもサマーちゃんに荷車を引かせるという発想は無かった訳で、腹帯の構造が荷車を引っ張る事にはたまたま対応出来ていたけれど、わたしは荷車の過重が前にかかる事までは想定出来ていなかったのだ。


 この問題を何とかするには、一旦平地に戻らなければ話にならない。

 結局わたし達は一度荷車の連結を解いて、下り坂に対して荷車の後部を前方に向けながら、わたしとエリカさんが持ち手を握って、じわじわとバックする要領で坂道を下った。


 何とか坂を下り終えると、わたしがサマーちゃんの腹帯回りの調整を試みている間に、エリカさんにはサマーちゃんの首回りに装備するための帯代わりに使えそうな、太いベルトなどの調達に出てもらった。


 幸い、この酷道に進入する少し前に、ホームセンターらしき建物も確認しているし、この手の物資ならまだ残されている公算が高い。

 距離的にもここから行って帰って来るだけなら、二時間もあれば十分な距離だ。


 エリカさんはすぐに戻ると言い残して、坂を駆け上がって行った。




 わたしがいろいろと試行錯誤を試みていると、あっという間に時間が過ぎていたようで、およそ三時間後にはエリカさんが沢山のベルトを持って帰って来た。


 エリカさんの持ち帰ったベルトは、いわゆる安全帯と呼ばれる物で耐久性はお墨付きだ。しかも、装着時にかかる負担の軽減を考えた暖衝材もついていた。




 これらの材料を組み合わせて、何とかサマーちゃんの腹帯を再調整するのに、結局丸一日を要した。


 その間、ニャアは木の上でのんびりお昼寝を(たしな)み、カンちゃんは初めての山間部が物珍しいようで、地べたの冒険を楽しんでいたようだ。

 どうやらこの季節の山間部には、カンちゃんが食べられるエサが沢山あったみたいで、ちょっと興奮気味のカンちゃんを久しぶりに見ることが出来た。




 日暮れ前にはエリカさんがついでにと持ち帰ったブルーシートを使って、カンタカ号に屋根を張り、簡易テントのようなものをでっち上げたわたし達は、酷道の片隅で一夜を明かすことにした。


 そして深夜。


 まるで、寝ている家族を起こさないように気を使いながら、そっと夜勤のお仕事に出かけるお父さんのように、ニャアはどこかに出かけたようだった。




 38日目




 またしてもニンニク臭をプンプンさせているわたし達だけど、今度は何とか順調に酷道を歩めていた。


 山間部を曲がりくねりながら伸びる酷道は、地図で見るとおよそ130キロメートルほどの距離になる。

 以前の平和な時代で何事もなければ、のんびり歩いても2、3日で踏破出来そうな距離だけど、やはりそう簡単には行かないであろうことは、もう当然覚悟している。




 そして案の定、驚愕の事態が発生した。


 スイカだ! 


 わたし達はスイカを発見したのだ!!。




 この酷道沿いにも、ポツポツと集落は存在していたが、これまでのところは(仮称ゾンビを含む)生存者の気配などまるでなかった


 だけどこうした環境なら、堀師たちのように皆で協力出来ていれば、或いは、今でも生き残れるだけの資源は確保出来そうなものだけど、なかなかそうは行かないようだ。


 そして人は居なくなっても、人が生活を営んでいた痕跡はまだ、深い緑に呑まれながらも、しっかりと残っていた。

 そんなとある集落に差し掛かった時に、わたし達は微かに聞こえる水の音に気がついた。


 もうそろそろお水の補給を何とかしなければならなかったわたし達は、水音を頼りに探索を始めるとすぐに、そのスイカ畑を発見した。




 やはりF1種ではなく従来種なのだろう。形も大きさも不揃いではあったけど、濃い緑に真っ黒な縦縞の入ったスイカが、ゴロゴロとそこら中に自生していた。


 その数は優に20を越えていたけれど、おそらくは鳥や獣、そして虫たちに喰われているものが大半だった。

 それでも丁寧に探してみると、ほぼ無傷で、わたし達が食べられそうなスイカが三つも残されていた。




 その三つを取り分けて、残っていたスイカはサマーちゃんに食べてもらっていると、ニャアもまた興味津々な面持ちで近づいてきた。


 手頃なものを一つ割ってあげると、正にネコまっしぐらモードと化したニャアは、あっという間にスイカ一個をペロリと平らげた。


 多分、ニャアの牙なら、わたし達がわざわざスイカを割ってあげる必要は無いと思うんだけどね。


 それでも物欲しそうな目つきで、こっちをじっと見つめてくる『ニャア☆ビーム』は如何にも強力で、わたし達は為すすべもなく、ニャアとサマーちゃんが満足するまで淡々とスイカを割るだけの簡単なお仕事に精を出した。


