生ける屍の経験不足
旅 36日目
放置車両でごった返すインターチェンジに到着した時、手にした地図と、標識をじっくり見比べていると、事も無げにエリカさんが「こっち、こっち」とわたしを手招いてくれた。
「エリカさん、この辺はよく知っているんですか」
「んー、この辺は初めてだけどさ、さっき地図も見たし、コッチっしょ」
そう言って、スタスタ進むエリカさんだったけど、この時のわたしは、素直に彼女を信じることが出来なかった。
しかし、結果から言うと、幸いにしてエリカさんは、かなり方向感覚に優れている人間カーナビみたいな人だったようで、今日の目的地に定めていた神社に無事、到着出来た時のわたしは、本当に、嬉しかった。
わたしはこの安堵感を伝えるべく「エリカさん! 疑ってゴメン! ありがとう! ありがとう!」と、何度も何度も感謝の意を示したんだけど、彼女からすると「何を大げさな……?」てな感じで、残念ながらわたしの心からの感謝は、イマイチ伝わらなかったみたいだ。
ともあれわたしの経験則では、方向オンチには二種類あると思う。
ひとつは、わたしのように、道中何度も地図を見て、現在地の確認を繰り返しながら慎重に歩いている筈なのに、何故か、気がつくと道に迷っているという、自己不審系の方向オンチ。
もうひとつは、初めて来たはずの土地なのに、何故か完全に道を把握しているかのように、ズンズンズンズン歩き続けたその挙げ句、いつの間にか道に迷ってましたと告白する、自信満々系の方向オンチ。この二種類だ。
わたしの高校生時代の友人が後者のタイプの方向オンチで、わたし達二人で遠出すると所要時間内に目的地に辿り着けることなど、まずあり得なかった。
それだけに、この時は本当にエリカさんが頼もしく思えたんだけど、そうやって彼女を見ていると、何故わたしが方向オンチなのかというその根本が、突然理解出来た。
一言で言えば「木を見て、森を見ず」という故事そのままだった。
まず大前提として、地図は正しいという事実がある。
もちろんその正しさとは、ブッダの説く「無常」レベルで正しい訳ではないけれど、その地図が作成された時点では充分信頼に足る実用性を持つ正確さを備えている。
要するにわたしは、地図にばかり固執して、単に周りをよく見ていなかったことが、よく分かった。
正に、方向感覚が狂っていたのだ。
地図では、上が北、右が東、下が南、左が西、という決まりで作られているけど、それが常に正しい訳ではない。
わたしが不注意にも南を向いている事に気付かなければ、わたしから見る左手は東、ということになる。これだ。
アポカリプス以前は高性能なカーナビのおかげで、いつしか道に迷う事もなくなり、そのせいでわたしは、自分が重篤な方向オンチだった事もすっかり忘れていたけれど……わたしの頭でっかちさが、当時から全く変わっていなかったことを、今、この時、改めて悟りましたとさ。あはは。
そんなこんなでわたし達は、高速を降りたらすぐに普通の一般道路になると、てっきりそう思っていたんだけど、しばらくの間は高速道路とあまり変わらない景色が続いていた。ああ、バイパスだったのね。
そのまましばらく進むと、空気の感じが明らかに違って来た。
何かの見えない境界を越えた時にいきなり、フッと、空気が変わる瞬間を感じるのは、やっぱり旅の醍醐味だと思う。
それだけのことが妙に新鮮で、わたし達は気分よくバイパスを歩いていた。
せっかくだから琵琶湖も一目くらいは見ておきたかったんだけど、残念ながらしばらくの間は遮音壁のおかげで、よく見えなかった。
どうやらこのバイパスは結構新しい造りのようで、住宅地を大きく避けた田畑の真ん中を突っ切っているようだ。
エリカさんのおかげで今日の目的地にも早めに着いたことだし、せっかくだから湖も一目見ておこうと、わたし達は今、琵琶湖のほとりで休んでいる。
それにしても……と、改めて思う。
旅を始めてからもう一カ月が過ぎたワケだけど、やっぱり、わたし一人ではここまで無事に辿り着ける事など出来なかっただろう。
カンちゃん、エリカさん、サマーちゃん、そしてニャア。みんなとの縁起が起きてこそだ。
今にして思えば、堀師の日記と出会ったその瞬間に、わたしの世界は大きく変わってしまったのだ。
それ以来、毎日、様々な気づき、というか、小さな悟りが途切れる日など一日もなく、その度に、わたしの心は変わり続けていた。
そして今日、わたしは地図の正しさを、ある意味では盲信してことが分かった。
それが、わたしの方向オンチの原因であることにも気づけた。
そして、ブッダの教えとは、わたし達人間が「幸せ」に生きるという意味においては、地図とは比べようもない正しさに、満ち溢れている。
だからわたしは、ブッダの教え「だからこそ」地図の事と同じように、盲信してはならない。
そう悟った。
どんなに正確な地図を眺めていても、それを見ている自分が、一体どっちの方向を向いているのかによって、行き着く先が大きく変わってしまうのだ。
これは経験不足で、頭でっかちな、わたしのような人間がよく犯す間違いだ。
トライ・アンド・エラー。そして時々プログレス。
これからもこの事を、忘れないようにサティして行こう。
こうしてわたしが日記を書いていると、植物図鑑を持って散策に出ていたエリカさんが、図鑑を小脇に挟み、両腕に何かの植物をたくさん抱えながら戻って来た。
「エリカさんそれって、ゼラニウムですか? それと、それ、ニンニクぅ?!、んんん……あれ、これは、なに?」
「キョーコさん、これこれ、これって多分、蚊連草で間違いねーと思うぜ」
「ほう、ほう」
「明日からの酷道は、どうやら里山ん中を行くみてーだしさ、やっぱ“虫よけ”はぜってー要ると思って、自生してたヤツを取って来た」
「ああ! なるほど。ありがとう、それは助かるわ!」
「ナハハハ! んむ、苦しゅうないぞよ。もっと誉め称えたまえよ」
「あはは! はいはい、エリカお姉さんは偉いですねー、っと。でも、このニンニクって虫よけに効くの?」
「ああ、アタイも昔、じいちゃんに習ってさ、ちょっとニオイはキチーけど、蚊よけには一番じゃねーかなー」
「そうかー、自生してたんならF1種って訳でもなさそうだし、ツイてるわよ! ね、エリカさん」
そんな訳で、わたし達はこれから空き家を探し、それからわたし自慢の精油マシーンを使って、虫よけアロマを作ることにした。
生きとし生けるものが真に幸せでありますように。
※蚊よけにニンニクがかなり効く事は、経験上、かなり確かだと思うのですが、やはりお察しの通り、強烈なニオイが人間にまでもかなりよく“効き過ぎ”ます。
もしもお試しの際には、十分な周囲への配慮をお考えくださいませ。