 カンちゃんもまた、おこぼれに(あずか)るだけの簡単なお仕事に余念がなかった。うふふ。




 動物組が満足し終えると、わたしとエリカさんは無傷のスイカを抱えて、再び水音の源に向かった。


 するとすぐに小さな沢が見つかり、以前はここで地元の方々が様々な仕事を行っていた痕跡が認められた。


 まずわたし達は、沢にスイカを漬けて冷やしながら、とりあえず沢の水が飲めるかどうかを確かめる可食性テストも実施し、無事合格。

 それでも念のためにペットボトルフィルターを使って、一応ろ過する事にして、そこから少し下がった所で洗濯まで済ませることが出来た。


 こうしてわたし達は、なんとも豊かな自然の恵みに、大満足な一日を過ごしていた。




 仕事を終えて、よく冷えたスイカを口に運ぶと、本当に久しぶりになる甘味が口いっぱいに広がり、わたしはもう少しで泣きそうになってしまった。本当に美味しく御座いました。




 「ところでさ、昨日も言ってたけど、エフワンって何なのさ?」


 美味しいスイカを頂きながら、エリカさんからそんな質問が飛んできた。


 「わたしもそんなに詳しくないんだけどね……」


 そう前置きして、知る限りのことをエリカさんに説明した。




 F1種ってのは確か、異なる特徴を持った親株の交配から生まれた「(たね)」のことで、その交配の折りに「メンデルの優勢の法則」が働いて、その親株の良いところや強いところを受け継いだ、いわゆるF1種が生まれることになる。


 つまりは、両親の良い部分の特徴を持った種がfilial 1 hybrid種なのよね。


 そして以前のわたし達が消費していたお野菜の、ほぼ全てはF1種のお野菜だった。


 それは遺伝の基本的な法則を利用した、人の手による交配や交雑の事に過ぎないとわたしは記憶しているけど、もしどこか間違えてたらごめんなさい。


 それで例えば、病気には強いけど味がよくなかった野菜の花粉と、病気には弱いけど味の良かった野菜の雌しべで掛け合わせたら、病気にも強くて味もいい、といういいとこ取りのF1種が生まれるという事になる。


 だけど、このF1種にも人間にとってそうそう都合のイイ事ばかりがある訳じゃあない。


 こうした優勢法則の極みの種には、何故か往々にして、その後の子孫には、その優勢だった特徴が遺伝されないことが多いようなのだ。


 また、F1種はそれ以降に子孫を残さないケースが圧倒的に多いらしい。


 そしてそれは商売人にとっては非常に効率のいい商売となった。


 F1種の野菜は、見た目や大きさ、そして何よりも味を良くする為に、確か日本では江戸時代辺りから近代に至るまで、そうした交配を繰り返すお店が存在していて、それは幾つかの「種屋」となって、この国の農業全体を裏から牛耳っていたとも言われている。




 そう言えば、一時はF1種の野菜を摂取し過ぎると、不妊症が高まる危険があるとか何とかマスコミが叩いて事もあったっけ。


 ならば、その根拠は何かと言うと、F1野菜に存在するミトコンドリアの異常性がどうのこうので、人体に悪影響を及ぼすとか言ってた事を思い出した。


 いやいやいやいや、ちょっと待て、と。


 それがどんな異常性だか知りませんけれど、体内で消化分解されたお野菜のミトコンドリアが、一体どうすれば、分解されたままで悪影響を及ぼせると言うのか、ちょっと詳しく聞いてみたいものだ、とか当時は思っていた。


 後は遺伝子操作なんかのネガティブなイメージなんかも、かなり混ざっていたように思う。


 近似種の交配や交雑なんて、ほっといても自然の中でしょっちゅう発生しているというのに、その辺の無知からくる誤解や誤謬はもう、本当にどうしようもないよね。


 まあ、それでも本当に何か問題があったとすれば、やっぱり、(タネ)の独占による既得利権構造の腐敗の方が、より深刻ではあった筈だと思う。


 そうは言っても、本当にそこまでの悪意があったのか、当時のわたしには分かる訳がないんだけれど、まあ、その辺りの実情なんかがどうであれ、今となっては蛇足に過ぎない。




 「ふむむむ……うーん、なんか興味ぶけー話だけど、それならサマーも、ニャアもある意味、F1種、ってコトになるんだよな」


 「ああ、それはちょっと面白い発想かもね。優勢遺伝がある程度行き着くと子を為し難くなるって現象は、浅い意味で〈解脱〉のイメージと、ちょっと被るところがあるものね」


 「おおー、アタイはそこまで考えてなかったけど、やっぱ、ある程度悟りが深まったらさ、もうセックスなんか興味なくなっちゃうもんなー」


 「まあね。あの時の女子プロや精神科医みたいに、年中盛りっ放しのメス獣みたいには、もう戻りたくても戻れないもんね」


 「アハハ! ひっでーなー。キョーコさんって、時々サラッと毒吐くよなー」


 「えへへ、今後気をつけます。はい」




 こんな話をしていたわたし達はその翌日に、超、エログロで、妖怪じみた御ジジイ獣様との、見苦しい出会いが待っている事を、この時はまだ知る由もなかった。




 生きとし生けるものが真に幸せでありますように。




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